唇の上なら愛情のキス。 




不安になるのだ、時々。

風間は忙しい人物であった。彼の立場を考えると、それは当たり前のことだから仕方ない。休日が少ないのも、彼と一緒に過ごす時間が短いのも、仕方ないことなのだ。千鶴はそう自分に言い聞かせた。
だけど、頭の中では理解していてもやっぱり不安なのだ。

風間は性格には少し、いやかなり難があるが、見目は良い。睫毛の長い切れ長の瞳や、整った顔は黙っていればとても格好いいのだ。彼の容姿に惹かれる女性が多いことを知っている。

そして、千鶴が最も不安なこと。それは、風間が好きだと言ってくれないこと。
面倒臭い女にはなりたくなかった。だけど、横暴で我儘で傍若無人な恋人が、本当に自分のことが好きなのか不安で仕方なかった。



「……おい、俺に何か言いたいことがあるんじゃないのか」

不安が態度に現れていたのか、ある夜仕事から帰ってきた風間が唐突に千鶴にそう尋ねた。
緋色の瞳がじっと千鶴を見つめる。

「えっ、言いたいこと、ですか、」
「ああ」

千鶴は困ったように眉を寄せる。嘘は得意ではない。しかし、彼にこの不安をぶちまけてしまっても良いのだろうか。面倒臭いと、呆れられてしまうだろうか。

「…別に、無いですけど、」
「俺がおまえの嘘を見抜けないとでも?」
「う……」

やはり、バレてしまった。千鶴は視線をさ迷わせて、それから意を決して風間を見つめた。

「あの、ですね。笑わないで聞いてください」
「内容によるが」
「……その、千景さんは本当に私のこと好きなのかな、って…」

語尾が小さくなり、千鶴は風間から視線を逸らした。彼の反応が恐ろしかった。
呆れているだろうか。面倒臭いと思うだろうか。そう考えると怖くて、千鶴は自身の服の裾をぎゅっと握り締めた。

「おまえは、聡い女だと思っていたが……馬鹿だな」

溜め息と共に、千鶴は風間の腕の中へと引き寄せられた。
そのまま背中に手を回され強く抱き締められる。

「で、でも、千景さんは私のこと好きだって言ってくれないし、」
「おまえは、俺が好きでもない女と同棲するような男だと思うか?好きでもない女の手料理を食べて、一緒に寝ると思うか?」
「いえ、思いませんけど…」
「ならば、それが答えだ」
「……それ、答えになってます?」
「俺はおまえが好きだ。だから不安になるな。俺だけ見てろ」

何の躊躇いもなくそう言われ、千鶴の顔へと熱が集まる。
ああ、もうずるい。いつだって彼はこうなのだ。

「千鶴」

身体を離されて、千鶴は風間を見上げる。同時に、唇に柔らかな熱が重なった。
暫くして、唇が離される。

「グリルパルツァーの『接吻』は知っているか」
「いえ、知りませんけど…」
「手の上なら尊敬のキス。額の上なら友情のキス。頬の上なら厚意のキス。そして、唇の上なら愛情、だ」

顎を持ち上げ、風間の瞳が真っ直ぐに千鶴を射抜く。

「結婚するか、千鶴」

それから柔らかく笑みを作った彼の唇が優しく言葉を紡いだ。

ーああ、幸せだ。
唇へと再び降り注ぐ愛しい熱を感じながら、千鶴は頷いた。



(唇の上なら愛情のキス)
 
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