女中をひとり連れて、ふたり分の朝餉とともに半兵衛様の眠る部屋へと足を運ぶ。半兵衛さまが許してくれるようなら、いっしょに頂こうと考えていた。
「半兵衛さま、朝餉を持って参りました」
 眠っているかもしれないと思いつつ、声をかける。すると、予想に反してあのやわらかな音色が襖の向こうから返ってきた。
「どうぞ、やくくん」
「失礼致します」
 襖を開け、お辞儀をひとつしてから奥へと進んだ。ふと視線をめぐらす。部屋の隅、蒲団が綺麗に畳まれているのが目に入った。半兵衛さまはこちらに背を向けて庭を眺めている。
「もう、お加減はよろしいのですか?」
「お陰様でね。だいぶ気分がよくなったよ」
「それは、ようございました。どうか無理だけはなさらぬよう」
 振り返った半兵衛さまは、わたしのことばに穏やかな笑みだけを返す。それがあまりに美しいものだから、思わず目線を下げてしまった。わたしの意思とは無関係に心臓はどくどくと耳の裏に音を響かせる。半兵衛さまの侍医に就いてから数年経てど、わたしは度々こんな、どうしようもないほどの鼓動を覚えるのだ。
 わたしの異常な心拍数など知るよしもない半兵衛さまは、膳がふたつ運ばれたことに気がついたのか、不思議そうに口を開いた。
「きみも食べるのかい?」
 訊ねられると、途端に恥ずかしくなってしまう。彼の顔を見ることができず、俯いたままわたしは答えた。
「ご迷惑でしょうか」
「いや、嬉しいよ」
 頂こうか、と半兵衛さまが向かい合わせに配置した膳の前に座った。ほっとすると同時に、云い様のない嬉しさが込み上げてくる。思いきってそうしてみてよかった。気づかれないように小さく吐息して、わたしは半兵衛さまの向かい側に腰を下ろした。

 いただきます、と手を合わせる。半兵衛さまが箸を取るのを見てから、わたしもそれに伴った。手のひらほどの大きさの焼き魚を箸で崩して口に運ぶと、味噌の香ばしさが口内いっぱいに広がった。
「きみから見て、最近の豊臣軍の様子はどうだい?」
 どこか楽しげな声音で訊ねられる。わたしは食べていたものを嚥下してから、はい、とうなずいた。
「特に大きな病をする者もなく、みな健やかに武芸や文学に励んでおられます」
「それはよかった。それもこれも優秀な薬師が目を見張っていてくれるからだろうね」
「いえ、皆さまの精進の賜物でございます」
「謙遜しなくてもいい。やくくんやきみの父上方には感謝しているよ」
 ふわり、と柔らかそうな雪色の髪が揺れる。眠っていた草花を芽吹かせる春の風が、胸の内をそっと撫でていったような気がした。
「光栄にございます」
 箸を置いて、小さく頭を下げる。これからもよろしく頼むよ、と半兵衛さまが云った。自分はこのお方に必要とされているのだと、そう思えてうれしかった。

 朝餉のあと、咳も落ち着いたからと半兵衛さまは自室へ戻っていった。次は夕餉の前に様子を看に行くことになっている。確実によくなる手立てがないのなら、小まめに検診をするほかないのだ。
 昼下がり。
 特に成すべきこともないため、いまのうちに薬草を摘みに外へ出ることにした。近くの森にはたくさんの草花が生い茂っているのだ。春になって新しい葉が出てくる頃だろう。
 廊下を進んでいくと、ふと聴き慣れた声が耳に届いた。家康さまと三成さまであった。
「三成、もっと食わないと倒れてしまうぞ」
「いらん」
「しかしだなあ」
「何度も云わせるな。貴様もそんな暇があるなら秀吉様のために力を尽くせ」
「なにを云って……あ、曲直瀬殿ではないか!」
 こちらに気づいた家康さまが声をかけてくださった。砕けた笑顔にわたしも会釈を返す。顔を上げると三成さまの不機嫌そうな目もわたしに向けられていて、半兵衛さまのときとは違った意味でどきりとした。
「竹中殿の具合はどうだ?」
「いまは安定しておられますよ」
「それはよかった!」
 家康さまは安堵に息をつくと、今度は困ったような声音で続ける。
「聴いてくれよ、曲直瀬殿。三成があまり飯を食わないんだ」
「余計なことを云うな、家康」
「三成さま、どこかお身体の具合でも悪いので?」
 わたしが問うと、三成さまはこちらを見ることもなくあしらった。
「問題ない。私に構うな」
「しかし……」
「薬師、貴様は半兵衛様や刑部を看ていればそれでいい」
 心底面倒くさそうに吐き捨てると、廊下を去っていってしまう。わかりづらいおひとだ、と思う。自分を看る暇があるならば、その分、半兵衛さまや吉継さまの診察に宛てろと云いたいのだろう。
 けれど、そういうわけにもいかないのがこの務め。わたしは半兵衛さま付きの侍医であると同時に、豊臣軍の薬師でもあるのだ。
「すまないな、曲直瀬殿。悪いやつではないんだ」
「いえ、存じております」
 苦笑気味に返すと、家康さまは嬉しそうに、そうか、とうなずいた。きっと、家康さまはこうして三成さまを庇うことが癖になっているのだ。
「それにしても、三成の食が進むような、なにかいい方法はないだろうか」
「食欲を失くしてしまうような何かがあったのでございますか?」
「さあ……ただ、最近いつにも増して飯を食わないんだ。もともとよく食べるほうでもないのだが」
 腕を組み思案するその眉間には、ゆるく皺が寄っていた。よほど彼の少食が心配なのだろう。
「そうでしたか……あとでもう一度、三成さまにお話を聴いてみます」
「ありがとう、そうしてやってくれ」
 まるで自分のことのように礼を述べてから、では失礼する、と家康さまも去っていく。その背が見えなくなってから、わたしは歩き出した。

 森に入る前に、静かに佇むお地蔵さまへ供え物をする。ここを通るたびにわたしは願掛けをするのが常となっていた。手を合わせて、こころの内側でそっと呟く。
 半兵衛さまや吉継さまの病がよくなりますように。
 どうかどうか、お願いしますと唱えてから立ち上がる。お地蔵さまの傍らには青い小さな花が寄り添うように咲いていた。





とゞけませ夢地蔵

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