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嫌いだとか穢いだとか綺麗だとか美しいとか、関係ないつもりでぶつかりにやって来たんだけど。
自宅からここ、「少年監察院」までの道程は長く、少し重い足取りでもあった。面会室に通され、座り待つこと二分。ガラスを隔てた向こうのドアが開いてそれから、
この沈黙が始まって早五分。
名字名前は“彼女”を目の前にして、露骨に顔をしかめながら相対する。反対に向かい合う“彼女”は、未だ取れない矯正器具を歯につけたまま、いつも通り笑っている。
私、この顔嫌い。誠意がない、誠意が。
自分の失礼な可愛くない表情は、元々の造作を言い訳に棚に上げる。私は笑った方が良い、この子は、泣くなり怒るなりした方がきっと素敵。
気持ちを落ち着かせて話を始めるために、ふうとため息をついたその時。先手を打ったのは何故か、相川月乃の方だった。
「ここまでいきなり来てだんまり?凄いわね。お噂はかねがね聞いてるわよ、“探偵”さん」
…ええと、前言撤回斧で叩き割ることを、神様は許してくれるだろうか。
すいません、この女、壮絶に可愛くないです。
何故私がここにやって来たか。それはもう、一回椅子の下に置いておくことにして。最強装備の可愛らしい笑顔に、ギャップのある子憎たらしい言葉の目の前の少女に視線を向ける。やっぱり、真樹の言っていたことはあながち間違いでなく、この態度・ルックス・笑顔、全て込みであの某ロリコン眼鏡の好みにドストライクなのでは。まじまじと見つめても可愛らしく横に首を傾げるだけで、さっきの暴言はまるでなかったみたいに振る舞う。…この小悪魔っぷりも宜しくない絶対タイプだ間違いない。結局あの人は皐月ちゃんを狙うガチ勢なんだか擦れ過ぎて睡眠障害こじらせちゃった可哀想な大人なのか。いやそう言えば今は湊っちについて思いを馳せている場合ではないのだった。ふと我に返る。
今の私の相手は、史上最凶で最恐、またまた最強の上に最悪のヒロイン、4Sの名を冠す相川月乃嬢である。(今私が命名した)実際は戸惑ってる暇なんかない。だがしかしはっきり言って勝ち目はありそうにない。何故か。それは私が凡人だからだろうか。
低空飛行のロリコン論で少し頭が空っぽになったところで、思っていて言おうとしていた言葉と172°くらい違うことが脳を突き抜ける感覚で、この鬱窟とした思考が一種の興奮状態かもしれないと気付いたが今更遅い。これが彼女の常套手段か。相手の罠にはまった。言葉が滑る。
「違います人違いですー私は歴とした警察関係者!泣く子も黙るかっこ永遠の眠り的な意味でな最強テロリストさんをふん縛りに来たんですが貴女は相川月乃さんでお間違いないでしょうかヘイラッシャイ!」
「もう私ふん縛られてここにいるんだけど。ていうか今時の女の子が『ふん縛る』なんて使うの?」
「…一般論でなく私が使うか使わないかです」
「あら、そんな言い逃れでいいのかしら」
「ふん縛るでそこまで時間使いたいですか?」
「ううん全然。ていうか貴女何しに来たの?」
「…私何しに来たんだろう」
結局私の渾身のボケを拾ってはくれないということだけは分かりました。ここで目を逸らしたら負ける。久しぶりに、瞳孔の開き具合の確認とは関係無しにまっすぐ人の瞳を見つめた。まあ、『にこり』の擬音を裏切らない笑顔を全く崩さない相川月乃の凄さと目的を見失った名字名前の勝敗は明白なのだが。
「やっぱり貴女、まーくんみたいに喋るじゃない。本当は“探偵”さんなんでしょ?」
「…違いますみーくんでもまーくんでもくまモンでもないです」
「へー。でも、思っていたよりピーチクパーチク喚くし、…貴女私よりまーくんに似てるって言われない?」
「いや一言だけ言わせてもらいますがあなたに似てるとは私一度も言われたことないです」
人の話を聞かない所は私よりあんたの方が真樹に似てるわよとは到底言えず、やっぱり術中にはまったことを確信するがもう遅い。
美しく微笑む、オフィーリアと苦虫を噛み潰した顔のクイーンオブハート。
今日初めて顔を合わせたばかりの、一般人と“凶悪テロ犯”。
けれど、名前と月乃を隔てる透明な板は二人の少女の影など映さない。ただ、お互いをお互いに映すだけだ。
「…お生憎様ですが、私は“探偵”でも“まーくん”でもなく、」
「“赤の女王”?」
「…こりゃ駄目だ」
そして唐突に女の闘い(?)は幕を閉じた。
「というかその呼称ロリコン眼鏡が勝手に付けただけで私の希望ではないです」
「そうなの?ロリコン眼鏡さんが誰だか私はさっぱり分からないけれど、てっきり気に入ってるんだと思ってた」
大分凍りついた雰囲気の中、ゆっくり両肘をカウンターに着いた相川月乃。頬に手を当て凄く楽しそうだ。案の定呑まれている。だから私赤の女王じゃない!
