私、みょうじなまえは大学に通うためにこのアパートに越してきたというのに、結局途中で行かなくなり、親の勧めで就職もしてみたけど、人間関係に苦しんで、そこも結局辞めてしまった。今はフリーターというわりかし自由な身分である。将来のこと?そんなのなんにも考えてません。今が楽しければそれでいい。といっても、特に趣味があるわけでもないし、彼氏とはこの前別れたし、バイトしてご飯食べて寝るだけのつまらない毎日が数ヶ月続いてた。
「こんにちは!」
「………」
いや、挨拶くらいしろよ、この紫色パーカー!隣に住んでる人は無愛想で人殺しそうな雰囲気だし、なんだか、なにもかもついてない気がして、ため息が溢れる。
私は自分で選んだくせに、生きてるのか死んでるのかわからない日常に、もう飽き飽きしていたの。
できれば、お金持ちでイケメンの彼氏がほしいなぁなんて現実味のないことを考えるときだけが唯一楽しいこと。ときめきは女の子にとっては必要不可欠なんだけどなぁ、恋したいなぁ。でも、人を好きになるってどうすればいいんだっけ。最近までしてた恋は、果たしてそう呼んでいいのかもわからないし。なんとなく付き合ってただけだし。なんだか、私の人生全部が適当な気がする。
そんなある日のこと、私の世界が一変する出来事が起こったの。
バイト帰りのくたくたの身体で、アパートの階段を上ろうとしたところで大家さんと思われる笑い声が聞こえたから、ばれないようにと一階の方を覗き見た。
大家さんと、同じ顔の紫色のパーカーの例の怖い人。2人が兄弟であることは誰がどうみてもわかるだろう。
なにやら彼らの周りを猫が群がっていて、でも、近くで餌やり禁止の看板見た気がしたのだけど。それは大家さんが許可してるから、いいのだろうか。
すりすりと白い猫が怖そうな彼の方へとすり寄ってる。その人は危ないよと声に出しそうで、猫ちゃんの生命の危機を少し感じたのだけども、そんなの杞憂だった。
「お前、ほんと、ネコ好きだよねぇ〜」
「だって、かわいいじゃん。」
たぶん、これは一目惚れの部類に入ってしまうんだと思うの。よしよしと猫を撫でる紫色のパーカーの人は、普段の仏頂面からは想像できないほどに優しく微笑んでたから、私は目を奪われてしまった。
今朝私が挨拶した人とは、まるで別人。
心の中に隕石が落ちてくるみたいな衝撃。いや、わかりやすくいうと心臓を弓矢で刺された感じ。
理由なんてわからない。好きになってしまったのだもの、きっと恋って単純で曖昧なものだと、私も今初めて知ったこと。
この人……好きに対しては、あんな顔をしてくれるんだ。
私にもしてほしい。どうすれば、笑ってくれる?
「大家さん!!」
「なになに、なまえちゃんどーしたのぉ?」
「あの、大家さんの兄弟の彼の名前、なんて言うんですか!教えてください!」
「一松だけど…なになに突然?」
「あ、いや、ちょっと気になったから!」
「ふーん?」
にやにや笑う大家さんに悟られた気がして、私は聞くだけ聞いて颯爽とその場を離れた。
本当は彼女はいるのかとかその他もろもろ知りたいことはあったけども、今ここで真実を聞くのは堪える気もするし。
相変わらず、「こんにちは!」と挨拶をしてもシカトされる一方だけども、
不器用な人なだけで、本当は動物を大切にしてる優しい人なのだ。彼の猫背を眺めるだけで、胸が熱くなる。恋って、どうして、一瞬で生活に色付けをしてくれるんだろうなあ。
つまらなかった日常も、彼の隣に住んでると言うだけで、幸せなものへと形を変える。
私の頭は一松さんのことでいっぱいで、バイト先の飲み会で泥酔するまで飲んでしまった私がまさか彼に助けられるなんて、それはまたもう少し先のお話になるのです。
back