三成さまに撥ね付けられること三日目。吉継さまに協力していただいて、どうにかこうにか食事の際に食欲増進の薬湯を飲ませることに成功した。飲まされた本人はそれが薬湯であるとは夢にも思っていないだろうけれど。
 それでも、薬だけでは限界がある。本人が自分で食べなければ意味がないうえ、睡眠もとられていないと聞く。薬師として、豊臣の一員として、他にわたしができることはないのだろうか。
「ふふ、考えごとかい?」
「半兵衛さま……」
「きみらしくもないね」
 白い手にするりと頬を撫でられる。突然のことに驚いて身を引けば、面白がっているのかくつくつと押し殺された笑い声が耳をくすぐった。
「……お、お戯れが、過ぎまする」
「それは悪かった」
「いえ……」
 俯くわたしに、けれど、と半兵衛さまはつづけた。
「僕と居る時くらい、僕のことだけを考えてくれたらいいのに」
 すみれ色の瞳がすっと細くなる。本気とも冗談ともつかないもの云いに頬が熱くなるのを感じた。
「そう思うのは、我儘かな」
「……半兵衛さまは、ご自身の御身をいちばんに案じてください」
 彼の手を取って、そう胸のうちを伝える。半兵衛さまはなにも云わずに微笑むだけだった。
 ただでさえ体調が優れない半兵衛さまに、これ以上の心労を増やすわけにはいかない。三成さまのことはどうにかしてわたしの力で解決せねばと思った。

 穏やかな午後。
 そんな考えごとをしていたからか、前から歩いてきたひとにぶつかってしまった。申し訳ございません、と慌てて頭を下げると、いや、と低い声が返ってきた。
「だいじょうぶだ。それよりおまえさん、こんなところでなにをしている?」
「は……」
 顔を上げれば、目の前には熊と見紛うほどの大男。つい先日も、吉継さまのお部屋でお会いしたことを思い出す。
「官兵衛さま、」
 その名を呼ぶと、彼の口角がわずかに上がった。
「なにやら、元気がなさそうだな」
「すこし考えごとをしておりまして」
「そうか。小生でよければ話を聴こう」
 長い前髪に隠れて表情は窺えないものの、気さくな物云いである。
「よろしいのですか?」
「もちろんだ。優秀な薬師が悩めているとあっては、手助けするほかはあるまい」
「ありがとうございます」
 ご厚意に甘えて、わたしは官兵衛さまに相談することに決めた。彼は半兵衛さまと並ぶ腕利きの軍師である。よいお話が聴けるかも知れない。
「では、お茶でも飲みながら」
「やくが淹れてくれるのか?」
「はい」
「薬師の淹れる茶は美味いと聴く。役得だな」
 世辞を連ねる官兵衛さまに笑みを返して、わたしは彼を自分の部屋へと案内した。

 縁側でお茶を啜りながら、事のいきさつを話す。三成さまがあまりお食べになられないことに始まり、先日には話を聴こうとするも一蹴されてしまったこと、さらには今朝の食事で薬湯を異国の茶だと偽って飲ませたことまで。官兵衛さまはなにも口を挟むことなく、ただただわたしの話を聴いてくださった。
「そのようなわけで、いったいどうしたらよいのかと考えあぐねておりました」
「なるほど。薬師のおまえさんにしたら放っておけないことではあるな」
「そうなのでございます。そもそも、家康さまが教えてくださるまで気づきもしなかったのです……」
「そう自分を責めなさんな」
 おまえさんはよくやっているさ、と大きな手のひらで背中をぽんと叩かれる。不意の衝撃にお茶を噎せそうになりながらも、ありがとうございます、となんとか返した。
「三成はいい意味でも悪い意味でもまっ直ぐすぎる。いまは朝鮮出兵のことで頭がいっぱいで自分のことどころではないのだろうが、このままではぶっ倒れかねんな」
 そうなのだ。まったくと云っていいほど彼は自身のことを省みない。
「なにかいい方法はないでしょうか」
「逆に云えば、単純ということだ、やく」
「単純、でございますか」
「食べることや眠ることが太閤のためになると信じ込ませればいい。簡単なことだ」
「な、なるほど」
 三成さまがそこまで単純なお方であるのかは疑問だけれど、官兵衛さまが云うならそうなのだろう。豊臣に仕え始めてまだ間もないわたしとは違って、彼らは遥かに長い時間をともに過ごしているのだ。
「どうだ、解決方法が見えてすこしは気分が晴れたか?」
「はい、ありがとうございます。わたしも、もっと皆さまを注意深く観察しなければなりませんね」
「はは、小生もか?」
「もちろんにございます」
「下手なことはできないな」
 冗談混じりの会話にわたしも笑う。肩の力がすっと抜けたようだった。手のなかで持て余していた湯呑みがもうすっかり温くなってしまっていることに気づく。
「お茶、もう一服いかがでしょう」
「ん、いいのか?」
「ゆっくりしていってください」
 火鉢にかけてある土瓶に手を伸ばした、その時だった。
「やく。おるか、やくよ」
 襖の向こうから声が届く。平静を装ってはいるのものの、どこか切羽詰まった様子だ。
「はい、おります」
 慌てて立ち上がり、襖を開く。そこには輿に乗ってふわふわと浮いている吉継さまがいらっしゃった。
「吉継さま、どこかお加減でも?」
「いや、我ではない」
「では……」
「三成が倒れおったわ」
 遅かった。ひやりと背筋に冷たいものが走る。しかし、いまは自分の未熟さを悔いている時ではない。
「すぐに参ります」
 官兵衛さまには手短に事をお話しして、申し訳ないけれどお茶の時間はここでお開きとなった。
 薬箱を抱えて部屋を出ると、吉継さまは廊下の突き当たりでわたしを待っていた。手招きをされるがまま、わたしは三成さまのもとへと向かった。




のぞみて心を砕く

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