「本当に“お噂はかねがね”なのよ?まーくんはともかく、貴女と私がとっても似ているって誰かさんが言うからずっと会ってみたかったわ」
そう優しく言い放つ彼女と私は、面会が終了するまで二人きりであることが前提という檻から抜け出て、小さなこの部屋の隅に消える。ボーッとしてたがこれは戦争。どちらかが倒れるまで殴るのを止めない。
彼女が今更小さな嫌味を飛ばすようなせせこましい性格ではないと分かった今、この言葉の真意を図りかねたが、うっとりとした嬉しそうな顔の通り本当に歓迎してくれているのだろうか。最初とはあらゆる意味で違う態度に眉間の皺が寄せては返す。
こうなりゃ野となれ山となれ。当たって砕けるがモットーの常人はゆっくりと言葉を発した。
「…それは、どういう意味ですかね」
「貴女も古典文学の呼称によく似合う素敵な人なんだなって」
…いやはや。一瞬の隙すら見逃さないまるで女郎蜘蛛のような攻撃。とても真似できない。いやはやいやはや。あまりの率直で嫌味な返しに舌が萎んだような気さえする。
本日二度目の前言撤回・私マジで何でここに来た?
「もうそれでいいです、はい、それでいいから」
既に及び腰の投げやり感で返答を返すが、
「ねえ、そう言えば同い年なんだから敬語じゃなくていいじゃない、どうして敬語なの?」
「…月乃嬢もとい相川さん。あなた人の話聞かないね」
「有り難う、それ、私には褒め言葉よ」
彼女は、元気だ。
何だかやってられない。私は今何を思い、何をしているのか。今日私がここに来た理由は至極簡単。凡人、つまりは週一の火曜サスペンスを欠かさず見ている善良な一般人なら一人残らず理解し、逆に神の兼属たるヒュプノスなどには地球が一億光年回転したとしても理解できない何だかちょっとややこしい理由。
それでも、膝の上の両手を、無意識の拘束から解いて同じ様に台に置く。もう心は決まった。何だか一通りのジャブをかまされたが、ジャブはジャブ。まだある希望にかける。
―――何事もなかったかのように笑うのは私の十八番でもあるのです。
何だか一瞬意識を飛ばしていただけなのに変態の勘かはたまた女の勘か、こちらを見る瞳が笑いを潜めたが今までの分お構い無しに続ける。私だってそんなに甘ちゃんじゃない。
「ここ、楽しい?」
「あんまりね。ご飯も美味しくないし」
「そっかー。いっつも何してるの?」
「んー…読書か瞑想かまーくんへのラブレター」
「恋する乙女は忙しいね」
「貴女は違うの?」
「私が誰に?」
「まーくんでしょ」
「あなたと私が似てるって言ったまーくん?」
「そう」
「つまり立花真樹?」
「ええ」
「そしたら私たちライバルじゃん」
「貴女今日その宣言しに来たんじゃないの?」
丁度良くも悪くも盛大な勘違いをして下さった相川月乃嬢。さっきと違って目が本気だ。あちらも、実際あれはジャブのつもりだったらしい。
目には目を。歯には歯を。ジャブにはジャブを。それが自然の摂理。
けれども私はそんな面倒くさいことはしない。私は、“まーくん”に似てるんじゃない。皆行き着くところは同じってだけだ。
生には死を。死には生を。タナトスにはヒュプノスを。
そう、ジャブにはアッパーを、だ。
「違うよ?だって私の好きになった真樹は相川さんの言う“まーくん”とは別だもの」
「…それ、どういう意味?」
初めて、彼女の顔が曇った。それだけで充分だった。
「私が好きになったのは“立花真樹”であり、あなたの言う“探偵”さんではないもの」
「何が言いたいの?」
「もう一つ言わせて貰えば、」
「“探偵になれなかった双子の片割れ”でもないわ」
彼女の眉間に皺が寄った、でも笑みはそのまま。ライバルながら天晴。でも正直ちょっと怖い。
「貴女は今日私と喧嘩をしに来たの?」
「広義で言えばそうなるかも」
「何だか冷水浴びた気分よ。貴女やっぱり凄いわね」
「有り難う、それ、私には褒め言葉です」
まずは1ポイント。彼女から眉間の皺が消えた。その代わり目からも表情が消えた。正直怖い。どちらが持ち直したか分からない。
「もう一回聞くけど貴女何しにここに来たの?」
「うん?んーと、じゃあ、やっぱりあなたと喧嘩をしに」
にっこりと笑うと、鉄壁の仮面微笑で返された。言葉は続く。
「何時かのまーくんが第一発見者になった死体そっくりの女の子とは違うのね」
「あー二号ちゃん?そっか相川さん一度会ってるんだ」
「ちゃんと笑うし彼処までイカれてなさそうだから。可愛い顔してえげつないところか酷似してるけど。もしかして親戚?」
「あんな美人と血は繋がってないし、私自分を棚に上げて人のことイカれてるって言えるほどまともじゃないからどうかな」
「私の方がよっぽどかしら」
クスクスと、盛り返す彼女の皮肉。
―――叩き潰すのは容易か否か。
「そうだなあ。私には相川さんのことは良く分かんないけど―――あんただって二号ちゃんと同じように、“探偵にしかなれなかった真樹”と“女にしかなれなかった自分”だけのユートピア作ろうとしてたんでしょ?」
私はここに、何しに来た?
