五日目。朝、ご飯を食べた後なんとなく浜辺に降りた。今日でこの島ともお別れだ。またしばらく海の上の生活になる。だからちょっと砂浜の感触を覚えておきたかった。買い物は全部済ませたしね。お小遣いをくれた親父に肩叩きをして差し上げなくては。親父の肩まで届くくらいの大きな台をエースに作って貰おう。ぱしゃん。海面を蹴り上げると爽やかな音がした。この世界の海は綺麗だ。ゴミひとつ落ちてない。

刺青を入れたところはリジィの言った通り、もう痛くもなんともない。本当はもっと痛むものじゃないのかな。そこは医学の違いなのかな。よく分からないけど痛みが続かなくてよかった。痛いのは嫌いだ。てゆうか、痛いのがスキな人なんていないだろ。いたらその人ドMだよ。


(…でも)


みんなは海賊で、戦うから。きっとたくさん痛い思いをしたことがあるんだろう。あたしには考えられないくらいの大怪我をしたことがあるのかも知れない。サッチの顔には傷痕がある。あれも戦いの中でついたもの、とか。

自分の右手を見つめる。前に骨折した右手。あれはすごく痛かった。あんな痛い思い、二度としたくない。二度としたくない、けど。


(あたし、守られてばっかりでいいのかな)


前からちょくちょく思ってたけど、刺青を入れてから益々考えるようになった。みんなは戦ってる。ナースも仕事をしてる。じゃあ、あたしは?ただ毎日のほほんと、食べて寝るの繰り返しだ。それでいいの?…駄目だ、絶対よくない。こんなんで白ひげを語ろうなんて馬鹿げてる。綺麗に治って軋みもしない右手を強く握り締めた。


「…強くならなきゃ」

「嬢ちゃん」

「…え?」


ぽつりと小さく呟いたら、突然後ろから声を掛けられた。反射的に振り返るとそこには男の人がいる。白銀の髪、鋭い眼光、ふたつくわえた葉巻に、がっしりした体格。熊みたい。この人、誰?そこであたしは周りが見知らぬ風景だと気付いた。海に砂浜、その先には森が広がっている。考え事をしてる間に歩き続けて、船から離れてしまったらしい。さまよわせていた視線を男の人に戻す。戻した瞬間、違和感を感じた。…この人、何処かで、見た?確信した訳じゃないのに、握り締めた右手に冷たい汗が滲んだ。


「少し、いいか」


声が出ない。首が千切れるくらい横に振って素早く頭を下げる。そのまま男とは反対方向に走り出した。瞬間、左手に靄が絡み付く。冷たいような熱いような不思議な感覚にひどく怯えた。な、に、なに、なにこれ!振り払おうと力を入れた左手はぴくりとも動かない。煙草の匂いが鼻孔を掠めた。ハッと肩越しに振り返る。

吐息を感じられる程すぐ近くに、男がいた。ヒッと息が詰まる。心臓を鷲掴みにされたみたいだった。左手の靄がじわりじわりと具現化する。あたしの左手は男の左手に掴まれていた。左手────白ひげのバンダナを結び付けた手。普段から肌身離さず身に付けているバンダナ。そこまで来て、あたしはやっと思い出した。


「あんた、これァ白ひげのマークだろ。この島に白ひげの隊長の目撃情報が入ってる。…関係者だな?」

「し、らない、知らない!知らない!離して!」

「静かにしねェか」


大きな手に口を塞がれる。靄が身体に巻き付くと身動きが取れなくなった。やっと、思い出した。こいつ、海軍のスモーカーだ。前に島で見た男。身体が煙になる煙人間。悪魔の実の能力者だ。身体をよじる。全ッ然、動けない。どうしよう、これは逃げられない。敵わない。見開いた目に涙が浮かんだ。


「人質っつう手は嫌いなんだがな…船に来て貰う」

「、やだ離して!離せェ!」


それは困る。早く戻らなきゃ、今日は出港する日なんだから遅れる訳にはいけない。このまま捕まったらみんなに迷惑を掛けることになる。絶対、嫌だ。足手まといにはなりたくない。でも身体が動かない。スモーカーの両手があたしを肩に担ぎ上げた。逞しい肩がお腹に食い込んで痛い。苦しい。怖い。これからどうなっちゃうんだろう。昨夜のバーベキューの光景が瞼裏に流れた。楽しかった時間が一気に塵になる感覚に襲われる。怖い、やだ、帰りたい、帰りたい。誰か助けて。唇を強く噛み締めた、瞬間だった。


「ぐあッ!」

「!」


突然スモーカーの身体が傾いた。担がれていたあたしは宙へ投げ出されて砂浜へ落ちる。ざらりとした感触が口に広がって、今更だけどこれは夢じゃないんだと思った。身体に巻き付いていた靄が滲んで消える。慌てて体勢を整えるあたしの前にふわりと青い炎が舞った。全身が粟立つ。あァ、と乾いた息がこぼれた。


「…マルコさん!」

「走れるかい」

「…顔を足蹴にされんのァ初めての経験だぜ、不死鳥」

「頭上を取られんのが悪ィんだ、白猟」


スモーカーが押さえていた顔から手を離して、こっちを睨み付けてくる。肩越しに振り返ったマルコさんがあたしの後ろの方を指差す。目が走れと語っていた。声が出なくて、代わりに何度も頷く。砂浜に足を取られて転びそうになりながらも必死で走った。走るしかなかった。

怖くて怖くて、惨めで、涙が出た。
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