あれから満月が続くことはなかった。長次がいなくなった部屋は随分狭くなった気がした。たったひとりだけのスペースなのに変なの。夜ベッドに転がって床を眺める癖が出来てしまった。そんなことしたって意味無いって解ってるけど。

曖昧に毎日を過ごす私を無視して時間はどんどん過ぎて行く。あっという間に夏休みが終わって学校が始まった。

丁度いい、授業をしてれば何も考えずに済む。すぐに試験があるし勉強しよう。そう思ってたけど全然集中出来なくて試験はボロボロ。特に化学ではまた赤点を取ってしまった。お陰で私は放課後化学室に呼び出された。これじゃ夏休み中と変わりないや。化学室にはオカ先がいて紙コップでコーヒーを飲んでいた。私に気付くとにこっと笑う。


「ひとりだけ赤点おめでとう名前ちゃん」

「アリガトウ」

「まぁ座って」


…追試の説明か。溜め息を吐き出してオカ先の向かいに座る。オカ先は私の前に冷たい麦茶の入った紙コップを置いた。でもなんだか飲む気にはなれなくて目を逸らす。


「最近元気無いね」

「……」

「チョージくんと何かあったでしょう」


久々に耳にする名前に心臓がどくりと反応する。そう言えば長次の名前知ってるのオカ先だけだった。ここへ呼んだのは追試じゃなくてこのことだったんだ。膝の上に置いた手をぎゅっと握り締める。話せる人がいたことがすごく、救われた気がした。


「…オカ先、私が今から話すこと、信じてくれる?」

「うん?勿論」

「…あのね」


私は、ぽつりぽつりと話し出した。お兄ちゃんだと嘘をついてたけどあの人が長次だってこと。満月の日に突然現れたこと。室町時代の忍者で帰る方法が解らないからうちに泊めてあげていたこと。ケーキが好きでコーヒーが飲めなくて怒ると笑うこと。そんな長次を私は、好きになってしまったこと。でも長次は帰ってしまったこと。それがすごく苦しくてどうしたらいいか解らないこと。

馬鹿馬鹿しい話なのにオカ先は真剣な表情で最後まで聞いてくれた。オカルト好きだから興味があっただけかも知れない。それでも聞いて貰えるのは嬉しくてほんの少しだけ気が楽になった。


「…まぁお兄さんが長次くんだったのは解ってたけど」

「え!な、なんで」

「家族は旅行中って話したじゃない。お兄さんとふたり残るなんておかしいしちゃんと調べたら名前ちゃんちは4人家族だもの」


オカ先は私が思っていたより鋭いのかも知れない。コーヒーを飲み干して柔らかく微笑んだ。…驚いたり否定しないってことは信じてくれてるのかな。心の中でオカ先に感謝した。


「さて、名前ちゃんはどうしたいの?」

「…どう、って」

「このままでいいの?」


このまま?このままって、このまま苦しいままってこと?それは、嫌だ。


「他に彼氏を作る?」


それも出来ない。私は長次じゃないと嫌だ。それに忘れない、って言った。それが無くても私は長次を忘れたりしない。他の男に走ったりなんか絶対にしない。少なくとも今の私には長次が必要だと、思う。


「…長次にあいたい」

「そうだね」


どうしたいのか、なんて考えればいくらでもある。だけどまず第一に長次に逢いたい。長次に逢わなきゃ何も始まらない。オカ先は正解、と言うように手をぱちぱち叩いた。この人はいつも真正面から私を受け止めてくれるから有り難い。私はオカ先がいなかったらへこんでばかりだった。


「好きなら好きでいいって言ったの、覚えてるね」

「うん」

「後悔するくらいの『好き』なら諦めなさい。でも好きなら、へこたれるにはまだ早いでしょ?」

「…でも」

「満月の日って手掛かりがあるじゃない。会えないと決まった訳じゃないよ」


オカ先が立ち上がりカレンダーに近付く。指でなぞりながら今日の日付を見つめた。体ごとこっちを向いて、ふふふ、と笑った。


「今日、満月だよ」

「……っ」


勢いよく立ち上がる。椅子がガタンッと倒れる音で我に帰った。今日は満月?満月は、不思議で不思議じゃない日。長次が来たり帰ったりした日も満月だった。それなら今日も、もしかしたら?

もう、こうなったらなんでもいい。なんでも試してやる。うじうじ悩むなんて柄じゃない。絶対に長次に逢ってやるんだ。逢って、それで…ああもうなんでもいい!沈んでいた気持ちが沸き上がるのが解る。鞄を掴んで教室を出ようとしてオカ先に目をやる。でも私の目に映ったのはカレンダーの写真だった。


「…朝顔」

「え?あぁ、綺麗だね」


確かにアップで撮られた朝顔は綺麗だったけど長次が育てた朝顔の方が何倍も綺麗だ、とは言わないけど。カレンダーに近付いてじっと眺める。


「名前ちゃん、朝顔の花言葉って知ってる?」

「儚い恋、でしょ」

「それもあったかな。でもまだあるよ」

「え?」


花言葉ってひとつだけじゃないの?長次はひとつしか言わなかったからてっきりそれだけなのかと思った。オカ先はにこにこと笑って、あのね、と口を開く。





(教えられた花言葉は、)

人気急上昇中のBL小説
BL小説 BLove
- ナノ -