「……」

「どうしましょう…なまえ様、どちらに行ってしまわれたのでしょうか…」


涙目でこぼす女中の旋毛を見つめて、静かに溜め息をついた。全く、あのじゃじゃ馬め。

お八つ刻になりなまえの部屋に団子を持って行けば主の姿は無く、慌てて稽古場や厠を覗いたが何処にもいない。殿に尋ねようと考えたが、もしなまえが誘拐されてしまったのであれば咎めを受けるのは自分だ。それは恐ろしい。そう考えたこの新人女中は中庭で突然私の名を呼んだ。そしてなまえを捜して欲しい、と縋ったのだった。今にも泣きそうな顔をして頼まれたのであれば断れない。齢は十二くらいだろうか。目尻に涙を溜めて項垂れている。


「なまえ様にもしものことがあったらわたし、わたし…!」

「…大丈夫だ…」

「えっ?」

「…私が捜してくる…」

「…あの…ごめんなさい、分かりません…」

「……」


声が聞こえないらしい。慣れない人間には無理も無いだろう、私は手で輪を作り大丈夫だから安心していいとの旨を伝えた。女中は分かったのか分かってないのか何度も頷いていた。

中庭を離れて馬屋を覗く。なまえお気に入りの馬が一頭、姿を消していた。思った通りだ。なまえはもう城にはいない。しかし、なまえが忽然と姿を消すのはよくある話であり、それを私が迎えに行くのも最早お決まりというやつである。あの女中は新人だからこのお決まりを知らなかったのだろう。早く慣れてくれると有り難い。若い娘に泣き付かれるのはどうにも居心地が悪いから。装束から着流しへと着替えて城を出る。なまえはきっといつもの場所で騒いでるに違いない。

城下町へ降りて見慣れた街並みを進んで行く。北の方へ外れたところに長屋がある。その長屋の裏は少し開けた広場になっていて、子ども達の遊び場と化していた。広場への入口に繋がれた見慣れた馬に思わずほっとする。良かった、居た。やはり居た。馬の顎を撫でるとブルル、と白い息を吐き出した。偉い奴だ、お前は。気付かれないように広場をそっと覗いたら、きゃあきゃあと甲高い笑い声が響いた。


「なまえ姉ちゃん、それおおきすぎるよ!可愛くない!」

「む。可愛くないかも知れないが、でも強そうだ!」

「やーだ!この雪だるまはお姫さまにするんだもん!」

「ちがう!さむらいにするんだ!」

「やだやだ!お姫さまがいい!」

「あー待て待て、これは大きいから侍にして、次に小さいお姫様を作ろう。な?」

「! うんっ!」

「じゃあおれ、かたなとちょんまげ作る!」


バカでかい雪だるまを作りながら笑うなまえと、年端のいかぬ小さな少女と少年が手を真っ赤にして遊んでいた。霜焼けになってしまわないだろうか。鼻や耳も真っ赤で痛そうだ。でも、楽しそうでもある。どっちが子どもか分からない。なまえは時々城を抜け出しては、こうして城下町の子どもと遊ぶことがあった。なまえ曰く「楽しいから」らしい。私の予想だけれど、子ども達はなまえの身分を知らない。だからこそこうして「なまえ姉ちゃん」と呼んで接してくれるのが、なまえは嬉しいのだろう。それに、純粋に城下町の様子を見たいのだ。…いや、ただ単に遊びたいだけなのかも知れない。その可能性を否定出来ないのが少し悲しく思えた。なまえ達を眺めていると、後ろの方からまた小さな少年や少女が駆けてきた。小さな少年がなまえの足にぴっとり貼り付く。なまえはハハッと笑っていた。


「おお、来たか!」

「ねーちゃんあそぼ!」

「あぁ、今日は何をしようか?」

「チャンバラがいい!」

「じゃあチャンバラをしようか」

「えー!なまえ姉ちゃん、先に雪だるま作ろうよお!」

「やーだー!ねーちゃんはおいらとチャンバラするー!」

「そうだなあ。じゃあ私は雪だるまを作るから、あそこの兄ちゃんにチャンバラをして貰うといい」


ぴっ、と。なまえの人差し指が私を指した。子ども達が一斉に私を見る。なんだ、バレていたのか。子ども達は一瞬目を丸くして、それから、ぱあっと咲いたように笑った。


「にーちゃん!」

「さむらいの兄ちゃんだ!」

「……」

「ほら侍兄ちゃん、こっちへ来て一緒に遊ぼう」


ちょいちょいっと手招きされて、私はゆっくり馬から離れた。降り積もった雪に足が埋もれる。冷たい。子ども達は寒くないのだろうか。元気だと思いながら近付いていくとさっきまでなまえの足にくっついていた子どもが私の足に突進してきた。その小さな頭を撫でてやる。子どもの体温は高く、とても温かかった。

