ふと、寒いと思った。おかしいな、真夏に寒いだなんて。布団は何処だ。目を閉じたまま手探りで布団を探す。手には何も触れない。


「―――っ!」


冷水を浴びたように私は一気に覚醒して跳ね起きた。部屋はシン…としていて誰もいない。ベッドの上は空のまま。そうだ、私は昨日長次の布団で寝たんだから。それなのにどうして長次がいないの。七松くんもいない。布団を巻き込みながら立ち上がり階段を勢いよく下って行く。リビング、キッチン、お風呂、トイレ。全部覗いたけど誰もいなかった。庭を見に行ったら昨日まで光ってたあの朝顔が、無かった。なんで、こんな。嘘だ。こんなの絶対に信じない!

短パンにTシャツの寝巻きのまま裸足で外に飛び出した。きっとまた海に行ったんだ。七松くんが来たから海で訓練してるのかも知れない。きっとそうだ。

だってそうじゃなかったら、なんなのさ。


「いっ、た…」


アスファルトは裸足の足に痛かった。小石が刺さって走るのをやめてしまいたくなる。メロスじゃあるまいし私はなんで走ってるんだろ。なんで、なんで、なんで。

海には朝早いからなのか誰もいなかった。家族も恋人も友達同士も、誰もいなかった。


「なん、で…」


なんでいないの。離れないでって、傍にいてって。帰らないでって言ったのに。足から力が抜けてその場にぺたんと座り込んだ。涙が零れそうになって眉間を絞る。泣きたくない。長次がいないなんて認めたくない。

どうして。なんで。すきなのに、なんで。

「…俺は、名前といたい」

傷付くのは解ってた。でも仕方ないじゃない、好きになってしまったんだから。一度好きだと思ったらもう止まらない。恋はそういう風に出来てる。好きで好きで恋しくて堪らなかったのに、なのに、消えてしまった。私といたいって言ってたくせに。私は、長次が思ってる以上に一緒にいたかったのに。

「…確かに、想っていた」

じゃあどうして帰ったの。傍にいてくれないのさ。考えても仕方ないことばかりが頭をよぎる。本当は『仕方なかった』なんてチンケな言葉で済ませたくない。それも本人がいなければ『仕方ない』のだけど。

でもいない。
長次は、帰ってしまった。










裸足のまま走った所為で傷だらけになった足を引きずるように歩いた。寝起きで飛び出したから頭もボサボサだ、情けない。でもそんなことも気にならないくらいに頭の中は真っ白だった。胸にぽっかり穴が空いたよう、ってこのことをいうんだろうな。玄関を潜って中に入る。リビングへのドアを開けようとして、気付いた。

人の声が、


「っ、……!」

「名前?」


―――ソファに座ってたのは、お父さんだった。キッチンにはお母さんがいてご飯を作ってる。私に気付くとエプロンで手を拭きながら近付いて来た。その様子を眺めて、あぁそっか、沖縄から帰って来たんだ、と思った。

そうだったね。ここに帰って来るのは、長次だけじゃなかった。ずっと長次といたから、解らなかったよ。


「電話しても出ない家にもいない。何処行ってたの?」


お母さんの声を聞いたら全身に震えが広がって、誤魔化すようにお母さんにしがみついた。


「名前?やだ、足から血が出てる。どうしたのよ」

「…うぅー…っ」

「泣いてちゃ解らないでしょう?名前ったら」


もう我慢出来ない。お母さんの胸にしがみついて私はずっと泣き続けた。お母さんは困りながらも私の背中を撫でてくれる。よかった。帰って来てくれて。今家にひとりになったら私、駄目になってる。

騒がしくなった廊下に気付いた妹が部屋から降りてきた。おねえちゃん、と小さな手が私の背中をぽんぽん叩く。お父さんの手が頭をぐしゃぐしゃにする。私を呼ぶ声が、そのどれもが私の望むものじゃなくて、ますます涙が止まらなかった。何も言えなくて苦しくて怖かった。長次がいなくなったことが、どうしようもなく怖かった。





(私はどうしたらいいの)

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