結局、あれから眠ることが出来なかった。すっきりしないまま朝ご飯を食べたけどなんだか味気無く感じて更にもやもやは募っていく。何なんだろう。気持ち悪いと言うか気味が悪い。見た夢は既に曖昧な程度にしか覚えてない。だけど、嫌な夢だった。せっかく昨日は海で遊んで気分は最高だったのにな。…まさか、あたしの身体に関係するのかな。あたしはこの世界に来る前、何をしていたのか。その時の記憶が無い。あたしは何を忘れてしまったんだろう。思い出せない。分からない。もやもやしたまま船首にころんと転がったら自分のいるところに影が落ちた。


「なまえ〜…」

「…ん?」

「どうかしたのか?」

「え、なにが?」


突然現れてそんなことを言ったのはエースとサッチ。すぐ近くにいたマルコさんは膝を折るとあたしの額をぴんっと指弾した。そんなに痛くないけどあたしが目を丸くするには充分だった。いきなり出てきておいてなんなの。ほんとなんなの。訳が分からない。おでこを押さえてむくりと身体を起こした。


「なんですか?」

「具合悪いんじゃねェかい」

「…え」

「飯食ってねェし目の下、隈出来てるよい」

「大丈夫か?きついか?」


マルコさんの手がそっとあたしの頬を撫でる。親指が涙袋をなぞる。エースが心配そうに覗き込んでくる。あたしはまた目を丸くした。

いつもそう。ここの人達は優しい。こんな餓鬼ひとりの為にこんなに心配してくれる。本当に海賊なのかと疑ってしまうくらいに優しい。気持ちがすっきりしないだけで気分が悪い訳じゃない。眠れてないのは隈でバレてしまうけど特別身体に支障は無いから大丈夫だ。あたしはニッと笑って見せた。


「だいじょうぶ。ちょっとしょくよくがないだけです」

「眠れてねェんだろ?眠れねェ妹の隣で気付かずグースカたァ、ひでェ兄ちゃんだぜ」

「すまねェなまえ…!」

「だいじょうぶだってば」

「一応ナースに見て貰うか」


サッチの言葉に頭を下げて額を床にを擦り付けて謝り出したエースに苦笑する。そしてすぐにマルコさんにひょいと抱き上げられた。本当に大丈夫なのに。でも、心配されて悪い気はしない。素直に従うことにした。

隊長三人組にチビッコひとりという妙な組み合わせが廊下を進んでいく。マルコさんを見上げたけど視線は合わなかった。マルコさんのシャツをキュッと握り締める。マルコさんの心臓が脈を打つのが分かる。それがなんだか安心した。胎児は母親の心臓の鼓動や血液の流れる音で安心感を得るらしい。今のあたしは幼女だし、そうなのかも知れない。相手は母親じゃなくてオッサンなんだけど。でも、あたたかくて、好きだなあ。この感じ。目を閉じた。今なら眠れる気がする。少しうとうとしてきた頃、動きが止まった。医務室に着いたみたい。


「出てって!顔も見たくないんだから!」

「お、落ち着けよ!」

「あんたはどうしてそう落ち着いてられるのよ!」


ドアを開けた瞬間響いた甲高い女の人の声に目を見開く。見ればひとりのナースがカルテやら枕やらをクルーのひとりに投げ付けていた。クルーの男は避けるでもなく投げ付けられるままにしてバツが悪そうにしている。これは、一体どうしたんだろう。いつもは優しいナースがこんなに取り乱すなんて珍しい、と言うか初めて見た。エースもサッチもマルコさんまで目をまんまるにして口を開いてポカーンとしていた。入口に立ち尽くすあたし達に気付いたリジィが駆け足気味に近付いて来る。リジィも困ったような顔をしていた。


「どうしました?」

「なまえの体調が良くねェから診て貰おうと思ったんだが…何の騒ぎだい」

「取り敢えずなまえは別室で診ます。こちらへ」

「どうしてよ!」


キィン、と頭の中で耳鳴りみたいな音がした。それは全身に波紋を広げていく。リジィがふうと溜め息を吐くのが分かったけど、あたしは悲鳴に近い声をあげたナースから目を離せなかった。身体が動かない。目が離せない。頭を鈍痛が這った。男が眉間に皺を寄せて口を開く。こぼれた声は、少し震えていた。


「悪かったって」

「悪かったと思うなら初めからしないはずだわ!」

「じゃあ、どうしたらいいんだよ」

「どうしたって同じよ!なんで分からないの!」


ナースは顔を伏せてわあッと泣き出した。男は手を伸ばしかけて、やめた。ナースはぼろぼろと涙をこぼしている。だけど男は何も言わない。言えない、んだ。きっと。この男は女に対して後ろめたいことをしてしまったんだ。どうしてだろう、夢と重なる。瞼裏に知らない記憶が映る。ああやめて、イヤだ。頭の中で警報が鳴り響く。駄目だ。これ以上聞きたくない。見たくない。思い出したくない。ナースの濡れた唇がゆっくり開く。聞こえた声はゾッとする程低く、冷たい。


「…終わりだわ」
終わりね



────どくり、心臓が強く跳ねる。息が出来ない。イヤだ、厭だ、聞きたくない。見たくない。終わりになんてしたくないのに。マルコさんのシャツを掴んでいた手から力が抜ける。糸が切れた操り人形みたいにガクンと首をもたげた。意識が、飛んだ。だけど完全に意識を飛ばす前に呟いた言葉は、しっかり覚えていた。


「おとうさ おかあ さ 」


頭が痛い。
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