なまえは一日に三時間以上の時間を稽古に費やしている。凄い時にはまだ夜も明け切れないうちから稽古場で素振りをしていることもある。体力馬鹿か筋肉馬鹿かはたまたどちらもか、とにかくなまえの稽古好きには感心を通り越して心配してしまうくらいだった。いくらタフとは言え身体は若い乙女のものだ。あまり酷使してはややが望めぬぞ、殿が嘆いていたことを思い出す。私としてはなまえにややを望んでいる殿に驚いた。あんなじゃじゃ馬にややなど、もうとっくに諦めているものだと思っていたから。

そんな私に任せられた仕事は『無茶をする前になまえの稽古を終了させること』。その為ある程度時間が経ったら稽古場に向かいなまえに稽古を終わるように言わねばならない。最初は不服そうにしていたなまえも「休憩は必要だな」と笑って納得していた。それからは決められた時間で、どれだけ効果的な稽古が出来るかを研究して、今のなまえが在る。なまえは絶対に鍛練を怠らない。前に、女である自分は只でさえ筋肉が付きにくいのだから人一倍鍛練を重ねなくてはいけないと、どこか悲しそうにぼやいていた。彼女は自分が女であることを、その上で侍になるということを、彼女なりに考えているようだ。しかし、だ。しかし、なまえは、かなり強い。女だというのは敵を油断させる為の偽りであり実は男ではないのかと思うくらいには、強い。普段は曇天さえ吹き飛ばすように明るく笑う彼女が刀を握った時の迫力は言葉に出来ない。戦場を駆け抜けるなまえを思い出してふうと息をついた。なまえはなまえで、ただそれだけだ。

カンッと竹光がぶつかり合う音がする。稽古場が近いのだ。ふと顔を上げて見れば入口に女中が四、五人程溜まっていた。迷わず近付いていけば私に気付いた女中のひとりがあっと声をあげる。それから周りの女中が慌てて入口を開けた。


「中在家様」

「道を塞いでごめんなさい」

「なまえ様なら中に」

「あ、また勝った…」

「流石なまえ様だわ」


こちらが何も喋らずとも女中は察してくれる。入口を開けながら、女中は熱に浮かされたような目で稽古場を見つめていた。正しくは稽古場の中にいるであろうなまえを、だ。なんだか呆れたような心地になりながら稽古場に足を入れる。熱気の籠るそこは一瞬季節を忘れさせた。ただそれも本当に『一瞬』だけ。熱気の籠るそこはもう、悲惨だった。

稽古場の真ん中に立つなまえの周りに若い男達が山のように積み重なって倒れていた。持ち手を失った竹光がそこら中に転がっており、皆ゼエゼエと息を荒くしてげっそりとしている。…誰一人として死んではいないが、死屍累々とはこういうことを言うのだろうとなんとなく思った。こういった光景は珍しいことではない。寧ろ毎日がこうだと言っても可笑しくないくらいだ。稽古姿が素敵だと女中らが見守りに来るのも、珍しいことではないのだ。なまえ、と名を呼ぶ。なまえは汗で顔に貼り付いた髪を掌で掻き上げて、楽しそうに笑った。


「────なんだ、時間か?なんだか今日はあっという間だったな」

「…随分、楽しかったようだな」

「あぁ!楽しかった!まだまだ足りないくらいだ!」

「…駄目だ」

「ははは、そうか駄目か!」


何が可笑しいのか、なまえは声をあげて笑う。稽古後のなまえはいつもそう。上機嫌だ。なまえは両手を天井へ伸ばして息を吐いた。放っておけばまた竹光を振りかねない雰囲気に竹光を取り上げようと手を伸ばしたら、不意に倒れていた若い足軽兵が立ち上がった。なまえよりも若いだろうか、顔付きが幼く見える。少し息が荒かったがそれを除けば目は爛々と輝いており、自分の竹光を強く握り締めていた。なまえは口元を緩めたまま足軽兵を見据えている。足軽兵はフウと呼吸を整えて唾を飲み込むと、真っ直ぐになまえを見つめた。


