幸せを色に例えたならどんな色なんだろう。ふわふわなパステルっぽいイメージもあるけどくっきりしたビビッドなイメージもある。ああもう、例え切れないよ。


「ほらほらにやけてないで仕事してね」

「してるってばーこの怒りんぼう!」

「よだれ拭きなさい」


呆れた顔したオカ先に机の上にあったナプキンで顔をごしごし拭かれた。ちょ、流石によだれは垂らしてないしそのナプキン薬品拭くやつだし。「名前ちゃんなら大丈夫」ってふざけんなこら。でもすぐに頬が緩んでまあいいや、と思ってしまった。

別にのろけるつもりは無い。でも、私は今すごく幸せなんだ。目が覚めたらおはようって言う人がいて、おはようって返す人がいる。ご飯を食べて美味しいって言ってくれる人がいる。肉じゃがとか凝った料理は出来ないけど、美味しいって言ってくれる。それだけのことがすごく嬉しくて堪らなく幸せ。ご飯を食べて美味しいって言ったらお母さんが笑うのがよく解った。


「あーあ、だらし無い顔しちゃって。見てらんないなぁ」

「見なくていいよーだ」

「あはは。これ美味しいね」

「長次もそれ好きなの」

「じゃあ僕チョージくんと気が合うかもね」

「オカルトオタクと一緒にしないで」


おーおー庇っちゃって。オカ先はミルクレープを口に運んでおどけて見せた。庇ったつもりはこれっぽっちもないんだけど。純粋に長次はオカルトオタクじゃないから言っただけなのに。でもオカ先がいなければ私はずっと悩んでいた訳で、今回は突っ込まないでいてあげよう。教室の端から端までモップをかけながら走り抜けた。今日の夜ご飯は何にしようかな。豆腐ハンバーグで和風にしようかな。ハンバーグならスーパーでひき肉と玉葱を買えばすぐ出来るし。デザートにアイス買って行こうかな。まさか自分がこんな風に恋をしてわくわくするなんて思わなかった。ふんふん鼻歌を歌いながらモップをぶんぶん振り回す。オカ先がくすくす笑ったけど気にならなかった。


「ご機嫌だね」

「…えへへ」

「よし。幸せそうな名前ちゃんに免じて今日はもう終わろうか」

「え?でも…」

「いいのいいの。今日は僕もご機嫌なんだ」


早めに終わるのは嬉しい。買い物を済ませて早く帰りたいし。でも最近の私は早めに帰らせて貰ってばっかりだ。赤点とったあほ組なのに。オカ先はにこにこ笑って既に片付けに入ってる。そう言えば浮かれ過ぎて解らなかったけど今日のオカ先はいつもより表情がふにゃふにゃしてる。簡単に言えば私と同じ。にやけてる。もしかしてオカ先に彼女が?気になる。モップを掃除道具入れに突っ込んでオカ先にご機嫌の理由を訊いてみた。オカ先は頬を紅潮させて「ふふふ、それがねぇ!」と声を荒げる。あ、このパターンは。


「オカルト系の話なんだけどねぇ…」

「やっぱりか」

「満月が続いてるんだ」


オカ先の言葉に目を見張る。全身がぞわ、と粟立った。オカ先は私の様子には気付かず恍惚の表情で先を続ける。


「一昨日から続いてて、今日も満月だったら三日目突入!これってなんだろうねぇ、何か起こるのかなぁ…」

「なにか、って…」

「前にも言ったでしょう?満月が不思議で不思議じゃないって」


知ってる。鮮明に覚えてる。だってあの日、長次がうちに来たんだもん。忘れる訳が無い。さっきまで普通に出ていた声が急に掠れた。喉がカラカラに渇いていく。垂れ下がった両腕が震える。耳の真横で自分の心臓を聞いてるみたいに、聴覚は鼓動しか拾わなかった。

帰らなきゃ。早く。早く、家に帰らなきゃ。スーパーはもういい、家にパスタがあった筈。明日豪勢にするから今日は簡単なもので我慢して貰おう。気持ちは焦っているのに足が石になったみたいに動かない。


「名前ちゃん?」

「っわ、私帰るね!」

「うん?ばいばい?」


名前を呼ばれて我に帰る。急いで鞄を引っ掴んで教室を飛び出した。肉眼で確認するには時間が足りないけど、空がゆっくりオレンジ色に染まって行く。走って帰ってもこれじゃ家に着く頃に暗くなってしまってるだろう。別に暗くなるのが怖い訳じゃない。私が、私が怖いのは。

幸せで、忘れてた。
忘れてしまいたかった。
長次がここへ来てもう、
一ヶ月過ぎてたんだ。










玄関を開ける頃には空はすっかり藍色に染まっていた。私はそんなことなんかどうでもよくて、靴を脱ぎ捨てる。ばたばた走って明かりの着いたリビングへ飛び込んだ。ソファにはいつもみたいに長次が座っていてほっと息を吐き出す。長次は肩越しに振り返りお帰り、と言った。

その長次の向こう側に、人影が見えた。


「あれが名前か?」

「…失礼…」

「わはは、すまんすまん」


テーブルを挟んだ長次の向かいに胡座をかいて座る男の人が豪快に笑った。たった今の空の色に似たふさふさの髪と人懐っこそうな目。この家に長次以外の人間がいることは勿論、その人と長次が仲が良さそうに話してるのもそうだけど、私が一番びっくりしたのはその格好だった。

初めて長次を見た時と同じ、緑色の忍者服。





(空に満月なんて、知らない)

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