初めて手にしたものばかり。全部あなたのお陰なの。


「なまえの髪、綺麗、だな」

「そ、そう?照れるなあ、初めて言われたよ」

「わっ、わた、しは、ずっと思ってい、いたがっ」

「うん、ありがとう。そんなに赤くならなくても伝わってるよ」

「……。何か手入れを?」

「ううん、何も。使っていた櫛もこの前折れちゃって髪はぼさぼさのまま」


先日フミちゃんが来た時にそんな会話をした。うん。しっかり覚えてる。覚えてるから、わたしは本当にびっくりした。


「…これって」

「櫛が折れたと言っていたから…き、気に入らないか?」

「そうじゃなくて…ほ、本当に貰っていいの?」


フミちゃんは大きく頷いた。今日もいつもと同じように訪れたフミちゃんと楽しくお茶をしていた。そしたらフミちゃんが突然「これを受け取って欲しい」と持っていた包みを差し出してきたのである。渡された品────櫛を、わたしはジッと見つめた。鼈甲で出来たそれは光沢感があってとても綺麗で、素人から見ても安物なんかじゃないことが分かった。大体鼈甲なんかどれも高価なはず。そんなものをハイドウゾと渡されてハイアリガトウと受け取っていいものだろうか。わたしとしてはあの他愛もない会話を覚えていてくれただけで嬉しいのだけども。櫛を手にあーだのこーだの悩んでいたらフミちゃんがふっと笑った。わたしは思わず目を丸くする。


「…なまえにと思って…選んだんだ。受け取ってくれると嬉しい」

「…本当にいいの?こんな立派な櫛…」

「要らないなら捨てて構わ」

「捨てないよっ!」


捨てる訳ないでしょう、せっかくの贈り物なのに。胸にしっかり抱き締めてフミちゃんを見つめる。フミちゃんは少し困ったように、でも照れ臭そうに笑った。

本当に嬉しい。本当に嬉しいから本当に驚いた。あれだけの会話でこんなに素敵な櫛をくれるなんて、フミちゃんは優しい。すごい。ただの甘味処の娘にどうしてこんなことが出来るの?武家だから?わたしとは立場が違うから?ウチは貧乏だ。フミちゃんみたいに綺麗な着物なんてひとつも無い。でもフミちゃんはこんな立派な櫛を、簡単にくれる。要らないなら捨てて構わないとさえ言ってのける。わたしとは、価値観が違う?


「なまえ?」


フミちゃんが不思議そうにわたしを呼ぶ。彼女の強い目がわたしをしっかり映して、少し細くなった。


「…済まない。負担だったみたいだ」

「ち、がうの。本当に嬉しいんだよ」

「じゃあ、喜んでくれ」

「……」

「…私達は…と、友達、だろう?」


────顔を赤くさせながら言うフミちゃんを、穴が空く程強く見つめた。彼女は今わたしに、なんて言ったの?私達は友達だと。そう、言ったの?思わず握り締めた櫛がきりりと悲鳴をあげた。そんな音すら綺麗で高級感を抱く。友達、ともだち。開いた唇が震えた。

気が付いたらわたしは櫛を顔に押さえて泣いていた。ぽろりぽろりとこぼれた涙が膝を濡らしていく。肩が震える。悲しくない。怖くない、辛くない。なのに、震える。


「どっ…どうした?具合が悪いのか?」

「ち、がう、ちがう、フミちゃん、わ…わたし…っ」

「落ち着け!」


突然大きな声を出されてびくりと身体を揺らす。それと同時に掴まれた両肩が熱い。恐る恐る顔を上げたら真剣な顔をしたフミちゃんがいて、パニックになっていた頭が一気に正気に戻った。まだ息は荒いけど涙はなんとか止まりつつある。落ち着いて何度か深呼吸を繰り返した。呼吸を整えてからゆっくり口を開く。


「わ…わたし、今まで友達がいなかったの。小さい頃に親が死んでずっと手伝いしてたから、ここから離れたことなんかなくて」

「……」

「…フミちゃんはお客さんだって思ってたから、だから」

「ばかたれ」


肩からフミちゃんの手が離れていく。少し名残惜しいと思った。見上げたフミちゃんは、とても温かく笑っていた。

わたしは心の何処かでフミちゃんと距離を取っていたのだと、今気付いた。フミちゃんは『お客さん』だって思っていた。深くまでは踏み込めない。踏み込んじゃいけない。だってわたしは『店の人間』でフミちゃんは『お客さん』だから。それ以外の関係は無いと思ってた。でも、フミちゃんは、違った。わたしにとっては大きい壁だった関係をフミちゃんは簡単に越えた。わたしを友達だって、贈り物までしてくれる。すごく温かくて強い。フミちゃんは、本当にすごい。


「言ったはずだ。私を客として扱わなくていいと。私は…なまえをずっと、友達だと、思っていた」

「…わたし達、友達…?」

「勿論」

「…フミちゃあああん!」

「ウワアアアアア!」


感動のあまりフミちゃんに飛び付いた。フミちゃんは悲鳴をあげつつもしっかり抱き留めてくれて、勢いあまってふたりして地面に倒れ込む。フミちゃんの胸に顔を押し付けて泣き喚いた。フミちゃんの顔が真っ赤になっていたのは少し面白かった。

その日からわたしの髪はさらさらになった。フミちゃんはなんだかどこか照れ臭そうにしていた。
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