目覚めた時、僕は真っ白な世界にいた。
何も感じない。何も聴こえない。何も無い、世界。しばらくしてからやっと、ああ、と僕は理解した。
僕は死んだのだ。
新選組の沖田総司は、たくさんの人間を斬ってきた。たとえそれが新選組のためであろうと、近藤さんのためであろうと、僕がやってきたことはやはり、ただの人殺しだ。
僕はゆっくりと瞼を下ろして、その場に膝を抱えて座り込んだ。
ここは、天国なのか地獄なのか。僕は天国になんかいける人間ではなかったから、ここは地獄なのだろうか。
何も感じない。何も聴こえない。何も無い。
君も、いない。
「ちづる、」
僕が愛した人。
僕を愛した人。
僕は、彼女を独り残して死んだ。彼女は、泣いているのだろうか。すがる身体すら遺せなかった。あの場所に、彼女をひとり残してしまった。
「…ちづ、る」
愛した記憶が残ってる。愛された記憶が、まだ残っている。
彼女は微笑みながら、僕の全てを受け止めて、ただ愛してくれた。
「…あいたいよ、」
あの優しい声でもう一度僕の名前を呼んで。君の柔い手でもう一度僕に触れて。もう一度、もう一度、君に会いたい。ありがとうと伝えたい。ちゃんと謝りたい。愛していると、伝えたい。
千鶴、
ぼろぼろと僕の両目からは、大粒の涙が溢れ出た。
苦しくて、苦しくて、どうしようもなくて、僕は膝に顔を埋めて、泣いた。
そうして、どれくらい経ったのだろうか。
泣き続けて、涙はもう出てこなかった。僕は、膝に顔を埋めたまま動かなかった。もう、彼女に会えないのなら、このままここで消えたい、と思った。
「総司」
ふと名前を呼ばれて顔を上げた。聞き慣れた大好きな声だった。
「こんどう、さん…?」
僕の目の前に佇む彼は、昔と変わらない穏やかな笑みを浮かべていた。
「総司、俺はおまえを待っていたんだ」
「ぼくを…?」
「おまえが独りだと寂しいと思ってな。向こうでは、トシも源さんも待ってるよ」
彼は、どこまでも穏やかに笑っている。僕を見つめる瞳は昔と何一つ変わらなくて、それが僕はたまらなく懐かしくて、嬉しかった。
「…僕を、ずっと待っていたんですか?」
僕の言葉に彼は頷く。
近藤さんが亡くなってから、僕はそれなりに長く生きた。人間の一生としてはとても短いものだっただろうけれど、この人はこの何も無い世界で僕をずっと待っていたというのか。
「……近藤さん、」
「うん?」
目の前の彼は穏やかに、まるで暖かな日の光のように笑っている。
今度は、僕が待つ番だ。
「僕は、行きません。ここで、千鶴を待ちます」
近藤さんが僕にしてくれたように、次は僕が彼女をここで待っていよう。彼女が遠い未来にここに来たときに独りで寂しくないように。
もう二度と彼女を泣かせないために。
「…そうか」
僕の言葉に、彼は少し寂しそうに笑った。
「…おまえも、愛する人ができたんだな」
「はい。…近藤さん、ありがとうございます」
彼はやっぱり穏やかに笑う。
そして、静かにこの真っ白い世界に溶けるように消えていった。
もう僕は泣くことはないだろう。
僕は、彼女が彼女の生をまっとうするその時まで、この世界で待ち続けよう。
そして、彼女に約束するんだ。
もう一度来世で生まれ変わって、もう一度君と恋をして、もう一度君を愛すると。
「…待ってるからね、千鶴」
暖かな風が僕の頬を掠める。春の日差しは、どこまでも優しくて柔らかくて、ひどく心地が良い。
ひらり、と薄紅色の小さな花弁が舞い落ちた。
今日は僕の通う学校の入学式だ。僕は二年生に進級して、そしていつもと変わらない日々を過ごすのだろう。
僕は、未だに彼女に会えていない。今の僕は人殺しでも新選組でもない、ただの沖田総司だ。
だけど、確かにこの心は覚えている。彼女を愛したこと。彼女に愛されたこと。
だから、僕は彼女を今も待ち続ける。
ひらひらと桜の花弁が舞う。
時代が変わって、たくさんのものが移り変わっていく中で、時代を越えても桜は美しい。
「…桜、綺麗ですね」
ぼんやりと桜を見つめながら佇む僕の背後から、透き通った声が聞こえた。
ゆっくりと振り返る。風が髪を揺らす。彼女の長い黒髪も揺れる。
「やっと会えましたね、総司さん」
彼女は優しく微笑んでいた。
僕も笑った。
「百年なんてあっという間だったよ、千鶴」
ああ、今、僕は幸せだ。
(愛してるよ、百年前からずっと)
5月30日は沖田総司の命日ということで。