「なまえ」


名前を呼ばれた。低くて少ししゃがれた、優しい声。大好きな声。重たい瞼をゆるゆる持ち上げる。そこには思った通り、親父がいた。いつもより距離が近い。しばらくぼんやりして、あたしは親父の膝で寝てることに気付いた。あたし、どうしちゃったんだろう。確か気を失っちゃって、それから…分からない。部屋は薄暗く頼りない蝋燭の光が揺らめいている。夜、かな。随分気を失ってたみたい。親父の指先が頭を撫でる。心地良くて目を細めた。


「大丈夫か?」

「うん?」

「うなされてたぞ」


親父の言葉に目を見開いた。うなされていた心当たりが、嫌と言う程ある。さっきまで見ていた夢が頭の中にじわじわと蘇ってきてきつく目を閉じた。きつく閉じたのに、涙がこぼれた。慌てて拭いても後から後から溢れて止まらない。嗚咽と一緒に揺れる身体を親父が撫でてくれた。いつもは安心出来るのに、震えは止まらなかった。


「なァ娘よ、泣いてちゃ分からねェ」

「おや、じ、あたし…っ」

「どうした」


見上げたら、親父はすごく優しい目をしていた。だからあたしはもう止まらなかった。溜め込んでいたものが堰を切ったように溢れ出した。

全部、全部話した。涙でつっかえながらも話した。お父さんが浮気したこと。お母さんが家を出て行ってしまったこと。昔は仲良しだったのにって思ったら辛くなって昔に戻りたいって願ったこと。そしたら、あたしの身体は小さくなっていたこと。今思ったらこの身体は幸せだった頃の年齢を表しているのかも知れない。それなら十歳くらいでもいいのになあなんてどうでもいいことを思った。全部話し終えると親父は黙ってあたしの背中をさすった。


「辛いもん見たなァ。親の喧嘩なんざ子からすりゃ嫌なもんでしかねェ」

「……」

「…なまえ、おれァどちらにも非はあると思うぜ」


親父の言う『どちら』はお父さんとお母さんのことだ。あたしは何も言えなくてただただ黙り込んだ。


「男は見守るだけじゃいけねェ。惚れた女が弱ってんならしっかり支えになってやんのが男だ」

「…うん」

「お袋さんもなァ、愛した男に寂しい思いをさせんのはよくねェ。そう思うぜ」

「おやじのいうことは、わかるよ」


お互いに良くない点はあったんだ。お母さんは家にいる時間どころか口数も減っていたし食事も一緒に食べることが少なくなった。そのことに対してお父さんは怒りもしなかった。声をかけることもなかった。気付かないうちにお互いに離れていってしまっていたんだ。そう思うとあたしは後悔する。どうして弱ってるお母さんを支えてあげられなかったのか。どうしてお父さんの心の闇に気付いてあげられなかったのか。あたしはふたりの子どもなのに。後悔ばかりで嫌になる。涙が出る。親父が頭をぽんぽん叩いた。涙が飛び散った。


「なまえ」

「な、あに」

「おめェが責任を感じることはこれっぽっちもねェ」

「…え」

「親が喧嘩すんのは親の問題だ。我が子に心配させるのはよくねェ、だから親が悪い。おめェがそのダイガクに通うのも将来の為…親の為なんだろう?」


淡々と紡がれる言葉を、半ば呆然と聞いていた。だけど理解すると嗚咽がこぼれた。

全部自分が悪いんだって思ってた。大学に行きたいなんて言わなければ、両親の変化に気付いていれば。ずっと自分を責めていた。だから、誰かに、そう言って欲しかった。お前は悪くないんだって認めて欲しかった。

どうしてこの人はこんなにあたたかいんだろう。こんなに、おおきいんだろう。少し話をしただけなのにあたしの欲しい言葉を与えてくれるなんて、誰が想像出来ただろう。親父はいつでも優しくて、強い。


「グララララ!これだけ親想いの可愛い娘だ、悪いことなんざ何もねェ。なァそうだろう、息子達よ」

「…むすこたち、って…」

「あぁ、なまえは悪くねェ!」


背後から聞こえた声に慌てて振り返る。薄暗い部屋の中で数人の気配が動くのが分かった。先頭にいるエースがニッと笑う。さっきの声はエースのものだった。もしかして最初からいて聞いてたのかな。周りにいるサッチやビスタやマルコさん、リジィや他のナース達、イゾウさんにハルタさん、その他の隊長さん達までいた。さっきまでわんわん泣いていたことを思い出す。それを見られていたなんて、は、恥ずかし過ぎる。涙を拭いてみんなから見えないように身体を屈めた。そしたら親父がまた笑った。


「おめェが元の世界に帰れるよう、方法はちゃんと見付けてやる。だからもう自分を責めたりすんじゃねェ」

「…あのね、おやじ」

「あん?」

「あたし、まだかえれなくていいよ」


言い終わってから、気付いたこと。あたしは元の世界に帰りたいと強く願ったことは無かった。だってここは、この白ひげ海賊団は、本当に楽しかったから。寂しいと思う暇が無かったから。だからまだ帰れなくてもいい。みんなと一緒にいたい。


「ありがとう、おやじ。みんなも、ありがとう」

「グラララ…おれァ何もしてねェよ」

「エース!うけとめて!」

「おう!」


親父の膝からダイブする。エースがしっかり受け止めてくれたから痛みも衝撃も無かった。サッチに頭を撫でられてマルコさんに涙の跡をつつかれる。リジィがおでこにチュッとキスを落としたからびっくりした。サッチが羨ましがっていたのは無視した。

あたし、みんなに逢えて良かった。
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