きっとずっと、何も変わらないね。

お客さんが減ってきた昼下がり、少し休憩をしようと長椅子に座ってお茶を飲んでいた時だった。常連さんがやって来たのは。疲れも吹っ飛んだわたしは超特急でいつものメニューを用意する。ひとりは面白そうに笑っていて、ひとりはちょっと不機嫌そうに仏頂面をしていた。


「いらっしゃいフミちゃん、仙子さん」

「……」

「ふふ、こんにちは」


塩豆大福を渡すと仙子さんはにっこりと笑ってくれた。

わたしが文次郎さんとお付き合いを始めて一月が過ぎた。文次郎さんは時々店に来てくれるし、わたしも週に一回は忍術学園に行って文次郎さんに逢うようにしている。勿論文次郎さんは『文次郎さん』として逢ってくれる。ただし女装の授業中は別だ。こうして『フミちゃん』として訪ねて来た時は、わたしも『フミちゃん』として接する。彼は忍者だから時には素性を隠さないといけないこともあるんだろう。あまり詳しく分からないけど邪魔はしたくないから素直に順応しておいた。それにわたし、フミちゃん大好きだもの。文次郎さんと両想いになってからはフミちゃんに逢うことも無くなるのかと思っていたけど、意外とフミちゃんとの繋がりが消えることはなかった。さてさてしかし、なんでフミちゃんは不機嫌な顔をしているんだろう?仙子さんにちらりと目配せすると、仙子さんは手で壁を作って声を小さくした。


「あなたとの逢瀬に私がいるのが面白く無いのよ」

「あ、ヤキモチ?」

「喧しいッ!」

「まあやだ口が汚い」

「ぐフッ」


仙子さんに顔から下をバチーン!と叩かれたフミちゃんは食べていた大福を喉に詰めたらしく、激しく咳き込み始めた。咳き込んでるのは綺麗な着物を着た女の子なのに咳き込む声は男のそれだ。ミスマッチ具合につい吹き出してしまう。身体を折り曲げてゲホゴホと苦しそうに息を吐き出すその背中をそっと撫でてあげた。フミちゃんは相変わらずヤキモチ妬きだなあ。可愛い。って前に言ったら「やめてくれ」って怒られたから言わないでおく。フミちゃんはほんとうに可愛いのに。仙子さんと目が合うと仙子さんは綺麗に笑った。仙子さんはいつ見ても綺麗なひとだ。男のひとなんて嘘みたい。わたしはフミちゃんの隣に座った。


「フミちゃん、お兄様は今度いつ逢えるって仰ってた?」

「……」


フミちゃんは隣にいる仙子さんをちらちらと見てやたらと気にしていたけれど、すぐに諦めたように溜め息を吐き出した。仙子さんはなんだかニヤニヤしていた。


「…今度の休みは委員会の仕事だと言っていた。来週からは実習が始まるから、それが終わってからだと」

「じゃあこれ、お兄様に渡して欲しいの」

「?」


わたしは袂に入れていた小さな御守りを取り出してフミちゃんの手に乗せた。フミちゃんは目を丸くした後に、ハッとしたように肩を揺らしている。上質の糸で『安全祈願』と書かれたそれは、ここ最近毎日お寺に行って願掛けをしたものだ。

来週から実習が始まるというのは前から聞いていたから知ってた。でも学校に通ったことのないわたしには『実習』というものがよく分からなかった。だから先日忍術学園に行った時に小松田さんに訊いてみたのだ。小松田さんは少しだけ表情を硬くして、しっかり説明してくれた。実習とは実際に戦を見に行ったり、時には混じって闘うこともある、とても危険なものだという。それを聞いた時は身体の底から氷っていくような感覚に陥った。息も出来ないくらい怖かった。戦場なんて恐ろしいところに文次郎さんが行ってしまうなんて絶対に嫌だった。だけど、それは文次郎さんの将来を否定することになる。立派な忍者になるという彼から、目を背けることになる。

