「一松さぁ〜最近めちゃくちゃ機嫌いいよねぇ」
どこで何を嗅ぎつけたのか、おそ松兄さんは何か言いたそうにニヤけている。
ぎくりと僕の肩が揺れたのはきっと気のせいだ。なのに、何を動揺してるのか、猫を撫でる手が無意識に早くなる。
僕の日常は一片として変わってないし、まあ強いていうならここ最近やたら絡んでくるやつが1人いるくらい。素直に話したら、からかわれることは間違えないから、代わりに「別に」と淡白に零した。
「そっかぁ〜なまえちゃんとうまくいってるのか!よかったよかったぁ」
「いや、だから、そんな事一言も言ってませんけど!?」
おそ松兄さんは、「やっと一松にも女の影が現れてお兄ちゃん嬉しい〜」と鼻を擦ってる。勝手に解釈するのやめてくれませんか。挙げ句の果てには、「で、どこまでいったの?一発ヤッた?」なんて、突拍子も無いことを言い出した。
だから、人の話を聞けよ、奇跡のバカがぁと叫んでしまえたらどれだけ楽か。
キスだけで精一杯で、それ以上なんて無理だし。いや、だから、そもそも付き合ってないし!
「あ、松野さん!やっぱりここにいたんだ!」
噂をしてればなんとやら。僕の平穏に土足で上がり込んできたもう1人のバカがやってきた。
今日は今日とて一体何の用なのか。毎日毎日、飽きずに僕のところにやってくるこの女の考えてることは全くわからない。
「初めて煮物作ったから、松野さんに食べて欲しいのです!お昼まだでしょ!?」
松野さん、毎日カップラーメンだし!だから、心配です!と、くだけてるのか、敬語なのか、曖昧な言葉遣いで、彼女はそう言った。だからお前はなんなんだよ!母さんよりも母さんらしく、僕の健康面まで気にしてくれてるそうだ。
それじゃあ行きましょうと、こいつはまた自然に手を繋ごうとするものだから、反射的に避けてしまって、びっくりしたように彼女は目を開く。いや、これは僕のが驚いて当たり前でしょ。
「…あ、ごめんね。嫌ですよね、」
「いや、 べつに…」
そういうわけじゃない。
ただ、なんだか僕の方ばかりか意識してて、それがかなり悔しい気がしなくもない。
男としての意地なのか、なんなのかよくわからないけど、「早く行くよ。」と、今度こそ手を繋いだのは僕のが先で、そのまま階段を上った。
ばくばくうるさい心臓の音を、気付かれないように抑えながら。
女の子と手を繋ぐのでさえ、保育園のダンス以来で、だから、こんなに緊張してるわけで。決して、相手がみょうじなまえだからってわけではない。認めてしまったら、僕という人間が一気に崩れてしまう気がする。傷つきたくない。だから、僕は孤独を選んできた。
なのに、彼女は僕の作った壁を一瞬にして粉々にしてしまって、屈託無い笑顔でそばまでやってくる。僕にとって、この人は脅威な存在だ。
「一松さん!」
「なに、」
「あのね、一松さんって呼んでもいい?」
「……か、勝手にすれば」
またしても予想外のことに反応に困ってしまって、こいつといると、どうしてか調子を狂わさられる。
もはや、平凡に埋もれていた日々が随分と遠い日の記憶。
そっぽを向く僕は態度とは裏腹に耳が熱くて、それに気づいた彼女は嬉しそうに笑った。
ちなみに彼女の料理とやらは壊滅的なほどで、だけども、まずいだなんて言えなかった僕は結局彼女に甘い。
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