週に一度、忍術学園へお届けする日。わたしにとって楽しみな日。

今日も爺ちゃんと一緒に山を越え忍術学園へ向かった。山を越えながら、爺ちゃんの息が荒くなっていることに気付く。そうだよね。爺ちゃん、もう七十過ぎてるし、きついよね。いつまで爺ちゃんとこうして山を越えられるかな。ぼんやり考えて、それ以上は考えたくなくて、考えるのをやめた。

入門表にサインをして門をくぐった。そこでわたしは爺ちゃんと別れる。爺ちゃんは大川様の庵へ、わたしは文次郎さんのところへ向かった。今日はちゃんと文次郎さんの分の塩豆大福を持ってきてあるんだ。フミちゃんが塩豆大福をよく食べるから文次郎さんもきっとそうだと思った。喜んでくださるといいな。文次郎さんの部屋の前に立つ。声を掛けようと口を開いたら、音もなく障子が横へ滑った。


「…おや。こんにちは」

「こっ…こ、こんにちは」


障子が開いた先にいたのは男の人だった。文次郎さんと同じ制服を着ているところから同い年の方なんだろう。だけど男の人は、ほんとうに男の人かと疑ってしまうくらい綺麗だった。長くて黒い髪は濡れてるのかと錯覚する程艶々してる。透き通るような白い肌。女から見ても息を呑むくらい、綺麗。その容貌に、わたしは、風のような彼女を思い出した。このひと似てる。仙子さんに、すごく似てる。男の人は何度か瞬いた後、にこりと微笑んだ。


「初めまして。あなたがなまえ殿ですね」

「は、はい」

「私は立花仙蔵と言います。文次郎とは同室の仲で」

「はぁ…」

「むさ苦しい奴ですがどうぞ寛いでいって下さい」

「誰がむさ苦しいだ!」


部屋の中から怒声が響いてついヒッと身体を揺らす。いきなり大きな声を出すからびっくりした。仙蔵さんはくすくす軽やかに笑うと会釈をして、髪を翻しながら廊下を歩いて去ってゆく。…綺麗。ほんとうに、歩く姿も様になってる。ぼうっと眺めた後ハッと我に帰り部屋の中を覗き込んだ。そこには自分の足に包帯を巻く文次郎さんがいて、ばつが悪そうに目を逸らした。


「文次郎さん、こんにちわ」

「は、はい。こんにちわ」

「今日は塩豆大福持ってきたんです。食べてくださいな」

「はい。ありがとうございます」

「塩豆大福好きですか?」

「はい」

「よかった。フミちゃんも好きだから、きっと文次郎さんも好きだと思って」

「は、ははハは…」

「…文次郎さん」

「はい?」

「もしかして包帯、結べないんですか?」


文次郎さんは右足に副え木を置いて包帯を巻き、だけどすぐに巻き直し、また巻き、巻き直し、を繰り返していた。文次郎さんはカチンと固まり、額からだらだらと汗を流している。意外。文次郎さんって何でも器用にこなしてしまいそうなのに。黙り込んでしまった文次郎さんをじっと見ていたらなんだかおかしくって小さく笑った。文次郎さんに近付き包帯を掴む。文次郎さんは目を丸くしていた。


「わたしが巻きますから足を伸ばしてください」

「いッ、いえ!大丈夫です!そんなことをさせる訳には」

「だって文次郎さんいつまで経っても結べなさそう」

「…ですが、その…足を触るなど…」

「え?」

「…汚いですから」


文次郎さんは語尾を小さくしてごにょごにょとこぼした。汚いから嫌がるなんて。わたしが言うのもなんだけど文次郎さんってば女の子みたい。文次郎さんの足は全然汚くない。骨張っていたり爪が欠けていたり脛毛が生えてたりするけど、全然汚くない。ずっと爺ちゃんと暮らしていたからかな。男のひとの手だとか足だとか、特別抵抗はないのである。わたしは気にせず文次郎さんの足首にそっと包帯を回した。副え木を当ててみて文次郎さんが痛がってなかったから、ゆっくり、強すぎず緩すぎず固定していく。最後にキュッと結んだまではよかったけど、見た目がぐちゃぐちゃしていた。うむむ、まあ、初めてにしては上出来かな。出来ましたよ、と顔を上げると文次郎さんはポカーンとした顔で自分の足を見つめていた。


「…お上手ですね」

「この前の伊作さんの巻き方を真似しただけですよ」

「え?…たった一度見ただけで、覚えているのですか?」

「はい。わたしがお菓子の作り方を覚えたのも爺ちゃんが作るのを後ろから見ていたからなんです。これでも物覚えはいいんですよ」


ちょっと不恰好ですけど。苦笑いすると文次郎さんはそんなことありません、と大袈裟なくらい首を横に振った。文次郎さんってば真面目。


「…祖父殿は、とてもお幸せでしょう」

「え?どうして?」

「なまえ殿のような優しく器量の良い孫娘がおられるので」

「えっ!へ、えへへ、そうですか?」

「はい」


なんだかとても優しげに言われてほんとうに照れ臭くなった。それは初めて見た、文次郎さんの表情。フミちゃんと重なるのは双子だからかな。男の子と女の子で全然違うのに双子って不思議。わたしは気恥ずかしさから頬を押さえながら口を開いた。


「わたし、小さい頃に両親をコロリで亡くしました」

「…それは、お気の毒に…」

「それから婆ちゃんと爺ちゃんと暮らしたけど、婆ちゃんも一昨年風邪をこじらせて…爺ちゃんは大切な家族です。ずっと一緒にいましたから」

「…そうでしたか」

「だからわたし、文次郎さんが羨ましいです」

「わ、私が?」

「お父様もお母様もいてフミちゃんがいて、お友達もたくさんいて。わたしには無いものばかりで羨ましいです」


文次郎さんは何も言わなかった。そんなつもりではなかったけど、対応しにくい話をしてしまったな。気まずい雰囲気になりながら俯くと、先に沈黙を破ったのは意外にも彼だった。


「いつでもここにいらして下さい」

「…え」

「ご両親やご兄弟はどうしようもないですが…友人は、これからたくさん作ればいい」

「……」

「だから…その…」

「…じゃあ、また、来ます」


なんだか嬉しくなってそう言えば、文次郎さんは、照れ臭そうに視線を逸らした。


「…お待ちしています」


わたしは、大きく頷いた。
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