彼女の顔から、笑みが消えた。正直超怖い。でも私は怯まない。
彼女は無言でこちらを睨む。私は笑う。だって、それしか出来ないから。
「私は探偵になれなかった男にすらなれない可哀想な女だけど、どっちにしろ三人とも中途半端だよね、私は真樹にはなれない、相川さんは私にはなれない、真樹は探偵にはなれない」
「…なかなか、素敵な三角関係みたいな一方通行ね」
「あ、そういう見方もあるんだ。さすがオフィーリア、私とは女脳の割合が違う!」
細やかに表情を変える彼女の瞳はまだ光を失ったまま私を射抜いている。
彼女が一生成り得ない私の瞳を、射抜いている。
「あらあら、赤の女王なんて言われていい気になってる人には負けるわ」
「うっさいなーその件については置いといてよ触れたくないっちゅーねん」
「さっきと違って随分普通に認めるのね。その驕りは命取りになるんじゃないの?」
「牙剥いた好奇心と無責任の塊の働かない世間のクズならともかく金のことしか考えてないマスゴミならこんくらい言わないと逆に呑まれるわよ。相川さん、」
私がここに来た理由。随分と支離滅裂になりかけているが、根本は至極簡単で、殺伐とした世の中の一場面を色濃く切り取ったこの場には正直似合わない。
彼女は、同じ“なれなかった”真樹を信じていた。同じ境遇、同じ立ち位置、間違えた自分達を同じだと信じていた。
「なあに?」
「手、出して」
「爪でも剥ぐの?」
「そうじゃなくて、はい」
握手。半場無理矢理に。何が起きたのか分からず、力のこもってない彼女の手は、柔らかく温かかった。
「私と友達、やだ?」
「…は?」
「勿論ルビはライバルだけど。経過監察何時から?次に会うのは普通にファミレスがいいなードリンクバーあるし」
「…貴女ここまで来てそういうハッピーエンドが好みなの?生温い思想が皮膚の下を這い回ってるの?」
「ほんとに随分な言われようだ!まあ私に憎しみがあるだろうけどベリータルトに罪はないからちゃんと食べてね?差し入れしたから!あれ好きなんでしょえーっと…パティスリーなんたらのやつ」
「…善良に毛が生えたような一般市民は大嫌いよ。貴女には悪意すら感じるし。まーくんに聞いたんだろうけど、いきなりベリータルトって何なの。何も知らないくせに」
「何も知らないくせにってそれこそ火サスの崖っぷち犯の薄っぺらい犯行動機みたいな台詞だねぇ。ていうか大嫌いとか普通に言っちゃうんだ、モノには執着しないんじゃないのオフィーリアさん?」
「貴女が尼寺に行って死ねば万事解決なんじゃない?」
「え?どうせなら二人揃って行こうよ。で、尼寺乗っ取ってからダンシュタインの森動かしつつ我らが不幸な眠り姫たるヒュプノスまーくんに後ろから木製バット!マクベス片足入っちゃったけど、こんだけすればまーくんも百年の狂気からも目覚めるよ、きっと」
「…」
「…」
「…」
「…」
「…ドリンクバーは半年後ね」
「ハーイ了解しました」
ずっと繋いでいたままの手が離れる。私も彼女も、大概にして素直じゃない。
そして女の子とは、まるで何もなかったかのように笑い合うのが本当に得意だ。
顔を見合わせて笑う私たちの脳内にはきちんと、休戦協定の旗が立っているのだ。
「今度のケーキはオータムコレクションがいいわ」
「パシリか!栗のフロマージュ以外異論は認めませんことよ」
「あれ美味しいの?」
「月乃嬢愛しのまーくん的にはアリだって」
「じゃあそれで」
「オーケー、それじゃあおやすみオフィーリア。どうか永遠に」
「ありがとう嬉しいわ、醜い魔女さん。まだ午後四時だし寝ないけど」
「…わたしは後二人もいませんが?」
ダブルトラブルの旋律はどちらから口ずさんだものか甚だ疑問である。