「よし、今日はここまで」

「はい!」

「はは、やけに気合い入ってたな。どうしたんだ?」

「強くなりたいんで!頑張らなきゃ!」

「うん、いいこといいこと。頑張り屋は好きだよ」

「へへへ」

「マルコも振り向く訳だね」

「う」

「…おや真っ赤。そんなんでやってけんのかねェ」

「な、慣れますよきっと」

「慣れる?ほんと?」

「ほんとに!」

「キス出来る?」

「出来っ…で、でき」

「る?」

「…………る」

「ふぅん」

「う、そういう話はやめませんか」

「どういう話だよい」

「ぎゃお!」


突然後ろから声を掛けられてあたしは怪獣みたいな悲鳴をあげた。よく知った声に振り返ってみればそこにはマルコさんがいる。イゾウさんはあたしの前にいるんだから、イゾウさんはマルコさんがいることに気付いてたはずだ。わ、わざと教えなかったな!イゾウさんを睨み付けるとイゾウさんはケロッとした顔をしていた。畜生綺麗だなこの人。何でもないんです、と首を振ったらマルコさんはそれ以上何も訊いてこなかった。


「お疲れさん」

「あ、はい」

「んじゃなまえ、痛めたとこあんならアイシングしときなね」

「はい!ありがとうございました」


イゾウさんは木刀を片手に、空いたもう片方の手をひらひらさせながら船内の廊下の方へと歩いていった。マルコさんとあたしだけになった空間に風が吹き抜ける。空高くでカモメが鳴いていた。なんとなくマルコさんに視線を向けて、あたしは目を見張った。あたしの視線に気付いたマルコさんが軽く笑いながら腰に手を当てる。


「似合うだろい」


腰────正しくは腰に巻いたウォレットチェーンには、かなり見覚えがあった。だってこれはあたしが買ったものだ。マルコさんにプレゼントしようと思って買ったもの。シャンクスの船に飛んでしまった時はなくしたかと思っていたけど、マルコさんが持ってたんだ。骨格のしっかりとした腰に巻かれた少し太めのそれは強い存在感を放っている。まるでこうなることが決まっていたかのように、マルコさんにぴったりに思えた。何か言わなきゃと思うのに、声が出ない。マルコさんがそれを巻いてくれてるのがすごく嬉しい。肩をすくませて笑って、恥ずかしくなって持っていた木刀を握り締めた。


「使ってくれたんですね」

「おれにくれたもんなら使わないと失礼ってもんだろい」

「へへ、嬉しい」

「ありがとよい」

「いえ…わあっ!何!?」


首を振っていると船から少し離れたところの海面がボコッと盛り上がった、かと思えばブワァッと噴水した。船の縁まで行って身を乗り出してみる。よく見れば海面から盛り上がったそれは、クジラの背中だった。おお、生のクジラ初めて見る。でっかいなあ。派手な音を立てながら潮がばらばらと海面を叩いている。吹く風が少し冷たく感じた。すごいすごい、クジラだ。写真とか撮りたいけど携帯が無いや。初めて見るクジラに興奮気味になってマルコさんへ振り返った、はずだった。あたしの視界は肌色で埋め尽くされている。


「クジラか。久々に見たな」

「…ハ、い」

「…何固まってんだよい」


いや固まるだろ。アホか近いわ。マルコさんはあたしを覆うようにして縁に両手をついていた。マルコさんの腕に囲まれてあたしは全く動けない。しかも距離が近い、というか無い。マルコさんの胸と背中が密着している。い、いつの間に近付いたんだ。全然気付かなかった。てゆうか距離近いマジで近い息出来ない。油が足りないブリキ人形みたくぎこちない動きで後ろに向けていた顔を前に戻した。クジラが逃げるようにして海中に潜っている。…会話の種がなくなったじゃねェかクソクジラアアアア。波を打つだけになった波を睨み付けてあたしは軽く俯いた。マルコさんは何も言わない。これは大人の余裕ってやつだろうか。畜生むかつく。振り返れない。振り返ってみたいけど振り返れない。手にやな汗かいてきた。どうしよう。


「なまえ」

「はっ、はい!」

「緊張してんのかい」

「…し、シテマセン」

「本当に?」

「ホントウニ」

「面白ェ奴だ、お前」


マルコさんの顎があたしのつむじに乗っかった。聞こえる声は穏やかで、どことなく優しい気がする。


「空から落ちてきたお前と、まさかこんな風に恋人になるとは思わなかったよい」

「…あたしもまさかって感じです」

「お前、勝手に消えたりしてくれるなよい」

「…へ」

「…消えたくなったらせめて、一言言って行け」


少しだけ力の消えた声に、ちょっとだけ振り返ってみた。マルコさんは目を細めて海を眺めている。あたしが突然消えたことがそんなに堪えたのかな。そう思うのは、自惚れかな。

空を見上げる。あたしはこの空から落ちてきたんだと思うと、とても信じられない気持ちだった。大体人間が空から降ってくるなんてそんな非現実的なことがある訳無いし、仮に有り得たとしてもそこは異世界で、海賊がいたり見たこともないような生物がいたり悪魔の実だとかいう不思議な食べ物があったりするだなんて、夢みたいだ。夢じゃなかったら頭がイカれてる奴の妄言だと思われる。それくらい有り得ない話なんだもん。

そんな有り得ない世界で、あたしは、生きる理由を見付けた。


「消えないですよ」

「…え?」

「あたしは何があっても、ここにいますから」


マルコさんの身体に自分の重心を預けた。マルコさんは目を丸くしてあたしを見下ろしていたけど、すぐに眉間に皺を寄せて笑った。そうだ、マルコさんは笑ってる方がいい。あたしは消えたりなんかしないんだから、心配なんか要らない。決めたんだ。あたしはここにいるんだ、って。後悔するようなことになったとしても、それでもあたしはこの人と離れたくない。この人と生きていきたいと思う。

これからたくさん強くなって、親父を海賊王にすること。その瞬間を見届けること。

それから、マルコさんと幸せになること。

それが今のあたしの、生きる理由。


「好きですマルコさん」

「…おれも、好きだよい」


マルコさんの無精髭の生えた顎に額をすり寄せる。ちょっと痛かったけど離れたくないから何も言えなくて、照れ臭くて笑った。マルコさんもつられるように笑ってた。その後廊下からニヤニヤして覗いてたエースとサッチに気付いたマルコさんが殺気全開で追いかけ回していた。

真っ青な空を見上げる。何処までも何処までも青い空。


「────いい天気」


懐かしい声がしたような気がして、あたしはまたひとり、小さく笑った。





fin

人気急上昇中のBL小説
BL小説 BLove
- ナノ -