冷たい雨が私を洗う。涙か雨か、もう判らなくなっていた。あの後、猿飛くんは静かに携帯を私に返すと、ありがとうと小さく呟いた。

なにか思い出せそう、と弱々しく笑って。曖昧な記憶は、不明瞭な夢は、彼をずっと苦しめていたのかもしれない。

落ち着いた頃に店を出ると、傘立てには私の傘1本しかなかった。

「俺様の、ビニール傘だったから誰かに持ってかれちゃったのかな」

まいったな、と苦笑いする猿飛くんに私は傘を貸すことを提案した。ここから駅までは遠いし、猿飛くんはこれから電車に乗って帰らなければいけないのだ。

「今度返してくれればいいから」
「え、悪いよ。名前ちゃんが濡れちゃうじゃない」
「いいよ。家すぐそこだから」

渋る彼にそう云って無理やり空色を押しつければ、情けない笑顔を浮かべて2回目のありがとうをくれた。

雨は私の身体を容赦なく冷やしていくけれど、心はなんだか温かかった。



部屋へ帰ると、幸村は今朝と同じように窓を背にして静かに佇んでいた。

「……ただいま」
「名前殿」

ぼんやりと窓の外を眺めていた幸村は、ゆっくりと首を前に向けた。

「佐助は、某のことを憶えていたのであろうか」

昏い笑顔に、胸が痛む。いつでも、幸村には明るく笑っていてほしいと思うのに。

「なんか、ごめんね。余計なことしちゃったかな」

ひたひたと塗れた足で幸村に近づいて、目線を合わせる。膝をつけた床がひどく冷たい。

幸村がゆるゆると首を横に振った。

「いや、違うのだ。名前殿には本当に感謝のひとことに御座る」
「それなら、いいんだけど……」
「ただ、某の声を聴いたことで、佐助に前世を思い出させてしまったのかと思うと、心苦しくてならぬ」

――佐助は、泣いておったな。呟く幸村を私はそっと抱きしめる。きみのほうこそ今にも泣いてしまいそうだよ、幸村。

「猿飛くん、すっきりした顔してたよ」
「……まこと、か?」
「うん。泣いてたけどね」
「そうか……」
「ずっと、思い出せなくて苦しかったんだと思う。魂は主を憶えていて求めているのに、本人がそれを判ってなくて」
「……」
「なにか思い出せそう、って最後は笑ってた」

だから、猿飛くんは大丈夫だよ。

「よか、った」
「うん」
「よかったでござる」
「うん」
「佐助は、忍だったゆえ、やはり思い出さぬほうが、幸せだったかもしれぬと……」
「そんなこと、ないと思うよ」

こんな、当たり障りのないことしか云えないけれど、本当にそう思うのだ。思い出さないほうが良かっただなんて、きっと猿飛くんは思っていないはず。

腕の中で、温かな空気が震える。でも悲しくはない。それは、嬉し泣きととっていいのかな。

「素敵な話だよね」
「……名前殿?」
「生まれ変わっても、大切な人を憶えてるなんて」
「そう、だな」

私にも、いたのだろうか。この時代じゃないずっと昔、こんな風に愛しいと思える人が。

そっと幸村から身体を離す。スッと冷たい空気が身を撫でた。寒い。

「なっ、名前殿! びしょ濡れでは御座らぬか!」
「ちょっと、雨に濡れちゃって」

冷えた手のひらを幸村の頬に添える。びっくりして目を見開く彼に、愛しさが溢れた。私は今、こんなにも彼が好きなのだ。

「幸村、想い人は誰か、って訊いたよね」
「今はそれどころではっ」
「いいから」
「名前殿!」

幸村が私を怒鳴りつける。その声量にびくりと身体が反射的に跳ねた。さっきまで泣いていたくせに。

「も、申し訳御座らぬ。しかし、このままでは風邪をひくであろう!」

頬を包む手に、ふわりと幸村の手が重なる。そのまま引っ張られるようにして、身体が前に倒れた。

額にもう片方の手が当てられる。

「やっぱり、幸村はあったかいね」
「……熱があるのではないか」
「ないよ」
「寒さでこんなにも身体は震えているのに、額はひどく熱いではないか」

あぁ、震えていたのは幸村だけじゃなかったのか。白く霞がかった頭で考える。自分でも確認するため、額を手に当ててみた。熱い……かな。自分ではよく判らない。

ただ、とにかく寒くて、幸村の温かさが心地好い。瞼がゆっくりと降りてくる。だめだ、こんなところで寝たら。

「……立てそうにもありませぬな」

苦笑の混じった声が聞こえると、視界が紅から天井に切り替わった。突然の浮遊感にさえ、脳は覚醒することができない。

瞼が完全に落ちる前に見えた私と幸村が居たところには、小さな水溜まりが出来ていた。



とろり、微睡んで。

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