『侍の兄ちゃん』というのは子ども達がつけた私の名称である。初めてなまえをここへ捜しに来た時にも今のように「あの兄ちゃんがチャンバラをしてくれるよ」となまえが言い出して、やむを得ず私は子ども達とチャンバラをすることになった。すると私が強かった為にそのあだ名がついたのだ。…強かったも何もこんな子どもに負けてられないだろう。とは言え大人気ないからわざと負けるようにしてある。忍者という身分を明かす訳にもいかないし、このあだ名は私に丁度いいように思えた。よかったなあと笑って次の雪だるまを作るなまえを見て、ハッとする。


「…なまえ」

「ん?なんだ?」

「…新しくお前に付いた女中が、お前が誘拐されたと…泣いていた」

「そうか。んー、ねねは泣き虫だからなあ」


あの女中は『ねね』というのか。なまえは特に悪びれもせずケタケタと笑っている。黙って消えたことを反省している様子は無い。これからあの女中は苦労するだろうな…まあ、どのみち慣れるしかないのだ。なまえの後ろ姿を眺めていると「帰ったら謝らないとなあ」とのんびり呟いていた。クイクイと袂を引かれて視線を下げる。程よい長さの枝を構えた子どもに、脱力するように目を細めた。

結構長いこと遊んでいたのではなかろうか。空に橙色が滲んできた頃、何処からか子ども達を呼ぶ女の声がした。母親だろう。子ども達は各々返事をして、なまえと私にまた遊んでねと叫びながら長屋へ消えて行った。子どもの居なくなった広場はやけに広く、静かに感じる。元々の姿がこうであるのに、なんとなく寂しさを覚えた。ぎゅ、ぎゅ、と雪を踏み締める音に視線を向ける。手を真っ赤にさせたなまえが、穏やかな顔をしていた。


「…私達も帰ろう…」

「見てくれ長次」


私の言葉を無視してなまえは自分の作った雪だるまを指差した。つられるように見たのは、ふたつあるうちの小さめの雪だるまの方だ。確かこれは『お姫様』の雪だるまだ。頭には簪のつもりなのか枯れ葉のついた枝が刺さっており、腹の辺りに大きな葉っぱがくっついている。多分これは扇の代わりなんだろう。しかし、この雪だるまがどうしたのか。なまえは雪だるまを見つめながら、小さく笑った。


「『お姫様』は小さくて可愛く、毎日綺麗なべべを着て、扇で口元を隠しながら、天女様のように優しく笑うらしい」

「……」

「なあ長次、お前、私が何に見える?」


雪だるまから視線を逸らして、なまえは私を見つめた。視線を外さないまま、ゆっくりゆっくりと両手を広げていく。雪を触っていた為に真っ赤になった手、テキトーに結んだだけの髪、化粧もしない顔。そこら辺にいそうな、町娘のような姿。

けれど、なまえは『姫』だ。

幾ら強かろうと戦に出て名を挙げようと、なまえが『姫』である事実は変わらない。箏の代わりに刀を手にしようとなまえが殿の娘である限りはどうしたって『姫』なのだ。本人はとうの昔にその名称を捨ているのだが、それでも『姫』だ。何故世間一般のそれとは違い戦に出ているのかと言えばそれは────否、今は関係無いだろう。なまえは何を思ってそんなことを訊くのか。真っ直ぐな視線から逃げるように目を閉じる。なまえが、何に見える、か。────何に見える?瞼を開くと何も変わらない主の姿が見えた。なまえが何に見えるかなどと、そんなもの、決まっているではないか。


「なまえは、なまえだ」


思ったことをそのまま言葉にする。言葉はすんなりと舌を滑り、なまえの耳へと放たれた。両腕を開いたままだったなまえの目が小さく揺れる。元から大きな目を更に大きく見開いたかと思うと眉間を絞り、盛大に吹き出した。身体を『く』の字に折り曲げて両手をバンバンと叩きながら、なまえは声をあげて笑う。何が可笑しいのかは分からない。だけどなまえは笑い続けた。先程自分で言った『姫の笑い方』とは程遠いくらい、派手に笑った。笑い過ぎて目尻に浮かんだ涙を掌で拭ってうんうん、うん、と何度も頷く。やがて顔を上げたなまえは、いつものように、太陽みたいに、明るく笑った。


「そうだな」


一言だけこぼすとなまえはそれ以上何も言わず、私の横を通り過ぎた。肩越しに振り返る。なまえは愛馬の顎を撫でながら微笑んでいた。手綱を握り締めてそのまま歩き出す。なまえはいつもそうだ。私が居る時、戦場で無い限りは馬に乗ろうとしない。私と同じように道を歩く。それは『姫』らしくも無ければ『侍』らしくも無い。一番しっくり来る言い方を言うのなら、なまえらしいことだった。


「帰ろうか。ねねが泣き過ぎて干からびているかも知れない」

「…誰の所為だ」

「む、耳が痛いな…」


ははは、となまえは軽く笑っていた。私が隣まで行くと漸く歩き出す。私よりも一回り二回り小さな身体は綺麗に背筋を伸ばしていて、凛々しかった。

きっとなまえはこれから先ずっと、私を隣で歩かせてくれるのだろう。それを誇らしく思う。だけれど、時々なまえを覆う悲しい影を、私が払うことは叶わないのだ。


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