雪崩れ込む勢いのあまりべしゃっと先頭が転ぶ。だけどすぐに立ち上がりキッとこっちを睨んだ。あたしを視界に入れると、エースは驚いたように目を見張った。エースだけじゃない。サッチもジョズさんもハルタさんもビスタさんもラクヨウさんもフォッサさんも、みんないた。


「…みんな、なんで」

「シャンクスが妹を連れて来た、って」


ぽつりとこぼれたエースの台詞に顔をしかめる。シャンクスのアホ、気付かれたくないって言ったのに。なんで言っちゃうかな。エースはなんとなくふらふらとした足取りであたしに近付いて来る。エース、笑ってない。怒ってるのかな。叩かれるかな。思わず後ずさる。エースの動きがぴたりと止まった。エースの眉間に険しいくらいの皺が刻まれる。睨んでるのとは違う、悲しそうな顔。


「今言ったことは、本当なのか」

「……」

「船を降りたいって…お前、本気で言ってんのか!」


ああ、聞かれてたんだ。今の話。なんだか申し訳無いような気持ちになったけど謝るのは違う気がした。声を荒げたエースはまた一歩前に出る。あたしは動けなかった。


「なんでだよ!なんでそんなこと言うんだ!」

「…まって」

「どうせマルコだろ!あんな奴気にすることねェじゃねェか!」

「まってってばこのばか!」


ひ、と短く掠れた音が自分の口から漏れた。ちょっと大声出しただけなのに息切れがする。肩が上下する。鼻の奥がツンと痛んだ。あああもう、思い出したくなかったのになんで名前を出しちゃうかな。名前を出されたら考えちゃうじゃん。頭に浮かべちゃうじゃん。今こうしてみんなここに来てくれてるのに、あの人だけは来てくれてないんだなとか思っちゃうじゃん。ほらもう、目の前が歪む。こんなはずじゃなかったのに。拭っても拭ってもこんな小さな手じゃ拭いきれやしないよ。


「きにするにきまってるじゃん!」

「なっ、なんでだよ!」

「すきだから!」


ほとんど怒鳴ってる感じだった。実際あたしは苛立っていた。だってエース、分かってない。気にすることねェって、気にしたから船から消えたんだよ。気にしてなかったら何も起こんなかったよ。あたしがマルコさんを好きになってさえいなければこうして怒鳴ることも泣き散らすことも親父の言うように傷付くこともなかったよ。だけど、好きになったんだから。だから気にしないなんて無理だし泣くし傷付くし、とにかく、エースは分かってない。てゆうかもう自分が何考えてるのかも分からない。ただ分かるのは、あたしはやっぱり、気持ちを割り切ることが出来てなかったってことくらいだ。


「あたしはマルコさんがすきだから!だからきらわれたくないっておもうの!」

「だからって、船を降りるって言うのかよ!」

「おりたくないよ!あたしだってみんなといたいよ!だからかえってきたのに!」

「じゃあなんでだよ!」

「マルコさんがおりろっていったからじゃあおりなきゃいけないかなっておもったんだよ!ほんとはおりたくなんかない!でもすきなひとにそういわれたらおりたほうがいいんだっておもっちゃうの!それくらいわかってよばかああああ!」

「わっ…分かんねェよ!」


あたしの勢いに圧されたエースが少し困惑したように返してきた。そっか、分かんないのか。この馬鹿め。思いっきり叫んだ所為で息が苦しい。はあはあと全身で深呼吸を繰り返した。

割り切れない。好き。やっぱり、どうしても、好き。好きだから嫌われたくない。もう嫌われてるのだとしたら、これ以上嫌われたくない。うざがられたくない。せめてもの気持ちを無駄にしたくない。どんなに惨めでも情けなくても、それでもこの気持ちは恋だから。最後まで自分を貫き通したいって思う。馬鹿みたいだって笑われてもいい。あたしは胸を張って「いい恋をした」って世界中に叫べる。どうしたってあたしは、マルコさんが好きなの。

息が上手く整わない。幼女って不便だ。目に溜まった涙を拭いたら、ギシッと床が軋む音がした。エース、また近付いてきた。今度こそ叩かれるのかな。反射的に顔を視線を向ける。呼吸が、止まった。






そこにいたのは、マルコさんだった。





ひゅっと息が詰まる。息が、出来ない。身体まるごと心臓になったみたいだった。ドッ、ドッ、ドッ、と心臓の音しか聞こえない。いつの間に。ああマルコさんだ、あれはマルコさんだ。マルコさんに見付かってしまった。船を降りろって言われたのに。マルコさんは呆然としたように目を見張っている。頭の中にあの時の記憶が鮮明に蘇った。あの口が開いたら、あたしは一体何を言われるんだろう。────イヤだ。何も聞きたくない。もうあんな思いはしたくない。耳を塞がなきゃ。でも手が動かない。マルコさんを止めなきゃ。でも声が出ない。逃げなきゃ。でも何処に。あの時と、全部同じ。

マルコさんの足が、あたしに向かって動き出す。エースがそれを止めようとして、サッチに止められていた。誰もマルコさんを止めようとはしなかった。マルコさんは次第に駆け足になる。あたしは身動きひとつ、瞬きひとつ出来ない。怖くて涙も出ない。謝らなきゃ、と思った。なんでかは分からないけど。ごめんなさい、消えてしまうから何も言わないで、ごめんなさい。ごめんなさい。マルコさんの腕が伸びてくる。叩かれるんだ。反射的に目を瞑って身体を強張らせた。

だけどいつまで経っても予想していた痛みは訪れず、代わりに苦しいくらいの圧迫感に襲われる。あたしはようやく、え、と間抜けた声を漏らした。


「…よか った」


マルコさんの震えた声を、耳の真横で聞いた。あたしは目玉がこぼれるくらいに目を見開いていた。なにが、おきてるんだろう。なんであたし、マルコさんに抱き締められてるんだろう。やっぱり息が出来ない。身体がガタガタと震える。なんで。なんで。なんで。分からない。あたしは、いつ眠ったんだろう。こんな夢を見るなんて。マルコさんは床に膝をついたまま、痛いくらい腕に力を込めた。時間が、世界が、何もかもが止まったかのような錯覚。今ここにはあたしとマルコさんしかいないような、そんな感覚に陥る。混乱する頭とは裏腹に、胸は強く高鳴った。マルコさん、なんで、だってあたし、きらわれてて、だって。痛いよ。どうして、だってこれ夢じゃないの?夢じゃないなら、これは。


「…もう二度とあんなこと言わねェ…約束する」

「……マ」

「だから、もう消えてくれるな」


頼む、と掠れそうな声で言われて、あたしは、全身の脈が強く鼓動を打つのが分かった。どくりどくりどくり、身体に熱がこもる。あたしは消えなくて、いいんだ。

身体が一度だけ意思と反してビクリと揺れる。やがてビリッという何かが破れる音と共に、冷たい外気があたしの肩を撫でた。
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