春の、桜が散る頃だった。この城へ来たのは。在学中にこの城への就職が決まっていたから何度か見かけたことはあった。当然城の中まで見ることは出来なかったが印象は強かった。城のあちらこちらに桜や緑が生い茂っていたからだ。城主は自然を愛す人間なのだろうか。勝手に妄想を膨らませて実家から城への道を歩いたものだった。

城へ着いてから驚いたこと。城の人間が皆、活き活きとしていたこと。それから、私の主となる人間が城主の娘で年下だと言うこと。


「名は」

「中在家長次」

「齢は」

「十五に御座います」



初めてなまえと顔を合わせたのは城に着いて三日目の夜。燈台の灯りのみで薄暗い部屋になまえは、鎧こそ纏わなかったものの刀を差し武装して現れた。大股で部屋を横切り上座に音もなく座る。高く結い上げた髪が馬の尾のように揺れ、影を泳がせた。それを視界の端で捕らえつつ顔を伏せる。この時の印象は、幼いと、思った。こんな餓鬼に仕えるのか、など無体を考えたりはしないが、腑に落ちない。何故戦忍である私がこんな少女に仕えるのだろう。殿は、何をお考えなのか。不意にカチリと鍔が鳴った。視線だけを上げて見ればなまえが僅かに距離を詰めている。


「私はなまえ。これからお前の主になる者の名だ」

「……」

「長次よ、私に仕える前に、三つ条件がある。それが呑めぬなら殿にお頼みして主を代える。よいな」

「…御意」



女性で、それも年下の声音とは思えない程強く、凜としていた。ダイレクトに脳へ響くような、そんな声。主として人の上に立つ品格はあるのだと思った。シュルリと衣擦れの音がして、自分のところへ影が落ちる。なまえは上座から降りて私のすぐ近くに座った。すぐ近くになまえがいる。緊張で心臓が早鐘を打ち、口の中がからりと乾いた。顔を上げろ。変わらない声音が耳を突く。意識した訳では無いがゆっくり、ゆっくりと顔を上げた。


「一つ目。お前の命を私に捧げろ」

「…は。自分は忍に御座いますれば、命などはあって無いような」

「あァ、堅苦しいのはいいんだ。命を捧げるという証に、お前の髪をくれ」

「…髪、を」



なまえは私の返事を待たずに懐剣を取り出した。そのまま私へ手渡す。視線は真っ直ぐ、私を見ていた。強い双つの光────逸らせない。私は逃げるように懐剣を抜き、うなじのところで結んだ髪を掴んで、一気に断ち切った。

不揃いの髪が首筋を撫でる。頭と一緒に心まで軽くなったような気さえ、した。両手を添えてなまえに差し出す。なまえは上座にあった朱塗りの杯を取り、それに髪を乗せた。表情がどこか固くなったような気がしたが口には出せなかった。


「…二つ目。大丈夫か?」

「…なまえ様の御言葉のままに」

「お前は堅苦しい奴だな。二つ目は、敬語を使うな」

「…は?」

「堅苦しくなるな、様は要らん、私のことはなまえと呼べ」

「…、…何故」



無理だと言いかけて、口を紡ぐ。私は彼女の条件を呑むと言ったのだ。今更『無理』だと逃げることは許されない。なまえは目を丸くした。ここへ来て初めて見せる年相応の顔に、私は多少なりとも驚いた。そんな顔も出来るのか。そう思った。なまえは目を瞬かせて、そうして、ニッと歯を見せて笑った。


「だって、私は長次と仲良くなりたい」

「…なかよ、く」

「そうだ。仲良くなりたいのに敬語なんか使われみろ、私は絶対嫌だ。…堅苦しいのは苦手なんだ」

「……」

「殿には…父上には言ってある。お前が私と対等に話すことを誰かが咎めることはない」



人に咎められることを危惧した訳では無いが、頷いた。確かに仲良くなりたい相手に敬語を使われたら、嫌だろう。なまえは欲の無い人間だ。忍と武士では身分が違うのに、対等に接しろ、なんて。畳に両手を着く。深々と頭を下げた。なまえにこんなに深々と頭を下げるのは後にも先にもこれが最後だと思う。顔を上げて、目の前に手があった。私より一回り二回り小さく、けれどふしくれだった手。なまえはあの強い眼で私を真っ直ぐ見つめて、口を開いた。


「三つ目。絶対私より先に死ぬな。手足が千切れ目が潰れ、死より辛い辱しめを受けようとも、生きろ」

「……」

「この条件を呑み、私に仕えると誓うなら。私の手を取れ、長次」



────なまえの手は震えていた。そこで私は改めて、なまえが年下なのだと実感した。怖いのだ。自分より年上の男の命を預かるという意味の重さを、なまえはよく分かっている。なまえの双眸は未だ強く光っていた。

彼女が私の命を預かるのならば。私を背負って生きるのならば。それも、いいかも知れない。

小さい手を、そっと握る。握った瞬間震えが止まった。だけどなまえの手は、凍えてしまうくらい冷たかった。






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