目の前が真っ暗になって、真っ白になって、ちらちらして、ぐにゃぐにゃになった。でもそれはほんの一瞬。瞼を上げ下げするくらいの、一秒にも満たないほんの刹那。足元が不安定になって、あたしは前のめりに倒れ込んだ。


「うおわっ!?」

「!?」


ドアにぶつかると思ったのに、あたしは誰かを巻き込んで床に倒れた。男の悲鳴が耳を突いてる。でも変だ、あたしの目の前にはドアしかなかったはずなのに。咄嗟に身体を起こした。身体を起こす時に男の胸を押さえ付けてしまったらしくぐえっと情けない声が漏れる。男の顔を確認して、あたしは目を見開いた。


「…シャンクス!?」

「んあ?なんだ、おれを知ってるのか?」


倒れた時に打ち付けたのか頭をさすっているのは、間違いなくシャンクスだった。左目の三本傷に赤い髪、それから、空の左袖。赤髪のシャンクス以外の何者でもない。あたしはシャンクスの胸を押さえ付けたまま、半ば呆然と口を開いた。


「ど、どうしてシャンクスがここに…」

「どうしても何もここはおれの船だ」

「うそ!?」

「それより、あんたは誰なんだ?」

「え?」


怒っているようには見えないけど明らかに困った顔をしてシャンクスは首をかしげた。もしかしてシャンクスはあたしのことを忘れてしまったのかと思って、ああそっか、と思った。シャンクスは幼女化したあたししか知らないんだ。だから今のあたしが分からないんだ。ぱっと顔を上げて辺りを見渡す。見覚えのないこの場所は、モビー・ディック号ではないことはすぐに分かった。多分甲板か…展望台だと思う。本当にシャンクスの船なんだ。でも、なんで?あたしは今の今までモビーにいたのに。急に立っていられなくなって、倒れたらシャンクスがいた。これは、どうなっているんだろう。


「おい、聞いてるか?あんた何者なんだ?」


シャンクスの声でハッと我に帰った。そうだ、説明しなきゃ。シャンクスも海賊なんだから怪しまれて斬られちゃったりするかも知れない。でも一体何て説明したらいいんだろう。シャンクスに跨がったままだったことに気付き慌てて床に降りた。シャンクスはむくっと身体を起こしてあたしを見据えている。


「今、空から降ってきたか…空間から急に現れたように見えた。能力者か?」

「えっと、それはよく分かんないんだけど」

「分かんない?」

「あの、上手く説明出来ないけど、あたしなまえです。白ひげの…前に会ったよね?」

「…はァ?」


まあ、それが当然の反応ですよネ。シャンクスは顎に手を当ててあたしを上から下までじろじろと見回している。信じてもらえないかなあ。それはそれで寂しいかも…。正座をして俯いていると、シャンクスがいきなりあぁ!と声を張り上げるもんだからビクゥッと肩を揺らしてしまった。


「思い出したぞ、あのチビッコか!」

「え…ほ、ほんと?信じてくれるの?」

「信じるさ。面影があるしこんな海なんだ、空から人が降って来ようがチビッコが美女に急成長してようがおかしくない」

「十分おかしいと思うけど…でもありがとう。急に出てきてごめんね」


どうやら信じて頂けたらしくほっとした。先程までとは打って変わってシャンクスはにこにことしている。


「そうかそうか。空から降って来たならあれだな、マルコだろう?」

「…え」

「空を散歩でもしてたのか?落ちたのがおれの船でよかったな」


明るく笑うシャンクスが、霞んだように見えた。マルコって、マルコさんのこと、だよね。マルコさんっていうのは、あの人。この世界にひとりしかいない人。頭に浮かぶのは怖い顔をしてあたしを睨む姿。最後に見たあの人の記憶。でも、ついさっきまで話してた。怒っていたから謝ったんだ。でもあの人は部屋から出てきてくれなくて、部屋に入れてもくれなくて。ドアを通してあの人を見たけど表情なんか読める訳もない。心臓がドッ、ドッ、ドッ、と強く脈を打つ。ひゅっと息が詰まる。あああ、そう。そうだ。あたし、マルコさんに、

船を降りろって、言われた。


「…なまえ?」

「ひッ…」

「おい?どうしたんだ?」

「っう、ァあっ…ヒ、っく、うゥ…っ」


突然、本当に突然だった。水風船が弾けるように、涙が溢れ始めた。嗚咽を歯で噛み潰そうとしても誤魔化し切れず身体がガタガタと震える。シャンクスがおろおろとしているのは分かったけど「大丈夫、気にしないで」と言える程の理性が残っておらず、あたしは両手で顔を覆って泣き出した。

船を降りろと言われて、あたしは初めて『船を降りたい』と思った。防衛本能に近かったんだと思う。これ以上あの場所にいたらあたしは駄目になると思った。あの場所から、あのマルコさんの前から、あたしは『消えたい』と心から思った。思ってしまった。そしたら、ここにいた。マルコさんの前でもない、モビーでもない、だけど、海の上。

マルコさんがいない、船。

震える声で何度も名前を呼んだ。返事がないのは分かっていたけど、呼ばずにはいられなかった。

あたしは、どうしたらいいんだろう。
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