「父上、母上が」

「分かっておる!次の休みは必ず帰ると伝えてくれ!」

「前もそう仰って帰らなかったでしょう!あ、逃げないで下さい!父上!」


遠くからそんな声が聞こえてきた。顔を上げて見れば走る山田先生とそれを追いかける利吉くん。このやり取りも結構見たなあ。利吉くんも大変だ。山田先生もたまには帰ったらいいのに。奥さん可哀想…。じっと見つめてぼんやり考えて、あたしは廊下を駆け抜けた。















「なんか無性に逢いたくなって来たら、何この仕打ち」

「図書室では静かに…」


図書室の戸を開けた瞬間、縄標が顔の真横に飛んできて柱にカッと刺さった。図書室の主は悪びれもせずしれっと呟く。ドタバタしたあたしが悪いと思うけどさ、あたし恋人だよ、彼女だよ、スウィートハニーだよダーリン!そんな危ないもの投げないでよ!まあ、慣れたけどね、長次の攻撃には。慣れるくらいに攻撃されて(怒られて)しまったんだけどね。長次は縄標を懐に仕舞うと止めていた作業を再開した。新しく入ってきた本のチェックをしているらしい。周りを見渡すと、誰もいない。長次ひとりみたい。カウンターに身を乗り出して覗き込む。


「山田先生は幸せ者だよね」

「…図書室では静」

「誰もいないから許して!それでさ、あたし山田先生みたいな家庭に憧れるんだー」

「……」


両手を貝殻みたいに組んで目を伏せて『うっとり』を体現する。長次は何か言いたそうな目をしていたけど諦めたようにふうと息を吐き出した。長次があたしに甘いことは知ってるんだよ、何てったって彼女だもん。攻撃されるけど彼女だもん。それを少し照れ臭く感じながら緩む頬っぺたを押さえた。


「奥さんは山田先生が大好きなんだよね。利吉くんもふたりが大好きだから、お使いに来るんだよね。なんかいいなあ」

「…いい、のか…?」

「うん。夫の帰りを待つ妻、ってかっこいい。山田先生も奥さんを信頼してるから待たせる訳でしょ」


そういうものか、と長次が呟いた。そういうものだよ。それに山田先生の奥さんも忍者なんだよね。お互い同じ仕事をしてたら大変さとか共感出来るよね。いいなあ。上手く言えないんだけど、なんかいいなあ。乱太郎くんから聞いたことがあるけど、山田先生は結婚記念日とかになるとしっかりプレゼントを贈るらしい。愛してるなあ、愛されてるなあ。優秀な息子もいるし幸せ者だなあ。自分のことではないのに何故だか、うへへ、と気味の悪い笑みを浮かべてしまった。長次はちょっと呆れたような顔をしている。失礼な男だ。


「長次はそう思わない?」

「…特には…」

「あたしは羨ましくて堪らないけどなあ」

「…羨ましがる必要は無いだろう」

「へ?」

「いずれ、私達もそうなる」


────一瞬、何がなんだか分からなくなった。耳の横に心臓が来ちゃったみたいに、自分の鼓動しか聞こえなくなる。呼吸が詰まる。何度も何度も瞬いて景色が変わらないことを確かめるとこれが夢じゃないことを改めて知った。夢じゃない。夢じゃ、ない。長次は確かに、そう言った。ごくりと唾を飲み込む。未だに作業を止めない長次の腕を掴んだ。長次はゆっくりと顔を上げてあたしを見つめた。その光を受けとめて、口を開いた。


「それ、プロポーズ?」

「…ぷ、…」


長次は「ぷ」の口のまま固まると首からじわりじわりと赤くなっていった。この男は自分で言ったことに気付いてなかったのか。『いずれ私達もそうなる』って『いずれ私達も夫婦になる』ってことでしょ。あたしが長次の帰りを待つ妻になるってことでしょ。そりゃ長次と別れるつもりは無いしずっと一緒にいるつもりでいたけど、結婚だとか、そういう将来的なことを口にしたことはなかった。だから、妙に照れる。あたしだって長次が赤くなる前から顔が熱いんだ。あたしが掴んでない方の手で長次は口許を押さえた。コホン、とわざとらしい咳払いをひとつこぼす。


「…お前は私についてきてくれるのだと、思っていた」

「つ、ついていくよ!当たり前でしょ!」

「……」


長次は一度視線を外して深呼吸をすると身体ごとあたしに向けた。新刊を横に置いて、袖を掴んだままだったあたしの手にそっと自分の手を重ねた。長次の手は熱くて汗ばんでいて、なんだかあたしまで緊張してしまった。長次の薄い唇が開く。だけどまた閉じる。瞼を伏せて、あたしの手を強く握った。それから瞼と唇を同時に開いた。僅かに震えて見えた唇からこぼれた言葉は、やっぱり震えていた気がする。


「…私が、卒業したら」

「う、ん」

「そしたら、その時は」

「うん」

「───結婚して欲しい」

「ん、」


その後は、言葉にならなかった。嬉しくて嬉しくて堪らないのに涙が止まらなかった。長次の大きなてのひらがあたしの涙を拭う。それでも涙は止まらなくてあたしは泣き続けた。悲しい時悔しい時、わんわん泣いたことがある。でも、嬉し泣きはしたことがなかった。悲しい涙と違ってあたたかくてやさしい涙。とても幸せで、幸せ過ぎて、少し怖い気がした。長次はいつもそう。あたしを幸せにするのが上手だ。あたしを幸せに出来るのはきっとこの人しかいない。あたしはこの人以外ついていけない。ああ、そう。そうだ。あたしは長次が好きだと、改めて想った。そしたら思わず笑ってしまった。

不意に、ギシッと廊下が軋む音がした。長次と目を合わせてから、ふたりで音のした方を向く。


「…あ、いやッ、出ていくべきか隠れるべきか迷ったんですが…!」

「わあ、先輩達、結婚するんですか…?」


そこには真っ赤になってアワアワしている雷蔵くんと目をキラキラさせている怪士丸くんがいた。ふたりの様子から見て、これは結構前から見られていたんじゃなかろうか。未だ触れ合ったままの手にカッと熱がこもる。視線だけでちらりと長次を見たら、もうもう真っ赤だった。真顔で真っ赤だった。そりゃそうだ。そういうことに免疫のない長次がプロポーズシーンを後輩に見られてたなんて恥ずかしいだろう。あたしだって恥ずかしい。恥ずかしい、けど。

身を乗り出して長次の首に腕を絡める。反対の手でピースして雷蔵くんと怪士丸くんに突き付けた。


「あ、あたし達結婚します!だからよろしくね!」

「わあ、ふふ、おめでとうございます」

「うわ、中在家先輩が!」

「え?わあっ長次!?」


長次がぐったりともたれかかってきた。やたら熱いと思って見てみれば長次は白目を剥いている。どうやら色々と限界がきたらしい。図書室では怪士丸くんがおめでたいおめでたいと手を叩く中で雷蔵くんが長次を冷やす為の氷を取りに、あたしは長次の顔をペチペチするという奇妙な光景が広がっていた。

くノ一教室で花嫁修行をしようかな。本気で考えて、照れ臭さにへらりと笑った。





Thank You Sakuya!
100829/ten

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