亡くした夏 | ナノ


ヨーコの本名は葉山紗季という。葉山で葉でヨウでちょっと可愛く子をつけてみてヨーコ。わたしが勝手に考えてみた。だからヨーコの事をヨーコと呼ぶのはわたしだけで他の人はヨーコの事を普通はサキとかサッチャンとかそんな感じで呼ぶ。それでもいつの間にかわたしとヨーコの間にはヨーコはヨーコというのが当たり前の様になっていて気が付いたらヨーコはヨーコと呼ばれてすぐ振り返るようになったしわたしもあまりにもヨーコと呼びすぎてたまにヨーコの本名が分からなくなってしまうくらいだった。





ヨーコは不思議な子だ。覗いた事は無いけれどきっとヨーコの頭の中には宇宙みたいなそんなただっ広くて果てしなくて複雑で深くて綺麗な世界が広がっていたんだと思う。それはもう沢山の物が幾重にも幾重にも複雑に絡み合うそんな世界。ヨーコはいつもいろんな事を考えていた。いろんな事を考えてはいろんな事を想像した。たまによく解らない事を言い出す事が多々あった。文脈をまったく無視してぽつりと呟くのだ。たまに。

ヨーコは爪が綺麗だった。細い白い指に揃う調った10個の爪達にはいつもヌードカラーのマニキュアが丁寧に塗られていた。毎回微妙に色が違ったり模様になっていたり器用なヨーコはシンプルで綺麗なネイルに凝っていた。

ヨーコはストローを噛む癖があった。奥歯で噛まれ原型をとどめていないぐちゃぐちゃになったストローの先端をわたしと話してる時だとかに口の中でよくくちゃくちゃとやっぱり噛んで弄んでいた。ヨーコ曰くマックのストローが一番噛んでて好きらしい。堅さが一番ちょうどいいらしいけれどわたしにはよく分からない。

ヨーコはリップクリームをよく失くしていた。物忘れも物を失くすこともあまりないのだけれどもリップクリームだけは妙な事に毎回毎回失くしては買っての繰り返しだった。リップクリームを最後まで使ったことが無いと言っていたけどそれはわたしも一緒でわたしもリップクリームなんて最後まで使い切ったことは無い。必ずどこかで無くしてしまうものだけどもヨーコの紛失ぶりは異常なものだった。気づいたら毎回違うリップクリームを持っているんじゃないかと思うくらい毎回失くして買って新しいそれを持っていた。

ヨーコは甘い物が苦手なくせに唯一食べれる甘い物で大好物なのがショートケーキだった。とにかくショートケーキが大好きだった。ケーキはそれしか食べられないくせに学校の最寄り駅の側の歯医者の隣のケーキ屋によく行きたいと行ってはわたしを連れていつも同じショートケーキを美味しそうに頬張っていた。ショートケーキと言えばヨーコは一番最初に上に乗っている苺を食べるタイプだった。わたしは最後の方で苺の甘酸っぱさが無くなるのが嫌でわりと最後の方まで残して食べるタイプなので多分人の大半はわたしのようなタイプだと思っていたのでヨーコの食べ方は少数派と勝手に思っていた。いつかなんでその苺最初に食べるの?と聞いた事があったけれどヨーコはただなんとなくと言って笑っていた。ただヨーコらしいなとわたしは思った。そう思いながらわたしはなんとなく最後に苺を残したし、ヨーコもやっぱりなんとなく最初に苺を頬張っていた。

ヨーコの口癖は空を飛びたい。だった。空を飛んで大気圏を飛び抜けて宇宙で踊り回るんだよ。そんな馬鹿みたいな事を真顔で言ってのけてそれって最高でしょ、そう言って広角を大きく上げて笑ったヨーコの顔は何より綺麗だった。綺麗で眩しくて訳も分からず涙が出そうになったあの感情は今でも覚えている。はっきりと、鮮明に。









いつかの夏の日の事だった。ヨーコは自宅のマンションの屋上から飛んで死んだ。突然の事だった。あまりにも突然すぎて信じられないくらいだった。ヨーコが?自殺?何故?嘘嘘ありえない。そう信じたかったけれどやっぱりヨーコは死んだ。沢山の白い花の中で無断にデカいヨーコの写真が笑っていた。あまりにも馬鹿馬鹿しくて涙なんか出なかった。そしてそれはほんの一瞬ニュースに取り上げられたくらいでヨーコの自殺は案外あっさりと世間からみんなの記憶から消えた。やっぱり世の中なんてこんなもんか。こんなものだったか。やっぱか。そんなあの日の青い空を見上げながらわたしはそんなことを思ったのだった。





















夏は過ぎ。わたしは今ひとり、あの歯医者の隣のケーキ屋にいる。目の前にはいつものショートケーキが1つ。あの時誰にも言わなかったけれど今でもこれからも誰にも言わないけれど、わたしは知っている。ヨーコは死んだんじゃなくて飛んだのだ。空を飛んだのだ。青い空に向かって両手を広げて思いっきり飛んだのだ!そして大気圏を抜けて宇宙を舞ったのだ。今ごろ流れる隕石に跨がって地球を指差し見ているんだよ。ねえヨーコ、わたしが見えるんでしょう。見えてるんでしょう。見えていますか。わたしはなんとなくフォークで上に乗ってる苺を優しく刺す。ゆっくりと口に運んで奥歯で潰した。ああ、馬鹿みたいに甘酸っぱくて涙が出そうなのはどうして。

亡くした夏


(20080402) title:嘘つき、濡れる

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