マルコside


ゴトッと何かが落ちたような鈍い音がして、弾けるように我に帰る。おれは家族に対してなんてことを。いくらなんでも言ってはいけないことだった。それが理解出来ない歳でも無いくせに八つ当たり染みたことをしてしまった。これは、流石に、謝らなくてはいけない。泣いていても仕方無い、泣かせるようなことを言ったのはおれだ。ドアを開ける。まず目に映ったのは、何かの包みだった。


「…なまえ…?」


だが肝心のなまえの姿が無い。何処かへ行ってしまったのだろうか。この一瞬で?なまえにそんな身体能力があるとは思えない。じゃあ何処に行った?走って逃げたにしても物音すらしなかった。聞こえたのは何かが落ちたような音だけ。包みに視線をやる。拾ってみて少しの重量感と硬度があるのが分かった。中身までは判断出来ないがさっきの音の正体はこれで間違いだろう。いやそれより、なまえは?

何故だか悪寒が走った。有り得ない。そう思いつつも心臓が騒がしくなる。包みを持ったまま足はリジィの部屋へ向かっていた。そこに行けばなまえがいる。いないとおかしい。いつの間にかおれは走り出していた。


「────ん、マルコじゃねェか」


リジィの部屋には何故かサッチと、そしてリジィがいた。部屋の隅々まで見渡す。ベッドに潜ってるのかと思ったが人がいるような膨らみすらない。なまえが、いない。


「お!おめェがそれを持ってるっつうことは仲直り出来たんだな」

「…あ?」

「で?なまえは何処だ?まさかマルコの部屋にお泊まり〜とか?」


ニヤニヤと笑うサッチが指した『それ』はおれが持ってる包みのことらしい。────駄目だ、意味が分からない。夢を見たような気分だった。だがサッチの口振りからしてなまえがおれの部屋まで来たのは間違いない。そしてなまえがここへ戻ったような様子じゃないのも分かった。じゃあ、なまえは何処に行ったのか。なんでいないのか。分からない。有り得ない。そんなはずはない。


「…マルコ?怖ェ顔してどうしたんだ?」


おれの様子がおかしいことに気付いたのかサッチが声を低くした。無視をするつもりは無かったが何て答えたらいいのか本気で分からない。ああそうだ、もしかしたらエースの部屋にいるのかも知れねェ。あいつらは仲がよかったから。部屋を出ようとしたおれを、刃物みたいに鋭い声が突き刺した。


「あの子はここには戻って来てませんわ」

「、……」

「なまえは何処ですか?」

「……」

「仲直りをしたのなら一緒にいてもいいはずなのにどうしておひとりで?仲直りをしてないのなら、マルコ隊長がここへ来た理由は何ですか?」

「…リジィ」

「なまえは何処ですか」


カツカツとブーツを鳴らして近付いておれの目の前で止まる。逃げるのは許さない、と。まるでそう言われているようだった。実際リジィはおれを逃がすつもりは無いんだろう。青い垂れ目がおれを睨んでいる。ナースとは言えど海賊なだけはある。それなりの迫力に少なからず気圧された。嫌な汗が額から顎に伝い落ちる。握り締めた包みが、ギリッと悲鳴をあげた。


「消えたよい」

「…消えた?」

「…船を降りろと、言った。そしたら」


消えた、と続くはずだった言葉は途切れた。パンッと乾いた音を聞いてから頬が焼けるように痛み出す。一瞬何が起こったのか分からなかった。目の前にいるリジィが強く歯噛みしている。それからやっと、自分が叩かれたのだと理解した。それなりに歳を食ってきたが女にこうも見事に叩かれたのは初めての体験だった。それに対して込み上げるのは怒りじゃない。悲しみでもない。どうしようもない虚しさが胸の中で渦巻いた。


「理由も聞かず叩いたことを謝るつもりはありません」

「……」

「だってソレは、どんな理由があっても家族に使う言葉じゃないわ!」

「リジィ」


リジィが再び振り上げた手を、それまで黙っていたサッチが止めた。止められた手を振り払うことなくリジィはおれを睨み付けている。フー…ッと荒い呼吸を吐き出して肩を揺らして、眉間に深く深く皺を刻んだ。怒っているのか。そりゃそうだ。可愛い妹に対しておれは本当に酷いことを言った。それを自覚しているだけに気分は最悪でしかない。サッチに視線を向ける。サッチはおれを睨み付けることはなかったが、辛そうな顔をしていた。


「親でも無いあなたが!どうしてあの子にそんなことを言うの!?あなたの言葉があの子にどれだけ影響をもたらすか分からないの!?」

「リジィ落ち着け」

「船を降りろだなんて死ねと言ってるのと同じだわ!」

「リジィ!」


サッチが語気を強めるとリジィはチッと舌打ちをこぼし、サッチの手を振り払って部屋を飛び出して行った。彼女の部屋はここだろうに。なまえを捜しに行ったのだろうか。捜して、見付かるだろうか。あんな風に取り乱すリジィは久し振りに見た。叩かれた頬に触れる。痛みはもう消えていた。おれの身体に傷は残らない。どんな痕でも再生する。そう、どんな痕でも。それなのに、まるで胸の内をぐちゃぐちゃに掻き回されたような不快感に顔をひそめた。自分の額を押さえる。胸の中の酸素を全部吐き出しても全然すっきり出来ない。


「マルコ、説明してくれ」

「……」

「それからでも遅くねェさ。お前をぶん殴るのは」

「…あぁ」


正面から真っ直ぐにおれを見るサッチから逃げるように、視線を宙へ逸らした。

なまえが部屋に来たこと。おれはなまえを部屋に入れず対応したこと。謝られたが突き放したこと。思わず酷いことを言ったこと。そしたら何かが落ちる音がして、部屋を出たら包みが落ちていて、なまえがいなくなっていたこと。淡々と話して目を閉じた。言葉にし難いものが、頭の中をぐるぐると駆け回っている。とんでもないことをしたのだと思った。だからと言って、どうしようも無かった。


「なまえは、消えたのか」

「…多分、そうだ」

「…そうか」


サッチはそれだけ言うとゆっくりおれに近付いて来た。殴られるのだろうと思ったおれの隣を、当たり前のように通り抜けていく。


「殴る気にもならねェよ」


惨めだとか情けないだとか、そんなものは感じない。

ただただ、おれは虚しさに締め付けられた。
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