穏やかな時間にうとうとと瞼が重くなり始め、アナログテレビから漏れる笑い声が遠くなっていく。

眠いので御座るか? と目を細めて尋ねる幸村はまだ少し元気がないように思えた。彼にとって猿飛くんとの再会は昨日の今日で切り替えられる問題ではないのだ。

私は意味を成さない呻くような返事を返して、ソファに沈み込んだ。



「おっ、お館様ああ!」

嬉々として上げられた大きな声に、ふわふわと漂っていた夢色の風船がパンッ、と弾けた。何ごとだ。

文字どおり飛び起きた私に、ブラウン管に張り付いていた幸村がばっとこちらを振り向いた。目がきらきらしている。

「お館様に御座る、名前殿!」
「お、お館様…?」

幸村が食い入るように見つめていた画面には「武田信玄」の文字。特集番組でもやっているのだろうか。

「躑躅ヶ崎館はまだ残っておるのだな」
「武田信玄公は山梨の武将だっけ」
「やまなし? 甲斐に御座る」
「今は山梨って云うんだよ」
「地名が変わっておるのか……」

驚いたのか幸村が丸い瞳をぱちぱちと瞬かせる。そういえば、大阪は昔から大阪という名だったか。

「地名はほとんど変わっちゃってるかな」
「左様で」
「ちなみに信濃だったら長野って名前になってる」
「ながの……」
「上田城、行ってみたいなあ」

幸村が拠点としていたお城は、土地はどんなところなのか。きっと優しくて、素敵なところに違いないのだ。

「名前殿は各国の城巡りが趣味なので御座るか?」
「別にそういうわけじゃないよ」
「では、大阪城には何ゆえ行かれたのだ?」
「せっかく大阪に来たなら観光名所はまわりたいなと思って」
「観光名所、に御座るか」
「うん、今はお城は観光名所だね。大切な国の宝物になってる」
「だから、あんなにも人が」

大阪から出る前のことを思い出しているのだろう、やや神妙な幸村の表情に私は何とも云えない気持ちになる。

自分たちが築き上げてきた城が、土地がそのままに、あるいは名前を変えて残っているのだ。しかも、それを観光しにたくさんの人が遠くから足を運んで。

それは、どんな気分なのだろう。

嬉しいだろうか、淋しいだろうか。私には判らない。

「上田も、そうなのか」
「そうだね」
「だから、名前殿も行きたいと?」

私に向けられた幸村の瞳には僅かに困惑とも不安ともとれない色が見え隠れしていた。

「観光名所『だから』ってこと?」
「……それ以外に何がありましょう」
「なら、違うよ」

その答えが腑に落ちないのか、幸村は少し目を伏せて何かを考えているようだった。

私が上田城に行きたいと云ったのは、「観光名所だから」じゃない。

「幸村のお城だから、見てみたいって思ったんだよ」

長い睫毛が上がれば焦げ茶色の瞳と出逢う。射抜くようなその視線に私の心臓は不覚にもどきりと跳ねた。なんだか気恥ずかしくて、ごまかすように緩く笑ってみせる。

「幸村のことなら何でも興味あるから」
「な、なればっ、なれば名前殿……っ、」
「わっ、幸村?」

半透明の温かな両手に手を掴まれる。突然の読めない行動に私は思わず退けぞってしまった。

「この幸村を甲斐、いや、やまなしに連れて行って下され……!」

幸村の顔が泣きそうに歪む。

「つ、つつじがさき、やかた?」
「無理は承知の上に御座る! しかしっ、どうしても、どうしてももう一度この目に……っ」

彼がどれだけ武田信玄公を慕っていたのか、そのことばが、表情が、すべてが物語っていた。

「おち、落ち着いて、幸村」
「名前殿……」
「わかった、行こう」
「ま、誠に御座るか」

すっと離れた手を名残惜しく感じつつも私はひとつ頷いた。

私が出来ることなら何でもしてあげたい、それは建前などではなくて、こころの底から思ったことなのだ。

「今すぐには無理だけど、頑張ってお金、貯めるから。待ってて」

手を伸ばす。こんなにも感情豊かで、どこまでも人間らしいのに、どうしてこの手は幸村の髪一本にも触れられないのか。

私の視覚だけが捉えられる柔らかそうな髪を撫でる。実際には手のひらを少し空気がくすぐるだけだった。

「そしたら、山梨から長野へめぐる旅行をしよう」
「……なんと、お礼を申したら良いものか」
「いいんだよ。幸村が行きたいところなら私も行きたいから」

楽しみだねと私が云うと、幸村は小さく、かたじけないと呟いた。

「本当に嬉しいなら笑って欲しいな」
「……は、」
「幸村の笑った顔、好きだから」

あまり切ない顔をされると、私まで胸が痛むのだ。そんな感情を共有出来るのはきっと生涯幸村とだけだろう。けれど、せっかくなら楽しいことも嬉しいことも。

「申し訳ないなんて思わなくていい。云ったはずだよ、迷惑だなんて思わないって。こういうときこそ素直になってくれると、私はすごく嬉しい」

そのほうが幸村らしいよ。ね、と確認するように幸村の顔を覗き込めば、名前殿、と微かに震える声に呼ばれる。

「色々なことがありすぎて、嬉しすぎて、上手く笑えぬのだ」

眉をハの字に下げてやっと彼は笑顔を零した。

へたくそな笑顔は、しかし作り笑いではなくて。きっと溢れそうになる涙が邪魔をするのだ。

「ありがとう御座いまする、名前殿」

今まで見たどんな笑い方よりも、自然で綺麗だと思った。




ぶわり、溢れた。

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