なんとなくちょっとした気恥ずかしさを携えてマルコさんのところに行くと、まずあたしに気付いたのはイゾウさんだった。イゾウさんは一瞬目を丸くした後、すぐニッと楽しそうに笑った。


「マルコを迎えに来たの?」

「マルコさんが酔ってるって聞いて、面白そうだから見に来ました」

「…ぷっ、まァ、お前らしいな」


なんだそりゃ。イゾウさんはくすくすと軽やかに笑いながらあたしに手招きした。素直に従って近付けば、イゾウさんのすぐ隣にいるマルコさんと目があった。目があって、わたしは口をポカーンと開けてしまった。…マルコさん、顔が赤い。目とか軽く据わってるし。どこか気怠そうに瞼を半分伏せる様子は眠たそうにも見える。なんて言うか、すごい。こんなマルコさん初めて見た。酔ってるというのは本当らしい。大丈夫かなこれ…。マルコさんは観察するみたいにあたしをじいっと見つめたまま動かない。手にしたジョッキが危なっかしく揺れている。周りにいたイゾウさんに続いてビスタやジョズさんがハハハッと笑った。


「どうだ、面白いだろう?」

「だ、大丈夫なんですかこれは…」

「いつもの倍以上飲んでいるからな、酔いが回ったんだろう。そこに転がってる酒樽は全部マルコが空けたんだ」

「はァ!?」


ジョズさんが指を差した先にはすっからかんになった酒樽がごろごろと転がっていた。そりゃあ確かに、マルコさんは酒豪だ。かなり強い。この船じゃマルコさんとサッチに敵う人は親父以外いないだろう。因みにイゾウさんは清酒だけなら幾らでもいけるけどそれに洋酒が混ざるとすぐにダウンしてしまうのである。てゆうか、いくらマルコさんでもこれだけ飲めば酔うだろ…。空の酒樽を軽く蹴る。あたしのキックに耐えきれず酒樽はゴロンゴロンと転がっていった。全く、いい歳こいてなんで考えて飲めないかな。明日二日酔いになるぞ。マルコさんの隣にしゃがむ。マルコさんは相変わらずあたしを見つめたまま、一言も喋らない。


「マルコさん大丈夫ですか?水飲みますか?」

「……」

「マルコさーん?」


目の前で手をひらひらさせてみても反応がない。ただの屍のようだ、なんちって。だけどこれは本当に大丈夫なのかな。普段とかなりかけ離れた姿に不安を感じたあたしはううん、と考え込んだ。取り敢えず水だ。水を飲ませよう。マルコさんの手でゆらゆらと揺れるジョッキを取って少し離れた所に置いた。


「マルコさん、水飲みましょう。危ないからこれこっちに置いときますね」

「お。おれ達はお邪魔虫かねェ」

「ちょっ、別にそんなの気にしないで下さ」


ニヤニヤと笑うイゾウさんに向かってぶんぶんと両手を振った瞬間だった。あたしは、マルコさんに抱き寄せられていた。

いつ手を伸ばしたのか。力を込めて引き寄せられたのか。理解出来ないくらいの速さで、あたしはマルコさんの腕の中にいた。隣にいた状態で肩を抱き寄せられたからほぼ倒れ込むような形になっていて胡座をかいたマルコさんの膝がお腹に食い込んで苦しい。────いや待て、それどころじゃない。それどころじゃない。大事なことだから二回言いました。見開いた視界にマルコさんの黒いシャツが映る。逆に言えばそれ以外見えない。それくらい距離が近い、から。マルコさんは両腕をフル活用してあたしを強く抱き締めた。圧迫感と動悸の激しさで息が出来ない。め、目の前が、ちらちらしてき、た。


「こりゃだいぶ酔ってんな」

「なまえ、大丈夫か?」

「いや、なまえも真っ赤だ」


イゾウさんとビスタとジョズさんがハハハと爽やかに笑っているのをどこか遠くで聞いた気がした。イヤイヤイヤ、ふざけんな。助けろ。動けないんだぞ。いやドキドキしてるのも当然だけどマルコさんの力が強過ぎて本当に動けない。酔ってる所為か力加減が出来てないのだ。背中に回った腕が痛くて、熱い。いやマジでこれどうしたらいいの。なんでこういう時にお兄ちゃんは助けてくれないの。なんでマルコさんは一言も喋らないの。後頭部の近くで吐き出された息からはアルコールの匂いがする。こ、これはあたしが何とかしなくては!ハッと我に帰ったあたしは無我夢中でマルコさんの肩を押し返した。


