言いたいことがある。言えないことがある。解ったことがある。解らないことがある。全部がぐちゃぐちゃになって胸に溢れたのは、甘い痛みだった。
「この前はお兄さんが熱出したって言うから休みにしたんだよ。それなのに次の日も休むってどういうことなの。しかも無断で一週間も。君は赤点とった補習組って自覚あるのかな」
「スミマセン」
「棒読みなんだけど」
オカ先からばしんっと頭を叩かれた。やっぱり奴も教師、やる時はやるのだ。まあ無断で休んだのは悪いと思ってるし一週間はあんまりだったって反省してる。だから今日頑張って仕事こなしてるでしょう。オカ先に言われた仕事を黙々として、ついハァと溜め息が零れる。オカ先から奇異な見られた。私がオカ先をイタイ目で見ることはあったけどまさか見られることになるとは誰が思っただろう。てゆうか私が溜め息を吐いたら可笑しいのか。
私のテンションが低い理由はふたつ。ひとつは長次に貝殻を貰ったこと。もう割れないようにきちんと瓶に仕舞って飾ってある。貝殻を貰ったのは嬉しかった。だけど、次の理由でテンションが下がる。もうひとつは、これまた長次関係。
「オカ先私好きな人出来た」
「へぇ…え、うわっ!」
プリントをまとめながら言うとダンボールから新品のビーカーを取り出していたオカ先がずっこけた。視線をやると前のめりに床に倒れ込んでいて、伸ばした両手にはビーカーがひとつ。落としかけたのを慌てて拾ったみたいだ。私の言葉はそんなに同様するのか畜生。まあ、自分でもらしくないと思うけど。
「い、いきなりだなぁ…急にどうしたの?」
「急だよね、やっぱり」
「急だよ、それは」
私は、長次が好きだ。離れたくないと思うのも頼られたいと思うのも長次が好きだからだって気付いた。気付いたけど、何もしてない。長次にアピールする訳でもなく、普通にしてる。この一週間私と長次は多少気まずくなりながらも普通に生活していた(気まずくなってたのは私だけだろうけど)好きだと言えば何か変わるかも知れない。でも言えない。恥ずかしいのもあるけど、他にもある。
「でも駄目なの」
「え?もう失恋?」
「失恋っていうか、駄目なんだよ…好きって言っちゃいけないの」
好きだけど、それは言っちゃいけないこと。だって長次はいつか帰ってしまう。私の手の届かないところに行ってしまう。それなら言わない方がいい。言って傷付くのは私だし長次に取っても迷惑だ。だから、何もない。私と長次は交わることはなく、水平のまま。それでいい。それでいいと思うしかない。
なんて割り切れたら、人間みんな恋で悩んだりしない。
「もしかして一週間それで悩んでたの?」
「……」
「…ちょっと座りなさい」
言われた通りすぐ近くにあった椅子に座る。オカ先はダンボールを準備室に仕舞ってから私の向かい側に座った。
「どんな人を好きになったのか知らないけど、名前ちゃんより長く生きてる人間として言うよ」
「うん」
「この世にね、好きになっちゃいけない人なんていないんだ。だから好きって言っちゃいけない人もいない」
手を組んで、オカ先はまっすぐ私を見つめる。私は下唇を噛んでそれを受け止めるだけで、何も言葉が出て来なかった。
「好きなら好きって言ったらいい。せっかく好きになったのにそのまま押し殺してしまうのは好きだと思った自分に失礼だ」
「自分に?」
「勿論。気持ちを伝えた後は、僕には解らないよ。実るかも知れないし散るかも知れない。だけど現状を変えることは出来る」
一週間悩んでその浮かない顔ってことは、相当辛いんじゃない?
オカ先の人差し指が私の顎をぶす、と刺した。私はオカ先を見たまま下唇を離す。見えないけどたぶんくっきり歯形がついたそれを見てオカ先が困ったように笑った。
オカ先の言う通り。私は一週間悩みまくった。諦めなきゃいけない、諦めたくない。ふたりの自分の間を行き来して、今日に至る。結局のところ答えは出てない。日が過ぎればそれだけ長次が恋しくなるだけだった。
「うじうじ悩むなんて名前ちゃんらしくないよ。いつもみたいにドカン!といっちゃいな」
「…フラれたら慰めてね」
「いつでもおいで」
別に泣いてる訳じゃないけどズズ、音を立てた鼻を手で隠す。その途端携帯のバイブが鳴った。オカ先がいいよ、と言うのでお言葉に甘えてディスプレイを見る。それは家からの電話だった。家には家族はいない。いるのは、ひとりだけ。またいなくなられたら困るから電話の使い方を教えていたんだ。何かあったら電話してねって。出ればいいのに私はまた悩んでしまった。どうしよう。何かあったのかも知れない、でも、どうしよう。
「…このままでいいの?」
オカ先がぽつりと呟く。そうだ、私は変わりたい。気が付いたら通話ボタンを押していて、慌てて携帯を耳に押し当てた。
「も、もしもし!」
『…、…』
相手が静かに息を呑むのが解った。たぶんすごいからくり、とかって驚いてるんだ。
『…名前か』
「うん」
『…そうか…』
「何かあった?」
『……』
「…長次?」
無口なのは解ってる。それでも何も言われないのは怖い。ただでさえ姿が見えないから不安になる。消えたりしないだろうか。ちゃんと居るんだろうか。携帯を強く握り締めたら、ようやく声が聞こえてきた。
『…が…い…』
「え?」
『…けーきが食べたい』
思わず携帯を落としそうになった。目を小さくして、つい吹き出す。何を言うかと思ったらケーキって。うん、解った。買ってくるね、とだけ言うと長次は何も言わなかったから電話を切る。携帯をポケットに仕舞ってオカ先を見たらにこっと笑われた。
「チョージくん?何て?」
「ケーキ食べたいって」
「じゃあ今日はお開きだね」
「うん、ありがとう」
早く行きなさい。そう言うオカ先に甘えて学校を飛び出した。ケーキは三つ買って、一つはオカ先にあげよう。
長次はたぶん初めて食べたミルクレープのことを言ってるんだろう。でもあれは口実だと思う。長次はきっと私の様子がおかしいことに気付いたんだ。忍者だもんね、気付かない訳ない。だから電話をして、様子を伺った。そんなところだろう。携帯を出してリダイアルを押す。しばらくしてから、相手が受話器を取った。
「私だよ」
『…どうした』
「あのね、長次に話したいことがあるの」
『……』
「言いたいけど言えなかったことと解らないけど解ったこと。全部聞いて欲しい」
『…早く帰って来い…』
「うん」
ケーキ買ってからね、と言ったら長次が微かに笑うのが解った。
(もう悩まないよ)