今までが楽しかったように、これからもきっと、わたしが退屈することはないと思う。

文次郎さんへのお返事を胸に、わたしは忍術学園を訪れていた。文次郎さんに会うのは一週間振り。門を前にして、今更ながら緊張してる自分がいた。ううう、緊張し過ぎてお腹痛い。朝も昼もご飯あんまり食べれてないし。返事をするだけでこうなんだ、告白するとなるときっともっと緊張するんだろうなあ。文次郎さんってすごい。…門の前で突っ立っていても何も変わらない。わたしはごくりと唾を飲み込んで、門を潜った。

久し振りの小松田さんに挨拶をして入門表にサインした。それから文次郎さんの居場所を尋ねると、どうやら文次郎さんは今中庭で委員会活動中らしい。今行って邪魔にならないかな?近くで終わるのを待つくらいならいいかな?小松田さんに中庭の場所を聞いてわたしは中庭に向かった。忍術学園は相変わらず広い。文次郎さん、すぐ見つかるかな。


「ギンギーン!」

「…いた」


すぐ見つかった。頭に鉄で出来た算盤を乗せてヒイヒイ言いながら走る四人の男の子を追いかける文次郎さんはギンギン叫んでいてなんだか楽しそうだった。文次郎さんの頭にも算盤が乗っている。あれが前に文次郎さんが話してた10キロ算盤なのかな。10キロを頭に乗せて走るなんてきつそう。四人の男の子達はみんなふらふらしているけど文次郎さんはスキップでもせんばかりの身軽さを保っていた。文次郎さんってやっぱりすごいんだ。少し気圧されてしまったけど、ここで止まってちゃ意味が無い。もう少し近付いて、委員会活動が終わるのを待とう。近くの日陰に入ってぱっと男の子を見ると、紫色の装束を着た子と目があった。わ、綺麗な子。もしかしてあの子、三木ヱ門くんかな?


「い、委員会長」

「なんだ」

「あの方、こ、こちらを見ておりますが…お知り合い、ですか?」

「む?あの方とは────」


不意に文次郎さんがこっちを向いて、ぴたりと動きを止めた。動きを止めたと言うよりはガチリと固まった感じである。あ、まずい、見つかっちゃった。委員会中なのに邪魔になってしまう。どうしよう、何処か目に映らないところに行った方がいいのかな。おろおろしていると文次郎さんはハッとしたように肩を揺らして、それから三木ヱ門くんに何事かを伝えていた。三木ヱ門くんは不思議そうにしていたけどこくりと頷くと、残りの男の子達を率いて走り始めた。すごいなあ、まだ走るんだ。感心しつつ眺めていたら、地面をざりざりと踏み締めて文次郎さんがこっちに向かって来ていた。


「…こんにちは文次郎さん」

「こっ…こんにち、は」

「足の具合はもう大丈夫みたいですね」

「は、はい。走る程度なら、問題は…」

「…文次郎さん」

「はっ…は、はい」

「お返事をしに来ました」


意外と詰まらず、すらりと出てきた言葉。文次郎さんの目が少しずつ見開かれていく。文次郎さんの口からア、と乾いた音が漏れた。薄く開いた唇が何か言いた気に震えたけど、何も言わないままクッと引き結ばれる。ああ、ドキドキしてきた。手が震えてしまう。文次郎さんはあんなに大きな声を出せてすごいと改めて思った。声すら出そうにない。出てもきっと小さい。だけど、それじゃ駄目だ。小さな声じゃ伝わらない。相手の目を見なきゃ届かない。真っ直ぐに、真っ直ぐに。背筋を伸ばして文次郎さんを見つめる。

大丈夫。覚悟は決めた。


「色々考えました。わたしは騙されてたのかなって」

「…それ、は…」

「だけど、そんなことどうでもよかったんです」

「…え?」

「だってわたし、フミちゃんの友達だから」


キョトンと目を丸くする文次郎さんに、袖から櫛を出して見せる。文次郎さんは驚いたように眉を上げた。光沢感のある鼈甲製のそれはわたしがフミちゃんに貰ったもの。わたしはこの櫛を貰った時、ほんとうに嬉しかったことを鮮明に覚えている。初めて出来た友達から初めて貰った贈り物を忘れる訳が無い。毎朝勿体無いような気になりながら大切に、大切に使ってる。わたしの宝物だ。


