紅 




「音二郎さんって、本当に綺麗ですよね」

仕事前に、唇の紅を塗り直していると、唐突に芽衣が言った。

「あーらァ、ありがとう」
「どうしたら音二郎さんみたいに綺麗になれるんでしょう」

冗談っぽく俺が女言葉で返すと、芽衣は悩ましげな溜め息を深々と吐き出した。

「どうしたんだよ、芽衣」
「いえ、私ってこれでも一応女子じゃないですか。なのに色気も何も無いし…」
「まあな。確かにおまえに色気は無い」
「ですよね…」

うなだれて眉を下げる姿は可愛らしい。なんつーか、あれだ。母性本能がくすぐられるってやつだ。男だけど。
芽衣のこういうところが、俺は放っておけないらしい。何かと世話を焼いてやりたくなる。

「まあ、おまえにまだ色気は必要ねぇよ。それに、別嬪さんになりてえなら、この神楽坂一人気の芸者、音奴がおまえを神楽坂で二番目の美女にしてやるよ」
「…一番目は?」
「俺だ」
「ですよね…」

そう言って芽衣は再び深々と溜め息を吐き出した。
その顔は暗い。
折角の可愛い顔が台無しだと、芽衣の眉間を軽く小突いた。

「…どうした?もしかして、誰かに何か言われたか?」
「いえ、そういうわけじゃないんです」
「じゃあ、どうしたんだよ」
「なんでもないです」
「なんでもないってことはないだろ」

華奢な肩を掴んで、芽衣の顔を覗き込んだ。
すると一瞬だけ蜂蜜色の瞳と視線がぶつかるが、すぐに反らされてしまう。

「芽衣、どうした?」
「…なんでも、ないです」
「……俺の目を見ろ」
「………」
「見ねえなら接吻するぞ」
「!」

顔を近付けてそう言うと、芽衣は慌てて俺の目を見つめた。
それからその距離の近さに驚いたのか、大きな瞳を更に大きく見開いて、声にならない悲鳴を上げた。

「…お、音二郎さん」
「あ?」
「ち、近いです…!」
「そりゃあ、おまえがさっさと白状しねえからだろ」
「そんなのずるいです…!」
「諦めろ」

顔を真っ赤にして、恥ずかしそうに俺を見つめる芽衣は可愛い。
それは、いじめたくなるほどに。

「…そ、そんな大したことじゃないです、本当に」
「いいから。…言えよ」
「…っ、」

低く囁くと、芽衣はびくりと肩を震わせた。

「…そ、そんな、の、」
「……あ?」
「い、言えるわけありませんっ!」
「あ、おいっ!」

顔を蛸みたいに真っ赤にしながら、芽衣は勢い良く俺の肩を押して突き飛ばした。

「ったく、何するんだよ」
「お、音二郎さんがからかうからです!」

芽衣が頬を膨らませ俺を睨みつけるが、残念なことに全く怖くない。
むしろ、小動物みたいで可愛い。

「おまえがからかいたくなるような反応するからだろ」
「どういうことですか…!」
「まあ、別に今のはからかったわけじゃねえけどな…」
「え?」

独り言じみた呟きに芽衣は小首を傾げて俺を見つめた。

「…あ、」
「な、何ですか?」
「おまえ、あれだろ。好きな奴でもできたのか?」

また芽衣をからかうつもりで悪戯っぽい笑みを浮かべてそう言うと、芽衣の顔が湯気が出そうなくらいに一気に赤く染まった。

「…………」
「…おい、図星かよ?」
「…ち、ちち違いますっ!」
「じゃあ、今の間はなんだよ」
「…そ、それは、」

…わかりやすいにも程があるだろ…!
こいつは、本当に大丈夫だろうか。色々な意味でこれから心配だ。
……というか。

「好きな奴って誰だよ?」
「え、」
「鏡花ちゃんか?」
「い、いいえ!どうしてそこで鏡花さんが出てくるんですか!」
「じゃあ、もしかして藤田の野郎か?」
「それだけは絶対に違います!」

…なんだか、胸がモヤモヤする。
芽衣はいつもぼんやりしてて鈍感で、だからこそ放っておけなくて。
俺が芽衣に向けるそれは、保護者のようなそういう気持ちのはず。
なのに、なんでだ。

「…………」
「…音二郎さん?」

急に黙り込んだ俺に、芽衣が心配そうに顔を覗き込んだ。
そのどこまでも無防備で隙だらけの身体を抱き寄せた。

「ど、どうしたんですか!」
「………なあ」
「な、何ですか…?」
「何でかわからねえが、おまえに好きな奴がいることが俺は気に入らないんだ」
「…え」
「…責任、とれよ」

抱き締める腕の力を弱めて、芽衣の顎に手をかける。
それから、その小さな唇に柔らかく唇を押し付けた。

「ーーー」
「ーああ、紅が付いちまったな」

俺の唇に塗られた椿の花のように赤い紅が、芽衣の唇に薄く色を乗せていた。
芽衣はしばらく呆然と俺を見つめていたが、我に返り顔を真っ赤に染めて叫んだ。

「音二郎さんの馬鹿!!」


ーそれからしばらくの間怒った芽衣に俺は口を聞いてもらえなくなるのだった。



(俺達の想いが通じ合うのは、そう遠くない未来の話)
 
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