気が付いたら真っ青な空を眺めていた。涼しい風が頬を撫でて意識が冴えてゆく。ゆっくり身体を起こして、目を丸くした。なんだこれ。

あたしは甲板のど真ん中に横になっていて、隣にはエース、逆隣にはサッチ、その他諸々の隊長さん。なんだこれ。そこまで考えてあたしは頭をわしゃわしゃ掻いた。そうだそうだそうだった。昨日は宴だったんだ。あたしが元の姿に戻ったからってみんなで大喜びしてくれたんだ。久々のアルコールにあたしも舞い上がって酔い潰れてしまって寝ちゃったんだっけ。頭痛は無い。あまり次の日に残らないタイプでよかったとなんとなく思った。


「…あー、あいうえお」


呂律がしっかり回る。当然だ、幼女じゃないんだから。あたしはもう乗り越えた。大人になった。だから。自分の両手を見下ろした。傷ひとつ無い頼りない手。この手を守ってきたのは、誰だったのか。


(お父さん、お母さん)


今、何してますか。ふたりで居るんですか、離れ離れですか。兄ちゃんは元気ですか。あたしがいなくなってちょっとは悲しんでますか。あたしに逢いたいとか、思ってくれてますか?

家を出ていくお母さんの背中を、今でも鮮明に覚えてる。すごく怖かったことも記憶にある。あの瞬間から何もかもが壊れてしまったような気がして、戻れないような気がした。でもこのまま進みたくなくて、気が付いたら幼女化した挙げ句に海賊だなんて。随分面白い体験をしてるんだろうなあと思う。


(あいたい)


逢って、話がしたい。あたし、身体が縮んだの。それで海賊になってね、船長がすごく大きくてね、それから身体が炎になったり鳥になったりする人がいてね、あとコックがリーゼントでね…そんな他愛の話だけでもいいから、話がしたい。お父さんとお母さんと兄ちゃんに逢いたい。今更になって帰りたいと思った。


「お目覚めかい」

「…マルコさん…」

「…どうした?」


廊下の方から近付いて来たマルコさんが元から細い目を更に細くする。意味が分からなくてマルコさんをぼんやり見上げたら、ぼろりと涙が頬を伝った。あれ。あたし、泣いてる?手の甲でごしごし拭ったらすぐに止まった。それでもマルコさんの顔は怖いままで、あたしは何もしてないのに悪いことをしてしまったような気分になってしまう。気まずくなって顔を逸らしたらスッと手を差し出された。


「…え?」

「ついて来い」


反射的にその手を掴むとマルコさんは踵を返して来た道を戻り始めた。前のめりになりながらついて行く。マルコさん、急にどうしたんだろう。

マルコさんはあたしの手を引いたままひとつの部屋に入った。初めて入る部屋、っていうかエースの部屋以外入ったこと無いんだけどね。たくさん並んだ本棚にびっしり並べられた本。机の上にちょっと雑にまとめられた書類に転がるペン。もしかしてここは、マルコさんの部屋だろうか。マルコさんは椅子を引くとあたしに座るように言った。それからペンと、少ししわくちゃな紙を渡された。


「手紙、書けよい」

「…手紙?誰に?」

「両親に」

「…え」


ペンと紙を受け取ったまま呆然とマルコさんを見上げた。今彼は何と言ったのか。両親に手紙を書けって、そう言ったの?訳が分からなくなるあたしの頭をマルコさんがぽんぽん叩く。その手が、ひどく温かかった。


「海は広い。しかもグランドラインは何が起きても不思議じゃねェときた。だったら、お前の手紙くらい両親に届くんじゃねェかい」

「……」

「瓶に入れて海に流してみよう。お前の世界の海と繋がって手紙が届くかも知れないよい」

「…なんで」

「…帰りたいんだろい」


顔に書いてるよいと額をつつかれた。さっきちょこっと泣いただけで、この人は全部見抜いてしまったのか。帰りたい、その言葉は頭の真ん中でじんわり弾けた。

あたしはペンを握り締めて手紙を書き始めた。慣れない羽根ペンは滲んだり潰れたりして難しかったけど、あたしは夢中になっていた。唇をぎゅうっと噛んで、泣きながら書き綴った。

お元気ですか?変わりないですか?突然消えてしまってごめんなさい。でもあたし、絶対に帰るから。みんなで一緒に迎えてくれると嬉しいな。

待っててね。いつか絶対帰るから。あたしも頑張るから。


「…なまえ、ほら」

「…ありがとうございます」

「行くよい」


手紙を書き終わるとマルコさんから瓶を手渡された。甲板に転がっていたお酒の空き瓶だ。綺麗に洗ってあるのか匂いはしない。手紙を筒状にして瓶に入れる。コルクをしっかり閉めるとマルコさんにまた手を取られて部屋を出た。

船尾に行くとさざなみがよく聞こえた。潮風に吹かれながら海面を見つめる。マルコさんを見上げたら、静かに頷かれた。

瓶を振りかぶって、力一杯遠くへ投げた。

瓶は吸い込まれるように海へ落ちる。そのまま浮かぶことはなく、何事も無かったかのように沈んでいった。自分の両手を見る。インクで汚れていた。


「昼飯にしようかい」

「…はい」

「泣き止めよい」

「う、うぅ…」

「…仕方ねェなァ」


マルコさんの手があたしの頭を撫でる。そのままそっと引き寄せられて肩を抱かれた。あたたかい、心地好い。あたしの涙腺は完全に崩壊した。


「泣くのはこれで最後だ。笑え。海賊は自由で楽しいからよい」

「うん…う、ん゙…っ」


ああそうか、と思った。あたしはきっとすべてから自由になりたくて、海賊になったんだ。マルコさんのシャツを握り締めてそう思うと、あたしは少し笑った。
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