遠藤氏の描くイエス像は、なんだかわたしのイメージするうちはイタチ像とちょっと似ている…?!

例えば…
異民族の台頭に業を煮やすユダヤ人たちからの「反抗のために立ち上がる指導者になってほしい」という期待と「愛の神」を説く自分の思想との間で板挟みになるイエスの姿は、うちは一族と里の間に立って苦悩するイタチの姿と重なるなあ…とか

イザヤ書にあるという「みじめなメシヤ」の描写はそのまんまイタチみたいだなあ…とか
(その人は哀しみの人だった。病を知っていた。忌み嫌われ、蔑まれた。まことにその人は我々の病を背負い、我々の哀しみを担った…みたいなやつ!)

自分を死に追いやった人(弟/弟子たち)を呪うどころかその幸せを願いながら死んでいったところとか…

でもってイエスの死後、その愛に触れて裏切りを激しく後悔して泣き、改心してイエスを「信仰」するようになっていくペトロはすごくサスケっぽいな…とかね。(笑)

死してなお…あるいは死をもって弟子たちの心に寄り添おうとしたところなんて「弟子」と「サスケ」と入れ替えればそのまんま話通じるし…なんなら死後復活してるし…(笑)

とまあそんな感じでたびたび胸を熱くさせてました…なんかすいません…!

あと遠藤氏はイエスのことをしょっちゅう「どこか疲れた目」と形容するのですが、個人的にイタチくんには「どこか疲れた目」をしててほしいなあという願望がずっとあったので、より美味しく…もとい、より感慨深くしっとりと、妄想が捗…じゃなかった、どんどん読み進めることができましたね…!

いや真面目に読めよっていう話ですよねホント…こんな読み手で作者さまほんとすみません(土下座)



ではみなさま、よいクリスマスを!(強引に終わる)

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