「マっ…マルコさん!離して下さい!」

「嫌だ」

「いィ!?」

「絶対に、嫌だ」


ちょっ…ちょっと、待て。予想外過ぎる発言に頭が真っ白になってしまった。何とかしなくては、と思ったけど、これは何とか出来ない。てゆうかコレ誰ですか。本当にマルコさんなのかコレ。イゾウさんが必死に笑いを堪えてるのが分かる。くっくっく、って聞こえるもん。畜生他人事だと思いやがって!しかもさっきから頑張ってマルコさんの肩を押し返してるんだけどマルコさんはびくともしない。この人実は機械なんじゃないのかな。マルコさんは落ち着くどころかヒートアップしていく。ぎりぎりと強く抱き締められてあたしは本当に死にそうだと思った。背骨軋んでる。ちょっとこれ『抱き締める』とかそんなロマンチックなものじゃないよ!どっちかって言うと『締め上げる』のがぴったりなくらいだよ!


「ま゙…っ…る、こさ…っ、まじ、むり…!」

「離したくねェんだ」


リアルに霞みかけた視界が、一瞬真っ白になる。聞こえてきた声は熱に浮かされているように不安定で、少しだけ震えてるみたいだった。


「…離したく、ねェんだ」


確認するみたく呟かれた同じ言葉に、あたしは身体の奥がざわつくのが分かった。じりじりとした痺れに似たものが腕へ足へと伝わっていく。動けない。声が出ない。どうしよう。こんなマルコさん、マルコさんじゃない。どうしよう、どうしようほんとに。

嬉しくて堪らない。

不意に右胸に強い鼓動を感じた。いや、最初からずっと感じていた。マルコさんの心臓の音。身体が熱いのはお酒の所為だけど、なんだか、傍にいるなあと思った。実際距離が無いくらい傍にいるんだからそんな風に思うのも可笑しな話だけど、でも唐突にそう思った。マルコさんにもあたしの心臓の音が伝わってるのかな。それはそれで恥ずかしいけど、なんとなく心地好い気もする。押し返したままの形で止まった手がだらりと垂れ下がる。もう、いいや、このままで。苦しいけどいいや。不謹慎にも緩む頬が自分でも分かった。


「────見せ付けてくれるなよ馬鹿息子が」


低く響いた声に一気に現実に引き戻される。ハッ、と我に帰った時には、目の前からマルコさんが消えていた。遠く離れた船首の方の縁にぶち当たって軽くめり込んでいた。

…な、何が起こったんだ。呆然としていたら隣でグララララとあの独特な笑い声をあげる親父がいて、あたしは顔に熱が集中するのを感じた。み、見られていた、のか。親父に。軽く掲げられている右の拳からマルコさんは親父によって吹っ飛ばされたのだと理解した。


「あまり見せ付けてくれるななまえ。妬いちまうだろう」

「…あたし何もしてない…」

「ははははは!いやァ面白いもんが見れた」

「親父にぶっ飛ばされるマルコなんて何年振りだろうな」

「イゾウさんにビスタ!なんで助けてくれないんですか非道いですよジョズさんも!」

「お前も満更じゃなかっただろう」


ジョズさんの冷静な切り返しにあたしはぐうっと言葉に詰まった。そ、そりゃあ確かにそうですけど…。何も反論出来ず黙り込んでいると復活したマルコさんがふらふらとこっちに歩いてきていた。途中エースに絡まれていたけど無視していた。顔、まだまだ赤い。やっぱり酔ってるんだろうなあ。頬の熱を冷まそうとぺちぺち叩いた。親父が酒瓶を片手にまた笑う。


「マルコ、おめェ頭冷やして来い。羽目を外し過ぎだ」

「…そうだねい…親父の、言う通りだ」


お、と目を丸くする。やっとマルコさんが会話らしい会話をした。今の衝撃で少しは酔いが醒めたらしい。マルコさんはふらふらふらふらしたままこっちに近付いて来る。あたしの隣に並んだ時、何故だか、がしりとあたしの腕を掴んだ。その場にいた人間が目を小さくする。…いや、ちょっと待て。何故だ。驚くあたしと裏腹にマルコさんはあたしの腕を掴んで船の縁へとのぼった。いやマジで何してんのこの人。マルコさん危ないですよ、と腕を引いた。ゆっくりとした動きであたしを見下ろすマルコさんの目は、とろんと据わっている。

嫌な予感が、した。


「頭を冷やすから、お前も来いよい」

「……ッ、待っ────!」


ぐいっと引っ張られた時にはあたしの身体は空中に投げ出されていた。言わずもがな、船の外────海へと。掴まれた腕は勿論掴まれたまま、あたしとマルコさんは重力に逆らうことなく海へと吸い込まれていった。

ザンッと海に落ちる音と親父達がげらげら笑う声が聞こえたのは、ほぼ同時。


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