「わたしはフミちゃんを信じてました。ううん、今も信じてます」

「…は、はぁ…」

「だってフミちゃんは、わたしを独りにはしなかった。悲しませたりなんかしなかったもの」

「…はぁ」

「だから、わたしは文次郎さんも信じます」

「……………は」


フミちゃんがわたしに退屈な思いを一切させなかったみたいに、きっと文次郎さんもそうなんだと思う。だからわたしは文次郎さんを信じる。でもわたしは決して『フミちゃん』と『文次郎さん』を『ひとり』として見てる訳じゃ無い。もしもそう見てるならわたしは、文次郎さんにこんな気持ちを抱いたりしない。こうしてドキドキするのも緊張してしまうのも何もかも全部が、文次郎さんだから。櫛をきゅっと握り締める。わたしを後悔させないと言った、あの大声が頭の中で蘇った。わたしやっぱり、フミちゃんを信じてよかったよ。フミちゃんと友達になれたから文次郎さんとも出逢えた。覚悟は決めたんだ。

何があってもわたしは、このひとを信じるって。


「文次郎さんが、好きです」


初めて言葉にした気持ちは、その場所に静かに染み込んでいく。声にしたそれは自分の耳にやけに震えて聞こえた。下唇を強く噛む。いった。言った。ちゃんと伝えた。ちゃんと伝わったのかは、分からないけど。呆然としていた文次郎さんの顔が首からじわりじわりと赤くなって、息を呑むのが空気越しに伝わってきた。自分の顔が熱くなっていくのが分かる。笑いかけようとしたのに照れ臭くて照れ臭くてつい顔をしかめてしまった。文次郎さんは目を見開いたまま、慌てたように私に手を伸ばしかけた。その拍子に頭に乗せていた算盤が文次郎さんの背後に落ち、すごい勢いで地面に突き刺さる。彼は今の今までずっと算盤を頭に乗っけていたのであった。


「ほ…ん、とう、に、私なんかで、よろしい…ので、す、か」


落ちた算盤なんか気にせず、文次郎さんの乾いた唇から途切れ途切れこぼれた言葉に首をかしげた。わたしに伸ばしかけた手が首の後ろを忙しなく撫でている。ほんとうにって、よろしいのですかって。変なの。ほんとうによろしいから、気持ちを伝えたのに。文次郎さんはあの、その、えっと、あの、とぶちぶち言いながら視線をあっちへこっちへと泳がせている。なんだかおかしくなって小さく吹き出したら文次郎さんはビクッと身体を縦に揺らした。


「…フミちゃんじゃなくて文次郎さんがいいんです」

「え…」

「文次郎さんは文次郎さん、でしょ?」

「!!!」


いつか言った台詞をそのままそっくり言葉にすると文次郎さんは顔からボンッ!と爆発音を出した。額の辺りから空に向かって煙があがる。わあ面白い反応。堪え切れなくて顔を背けて笑っていたら、少し離れた草むらがガサッと揺れた。反射的にわたしと文次郎さんはそっちに目をやる。すると、何故だか三木ヱ門くんを端に横に並んだその他三人の男の子とばっちり目があった。え、どうしてそんなところに。まさか見ていたのかな。妙な沈黙を破ったのは隣でぷるぷるしていた文次郎さんだった。


「お…っ、お前達はそこで何をしている!ランニング五十周は終わったのか!」

「ひいッ見つかった!」

「逃げよう!」

「逃がすかこッんのばかたれ共がァアッ!」

「あ」


ひええええごめんなさーい!と逃げていく後輩達を文次郎さんは真っ赤な顔をしたまま全力で追いかけて行った。いつから見られてたんだろう。流石に恥ずかしい。早速水色井桁模様の装束の子を掴まえた文次郎さんは思わず目を瞑ってしまうようなゲンコツを落としていた。痛そうな照れ隠しだ。

真っ赤な文次郎さんを見てこぼれたのは笑う声と、言い表せないくらいの幸せだった。
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