それなら、わたしに出来るのは、これくらいだから。


「無事で帰って来れるようにってお祈りしたの」

「……」

「ちゃんと渡してね」


手渡した御守りごとフミちゃんの手を握り締めた。ほんとうはちゃんと『文次郎さん』に渡したかったけど仕事があるなら仕方無い。手が震えてしまってることはばれてるかな。笑ってみせたのに、フミちゃんはなんだか少し険しい顔をしていた。フミちゃんのかさついた唇が少しだけ開くのと、フミちゃんの後ろから白い手がにゅっと伸びてくるのは同時だった。わたしとフミちゃんが目を丸くするも白い手は御守りをつまみ上げてしまう。白い手────仙子さんは御守りをじっと見つめた後、わたしを見た。まるで蛇に睨まれた蛙のように、わたしは動けなくなる。


「いけませんなまえさん」

「…えっ?」


何をイケナイと言われたのかが分からずわたしは間抜けな声を洩らしてしまった。仙子さんは御守りをてのひらに乗せてわたしに差し出しながらちょっと悪戯っぽく、だけど綺麗に笑った。


「こういう贈り物は自分で手渡さないと、意味が無いわ」

「…でも、だって、お仕事があるって…」

「お仕事ならきっと私の兄上様がしてくださいます」


仙子さんの言葉に一拍の間を置いた後、わたしとフミちゃんは同時に「えっ」と声をこぼした。仙子さんの言う『兄上様』はきっと『立花仙蔵』さんのことだ。仙子さんの、ほんとうの名前。その『兄上様』は文次郎さんと同室だからお仕事のこともよく知ってるのかも知れない。つまり仙子さんは「仕事を代わってやる」と言っているのだ。わたしがこの御守りを、文次郎さんに手渡せるように。仙子さんの顔をじっと見つめると、仙子さんはやっぱり悪戯っぽく笑った。


「仙子さんありがとう!」

「…い、いいのか?」

「当然、見返りは頂くわ」

「ぐっ」

「ふふ、今度の予算会議が楽しみ」

「ぐぐぐ…!」


ヨサンカイギ?というのはよく分からないけど仙子さんが愉快そうに目を細めてフミちゃんが悔しそうに歯軋りしてるからなんか大変なことなんだなあと思った。自分の手に戻って来た御守りをぎゅうっと握り締める。フミちゃんの横顔を見つめたら、フミちゃんは顔を赤くさせてうろうろと視線を泳がせた。フミちゃんは最初からずっと変わらない、こうして楽しい反応を見せてくれる。わたしを飽きさせることがない。────大丈夫だ。不安になりかけていた自分に呟いた。大丈夫。だって覚悟は決めたんだ。わたしはこのひとを信じるんだって。


「…じゃあ、今度の休みに逢うよう、兄に伝え」

「フミちゃん!」

「どわァッ!」


フミちゃんの言葉を遮ってフミちゃんに飛び付く。フミちゃんはびっくりして我を忘れたのかとても野太い悲鳴をあげた。しかもそのままふたりで後ろにバタンッと倒れてしまった。椅子からダイブした為なかなか痛かったけど、そんなことは気にならないくらい嬉しかった。フミちゃんの首に強く抱き着く。フミちゃんはわたしを引き剥がそうとしていたみたいだけどあまりわたしを乱暴に扱えないらしく両手がわたわたわたわたと空中を彷徨っていた。


「フミちゃんありがとう!」

「ハ、はッ…離…!」


フミちゃんは真っ赤になっていたし頬擦りすると顔がすごく熱かったし重なった胸からは強い鼓動が伝わってきた。これは生きてる音だ。いのちの声だ。わたしとは違う筋肉のついた身体付きが生きてきた道の違いを教えてくれる。それは怖いような気もしたけれど、でも心のどこかで安心している自分もいた。大丈夫、って。このひとはわたしよりずっと強いから。わたしを独りにはしないから。だからわたしは、このひとと生きるんだ、って。信じるというのはとても曖昧で、怖くて、不安定なこと。

だけど、しあわせなことだと、思うから。


「フミちゃん大好き!」

「離せエエエエエエエッ!」


フミちゃんの叫び声が空に響いて派手にこだまする。堪えきれなくなった仙子さんがふっと吹き出した。わたしもつられて声をあげて笑うと、なんだか懐かしいような、不思議なあたたかさに包まれたのだった。


- ナノ -