「あ、かわい…んぎゃっ!」
…8回目。お店を覗き込もうとしたらステファンがリードを思い切り引いてあたしは派手にすっ転んだ。力の強さはあたしが下。勝てない。すっかり汚れたお気に入りのスカートをバシバシ叩いて砂を払う。ずれたバンダナをしっかり直してステファンを睨み付ける。船を出て30分、あたし達は全然仲良くなれてないままだった。
「いじっぱり…」
全然鳴かないし吠えない。変な犬。溜め息を吐き出すと一気に喉が渇いた気がした。なんか飲み物が欲しい。ぱっと顔を上げたら売店みたいなところが映った。飲み物が入ったコップが並んでる。100ベリー?お金の単位かな。エースから貰った財布を開く。折り曲げられた紙幣と何枚かの貨幣。そう言えばあたしここでのお金の使い方知らないや。…なんとかなる!財布を握り締めてリードをぐいぐい引っ張った。ステファンは未だにあたしのペースで歩いてくれない。近付いたら売店のおじさんがニッと笑った。
「いらっしゃい!可愛いワンちゃんつれてお散歩かい」
「あは…オレンジジュースとおみずください」
「水はタダだから100ベリーだね。お金あるかい?」
「えっと…」
「これ一枚で丁度だよ。毎度あり!」
財布を開けたらおじさんが貨幣を一枚取った。オレンジジュースと水の入ったコップを渡される。ステファンから引っ張られないように気を付けながら歩いていると公園みたいな広場を見つけた。中央に噴水があってなかなか雰囲気のイイ公園だ。丁度いい、ちょっと休もう。木陰の下のベンチに座って身体の力を抜いた。オレンジジュースを喉に流す。甘酸っぱくて冷たくて美味しい。口に氷を含んでふうと息を吐き出した。それから片手に残る水を見つめる。忘れてた。水の入ったコップを地面に置く。正しくは、ステファンの前に。ステファンがあたしを見上げる。びっくりしてるみたいだった。
「のどかわいたでしょ」
さっきからずっと息を乱して舌を出してる。犬は汗をかくことが出来ないから熱がこもりやすくて辛いんだってテレビで見たことがある。ステファンもそうなんだろう。いくらお互いに敵意剥き出しでも、あたしは悪魔じゃない。水くらいあげる。
ステファンは水をじっと見つめて固まった。敵からの施しは受けたくないのかな。飲まないで辛いのは自分だもん。あたしは知らない。氷をがりごり噛み砕いた時だった。
(お…のん、だ?)
ステファンがコップに鼻先を突っ込んで水を飲み始めた。やっぱり喉渇いてたんだ。なんだか急に可愛く見えて頭を撫でようと思ったけど流石に調子に乗りすぎかと思ってやめた。
歩き疲れたからしばらくそのままぼんやりしてた。ステファンもベンチの下で寝転んでた。それを見てたらうとうとしてきて目を閉じた。普段ならこれくらい大丈夫なのに、幼女って大変だ。財布だけは守らなきゃいけないから両手で握り締める。これならちょっとくらい寝ちゃっても大丈夫なはず────。
「ワォンッ!」
「わっ!?」
突然ステファンが吠えた。眠りかけた思考が一気に覚醒する。な、なに?ステファンが吠えたの、初めてだ。手の中にリードが無い。慌ててベンチの下を見たらステファンがいなかった。でも確かに犬の鳴き声がしたのに。辺りを見渡す。そしたらすぐ近くのベンチの傍にステファンがいるのを見付けた。それだけなら、よかった。ベンチにガラの悪い男がふたりいなければ。ステファンは珍しく歯を剥き出しにして唸ってる。あの人達がどうしたのだろうか。ベンチから降りてステファンに近付く。男が怖い顔をあたしに向けた。
「んだァこのガキ…」
「あ、あたしのいぬで…」
「そォかい。じゃあよう」
男のうちのひとりの手があたしの胸ぐらを掴んでそのまま持ち上げた。圧迫感に息を詰まらせる。その時気付いた。この人達、酒臭い。こんな明るいうちから酔ってるなんてロクな奴じゃないに決まってる。男がニタリと気味の悪い笑みを浮かべた。
「このくそ犬がおれらに吠えてきた所為で最悪の気分だ」
「お詫びに…その財布だ。それをくれよ」
「…そんなはず、ない…っ」
「あ?生意気なガキだな、吠えたっつってんだろうが」
「白ひげの話した途端にワンッ、だ」
「え…うっ」
「港の影に船が停まってたんだろ。隠居しにきたんじゃねェか」
「あんな老いぼれに反応するなんざ、変な犬だぜ」
男が突然手を離す。硬い地面にぶつかって頭がくらくらした。ステファンが唸る。吠える。躊躇する間もなく、ステファンは男の足に噛み付いた。
解った。普段は鳴かないステファンが吠えた理由。親父のことを馬鹿にされたからだ。だから噛み付いたんだ。男が怒鳴りながらステファンを蹴り飛ばす。ステファンは悲鳴をあげず、地面に転がった。さっきまで唸ってたのに悲鳴はあげなかった。ステファンは、立派に『白ひげ海賊団』の仲間なんだ。
男の手が伸びる。咄嗟に避けてステファンに駆け寄った。ステファンはカタカタ震えていた。蹴られたのが相当効いているみたいだ。そうだ。ステファンの身体は小さい。それをあんな風に乱暴に蹴るなんて、信じられない。
「ガキ、さっさと財布を」
「いやだ」
「…はァ?」
「おやじをばかにしたりなかまをけったりするやつにあげるものなんかない!」
言い終わる余韻が消える前にあたしは思い切り蹴られた。ステファンと同じように蹴られて激しく咳き込む。い、たい。ステファンもこんな風に蹴られたんだ。それなのに悲鳴はあげなかった。ステファンは強い。だけど、あたしだって白ひげ海賊団だ。仲間を見捨てるなんて出来ない。ステファンを庇うように覆い被さった。
「ガキは素直な方が可愛いんだ、ぜ!」
「…こいつのバンダナ、こいつほんとに白ひげの…」
「知るかよ、金だ!金出しゃいいんだよ!」
お金はエースから貰ったものだ。絶対渡さない。ステファンは仲間だ。絶対傷付けさせない。あたしが大人だったらステファンをつれて逃げるくらい出来ただろうに、かっこ悪い。でもいい。今はなんだっていい、こいつらが飽きてくれるのを待つしかない。そう思った時、ステファンが高く鳴いた。キャイン、とかそういう可愛い声じゃない。例えるなら遠吠えに似た声だった。なん、だろう。身体中痛くて考えられない。強く目をつぶる。そしたら、熱風を感じた気がした。
「うるせェな…黙っ」
「黙るのはてめェの方だ」
よく知った声が聞こえた。いつも兄ちゃんぶる、エースの声だ。そう思ったら身体の力が抜けた。意識がどんどん沈んでく。誰かに抱き上げられた気がしたけど、あたしは気を失ってしまった。
「もう、大丈夫だよい」