白昼夢にはまだ早く



人生の中で一番辛い別れはあったか?


横に座る痩せ痩けた老人は僅かに残る酒をちびりと呑みながら、口を開く。
「なに?俺に言ってんの?」
青い酒瓶を片手にしていた青年は、ふいにかけられた声の方を向く。
そうすれば、にやりと口を上げた老人が青年と目が合えば掠れた声で会話を続ける。
「お前以外に誰がここにいるってんだあ。なあ?」
「ま、それもそうだなー」
肌寒い風が脇を通り抜けるのを感じ、青年はコートを身体に巻き付けるように身をよじる。
路地裏というのが一番表現にあっているだろうこの場所は、繁華街のゴミ捨て場に近いような場所で、至る所に酒瓶や店から出たであろうゴミ屑、どこからか持ってきたかも分からないような不法投棄まで揃っている。
待ち合わせをこの場所でと決めてから既に随分と時間がたっていた。
きっとどこかで厄介事に巻き込まれてしまったのだろう。何、来ない訳は無い。と妙に信用しきった関係に一人で笑いを堪えながら月の無い空を見上げる。
「生憎こんな夜に似合うような感動的な別れを、ありがたくもまだ経験した事はないよ」
「ししっ、そう強がんなぁ青年。お前は少なくとも一度は経験しているはずだ」
「……?」
砂が入っているグラスに再び口をつけ、わずかな酒を舐めるように呑む。
老人の痩けた骨だけの指先がグラスの縁をなぞり、ついた水滴を口に運ぶとぎょろりと浮き出た瞳で青年を見つめる。
「口塞いだって俺には分かんのさ。こんな見てくれでも頭は良くてな。一度見たもんは忘れねぇ。お前はあれだろ、海賊王のクルーだったガキだ」
「はっ・・・凄い記憶力だな」
相手の記憶に存在しているのを自分が知らないという事は厄介だ。
しかもだいぶ昔の話しだろう。
青年は赤髪を揺らし、老人に視線を向ける。
「なぁに。そんな威嚇せんでもええ。通報したって俺みたいな奴は相手にされないんでね。・・・俺はそんな事よりもお前の話しが聞きてえだけなんだ」
一瞬にして突き刺さるようになった空気をいとも簡単に緩ます老人に青年は叶わないと苦笑すると、コートを抱いている腕を頭上に伸ばし、縮こまらせていた身体を反らす。
「あいにくだけど、長ったらしい昔話しが出来る程俺には立ち止まってる時間はないみたい」
「ほう」
「仲間が来たみたいだからもう行くよ。それに、じいさんと昔話をするにはまだ俺は若過ぎるよ」
「年寄りを馬鹿にすると嵐に好かれるぞ」
「覚えとく」
立ち上がった青年は足元に置いてあった麦わら帽子を被り、コートを翻す。
路地裏を後にしようとした足は何かを思い出したかのように止まると、未だに座ったままの老人に向かって笑顔を向ける。
「辛い別れはなかったけど、最高の始まりは経験したばかりだ」
「……。しし、生意気な小僧だ」
「よく言われるよ」
肩をすくめた赤髪の青年は呑みかけていた酒瓶を老人に投げると、声のする通りへと向かう。
「憎たらしく育ったもんだなあ、シャンクス」
枯れた声で咳き込むように笑うと、老人は土産になった酒瓶の蓋を開ける。
潮の匂いがするその酒瓶は海賊を感じさせた。