「…もう一度、手合わせを、お願い致します」

「……」

「お願い、致します」

「よし分かった」


何でも無いことのように、簡単になまえは頷いた。私の隣を通り過ぎようとするその横顔を見つめる。視線が交わることはない。時間は過ぎているのだが、こうなればなまえは話を聞かないだろう。私が妥協するしかない。なまえはどうしてこう自分勝手なのだろうか…。まるで母親のような心境になりながら私は床を蹴った。用も無いのにその場に居ても意味が無い。天井裏に移動して、こっそり溜め息を吐く。なまえと足軽兵は一定の距離を取ると静かに腰を落とした。衣擦れの音だけが稽古場を滑る。周りで倒れていた者達も顔を上げてなまえ達を見つめていた。先に動いたのはなまえの方。わざとらしいくらい大きなモーションで相手の首を狙ったのを、カンッという高い音と共に足軽兵が防いだ。

なまえの目が、手が、口が、髪が。全てが『楽しい』と伝えてくる。キラキラと言うよりは、ギラギラしている。なまえは身体を動かすことが好きだ。それが勝負事になればもっと夢中になる。なまえを見ているとふとした瞬間、私は、昔の親友のことを思い出すことがあった。あの男もなまえと同じで人の話は聞かないし身体を動かすことが好きだし、いつも明るく破天荒な奴だった。戦闘になると飢えた獣のようにしていたところも似ている。勝負事が好きで負けん気が強いのに、そのくせ戦は大嫌いなところや、時々ひどく臆病なところも、そっくりだ。

カッと乾いた音が響いた後、ダンッと鈍い音が稽古場を揺らした。なまえは上段で構えたまま、倒れて苦しそうに呻く足軽兵を見据えている。足軽兵は肋の辺りを押さえて何度も咳き込んだ。なまえの繰り出した一撃を、まともに食らったのだ。なまえは手加減が出来ない。『しない』のではなく『出来ない』のだ、考えるより身体が動くタイプだから。そんななまえの一撃は、防具も何も着けていない足軽兵にとっては留めになっただろう。肩で息をする足軽兵をじっと見つめて、なまえはスッと構えを解いた。


「悔しいのか」


足軽兵に近寄ることもせず、なまえは言う。足軽兵は返事もままならないようであったが、音が聞こえる程強く歯噛みしていた。悔しいのだ。なまえの言う通り、悔しくて堪らないのだろう。あまり年の離れていない若い娘に、こうも簡単にやられてしまうのがどうしようもなく腹立たしいのだろう。足軽兵自身が若い為にそれを受け入れられないのだ。何も言わない足軽兵に文句を言う訳でも無く、なまえは踵を返した。


「悔しいのなら良い。お前はまだまだ強くなる」

「…くッ…」

「だから明日、また勝負しよう!」


前半の台詞と後半の台詞に、かなりの温度差があった。ここからでは見えないがなまえはきっと笑っているんだろう。苦しそうに呻いていた足軽兵の眼が徐々に見開かれていく。倒れ込んだまま顔を上げてなまえを見つめていた。なまえは振り返らない。近くで呆けていた男に竹光を預けて歩き出した。


「しっかり休め、佐吉」


稽古場を出る直前口にした名前に、足軽兵が息を呑む。サキチという名前は、足軽兵のものだった。なまえが出て行った後周りに倒れていた同士達が佐吉に駆け寄る。大丈夫かと声を掛けられる中、佐吉はなまえが出て行った廊下だけを見つめていた。


「…なまえ様が俺の名を…」

「あ?怪我をしたのか?」

「…俺みたいな足軽の名を…なまえ様が…」


夢のように呟く佐吉を見て、目を伏せて、私は稽古場から離れた。

なまえの後を追うと、彼女は井戸で顔を洗っていた。表情が明るい。なまえはきっと嬉しかったのだ。あのように若い兵が血気盛んに稽古に励むのが、純粋に嬉しかったのだろう。佐吉は驚いていたがなまえは自分の部下の名前と顔は皆覚えている。それが新人だろうが冴えない者だろうが関係無い。なまえにとって身分というのは本当にちっぽけなモノなのだ。

だからこそこうして、私は、彼女の名前を呼べる。


「なまえ」

「おお長次、見ていたか?」

「見ていた。…よかったな」

「うん、そうだな!」


弾けるみたく明るく笑うなまえを見て、私もつられて笑うのだった。


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