馬鹿だ。一緒にいたのになんで守れなかった。なんで、何も出来なかった。握り締めた手で真横の木を殴り付ける。すると、後ろから肩を掴まれた。少し気まずさを感じながら振り返るとそこには不破先輩がいる。
「きり丸」
「…すみません」
「きっと無事だよ」
そう言って不破先輩はいつもみたいに優しく笑った。情けない。後悔したって仕方ないのに。走り出す不破先輩の後を追いながらくちびるを噛み締めた。
昼、街でなまえが山賊に拐われた。騒ぎを聞き付けた役人が現れた所為で山賊は逃げ出してしまった。急いで土井先生と一緒に学園に戻って、今俺は不破先輩と裏裏山に来ている。土井先生と山田先生は反対の山を、中在家先輩は街から山付近を捜索中だった。
「相手は馬だ。何処まで行くか分からない」
「何処までだって俺は捜しに行きます」
「…山賊はなまえちゃんを売るって言ってたんだろ?」
「はい。傷だらけだったし金に困ってるのかも」
「大方賊同士で喧嘩でもして負けたんだろう。…娘を売るとなれば、街から離れては意味が無いな」
「…役人が騒いでるから山に隠れてるんじゃ」
「その可能性が高いね」
なまえが売られる。考えるだけでゾッとする話だ。なまえは女だから売られるとしたら絶対に遊廓だ。遊廓なんか、一度入ったら二度と外へ出られない。そんなところへなまえをやるなんて絶対に許されない。俺は死にたくなる。走りながら、泣きそうになった。
「…街に行こうなんて言わなきゃよかった…」
「…それは違うよ」
ぽつりと呟くと、不破先輩が静かに否定した。顔を上げたけど不破先輩は前を見たまま俺を見てはいない。聞き間違えだったのか。軽く首をかしげると不破先輩は「実はね」と切り出した。
「今日着替えてからなまえちゃん、図書室に来たんだ」
「…え」
「きり丸と出掛けるんですけどおかしくないですか、って。すごく楽しそうに」
「……」
「なまえちゃんが挿してた簪はきり丸があげたんだろ?」
「…はい」
「宝物だって、言っていたよ」
紅い石の飾りのシンプルな、それだけのかんざし。それだけのものを宝物、って。喜ぶかなってなまえにあげたもの。それをなまえは今日、挿していた。赤い着物に合っていた。
違う、なまえに似合ってた。
「なまえちゃんは街に行けて嬉しかったはずだよ。何より、君と歩けて幸せだった」
「…でも」
「街に行ったことを後悔するのは間違ってるだろ?」
「……」
「またつれて行ってあげなよ。きっと喜ぶ」
また。そうだ、『また』なまえと街に行くんだ。その為にも早く見つけてあげなきゃ。すごく怖いだろう。泣いてるかも知れない。気が狂いそうになってるかも知れない。早く助けなきゃ。なまえにとって山賊は嫌な記憶しかない。…もしあれが、なまえの親の仇だとしたら。だからなまえは我を忘れて飛び付いたのか。そうだとしたら俺は本物の馬鹿だ。本当に、なんで守れなかったんだろう。
不意に先を走る不破先輩が足を止めた。息を整えながら不破先輩の隣に並ぶ。不破先輩は立てた人差し指を口許に当てて、下を見ろと視線で促した。素直に従うとそこには蹄の跡がある。
「まだ新しい。多分この奥だ」
「…なまえ」
「先生を呼ぼう。狼煙を上げるから待って」
不破先輩が狼煙の準備をする。俺は素早く火打石を弾いた。白い煙がすっかり暗くなった空に昇る。土井先生、山田先生、早く来て。早くなまえを助けて下さい。狼煙を上げて間もなく、そう遠くない山から石火矢を放つ音がした。よし、近くにいる。これならすぐに助けられる。その時だった。奥から、下品な笑い声が響いたのは。
思わず走り出した俺の腕を、不破先輩が掴んだ。先生が来るまで待てと怒鳴られた。でも待てなくて、俺は不破先輩を振り払おうと暴れた。嫌な予感がする。速く行かなきゃ。不意に頭をぽんっと叩かれた。この手、は。反射的に振り返る。
「行こうか」
「…はい!」
いつもと同じように笑う土井先生の後を追った。