実家を出て早数年。人と関わるのが苦手な僕でも、兄の管理するアパートだからこそ住むことも叶っている。バイトするのはある程度の生活のためで、食って寝て、猫と戯れる。365日、24時間、毎日同じことの繰り返し。
彼女?結婚?いや、ないない。僕には無理。このまま孤独なおっさんになっていくのは確かに微妙だけど、もともと多くを望まない自分にはこれが丁度いいんだ。これで十分幸せなんだと。
…そう思ってたのにさ、ほんと、人生って突然変異だよね。
「は…なにこれ…」
深夜、バイトからの帰宅をした僕なのだけども、部屋の中に入れずにただ立ち尽くすだけ。なぜなら、僕の家の前で女の子が寝ているから。友達ではないけど、というか友達いないし…でも知ってる人。たぶん隣に住んでる子。名前は覚えてないし、挨拶されてもシカトしてるから話したことはない。
「酒くさ…」
屈みこんで、彼女の顔を覗き込でみるけども匂いに耐えきれず自分の鼻をつまんだ。これ確実に潰れてるんだよね。いや、泥酔するんなら勝手にやってくれないかな?人のこと巻き込まないでくれるかな?もしかすると、一階に住んでるクソ長男よりタチ悪いのではないだろうか。
……これが男なら蹴飛ばして強行突破してやるんだけども、相手が女の子となると別だ。
彼女が右手に握ったままのバックに勝手に手を突っ込んで部屋の鍵を漁ってみるもの、それらしきものは見つからない。そもそも、こんな状態でよくここまで帰ってこれたな…。
「………」
仕方ない…こうなったら、自分の部屋に入れるしかない。さすがの僕でもこの状況で置き去りにするほど薄情な人間じゃないから。それに放置してなにか事件になっても面倒だし。
クソ長男は実家に戻ってて今日はいないし…てか、いつもはしつこいくらい突っかかってくるのに、なんでこんな時に限っていないの?最高にイラつく。
彼女の両脇を抱えて、引きずるようにそのまま自分の部屋へと招き入れた。多少乱暴だろうとしょうがない。
敷きっぱなしの布団に寝かせて、普通の男ならこのままヤッちゃうのだろうけども、生憎、童貞なんでそんな勇気持ち合わせてません。
なんせ、この空間に女の子がいるってだけで、そわそわと落ち着かないレベル。
……あ、でも、キスくらいさせてもらう?だって、女の子に触れる機会なんて二度とない。ちょっとした欲に任せて、彼女の顔に近づいた。
でも、割と健常人な僕はすぐに理性を取り戻す。……いやいやいや、さすがにダメでしょ。これ犯罪になっちゃうから。ゴミだけども、それなりに真っ当に生きてきたし。
「んーちゅぅ」
「ふご!?」
首に回された彼女の両腕によって僕は動けなくなった。さらに、目の前には彼女の瞼があって、それもくっつきそうなほど近い。というか、あれ、これ僕のが彼女の口で塞がれてるよね?これしちゃってるよね。ぬるりと生暖かい舌が入って来たものだから、慣れない感触に、ぶるりと身震いした。
気持ち悪いとかはない。酒臭さは変わらないけど。それより、吸い付かれるたびにちゅっちゅっと生々しい音が聞こえてくるから、頭の中はさらに真っ白になる。五感すべてを奪われてる気分で、完全に主導権を握られてるのは僕の方だ。
……ちょっとまって、まって、まって!?息の仕方がわからない、死ぬ。ほんとに死ぬから、ギブギブ!ギブアップ!
彼女からむりやり体を引き剥がし、箪笥に寄りかかって、遠くから彼女を眺めてみるけど、変わらずにすやすやと眠っている。
え、キスしちゃったんだよね、しかもディープなの。だって、いつもかさかさの唇は潤ってて、感触が残ってる。
これ、ファーストキスなんだけど。ばくばくしてる心臓もついでに抑えたいのだけども、うまくいかない。やばい俺このまま死ぬのかな。
とりあえず、寝よう。きっとこれは夢だ。うん、そうだ、夢だ。男としてはどうなのかと思うけど、女の子に襲われた夢だ。明日になったらきっとなにもなかったことになってる。
よし、寝よう。だから、今すぐ寝よう。
ソファーに体を投げて、そのまま眠りについた。
「あれ、松野さん?私、なんでここにいるのでしょうか?」
「あ、いや、えっと、あの、その、」
夢じゃなーい。現実つらーい。恥ずかしすぎて顔見れなーい!しかも、記憶なーい!まじかよ、勘弁してくれよ!これもう僕、犯罪者確定!?このまま警察に突きつけられちゃう感じ?
「ソトデネテタカラ、ココニツレテキマシタ。オレハナニモシテマセンカラ。俺は…!」
僕は君に危害を与えるつもりはないと、両手のひらを向けて無罪を主張する。カタコトの日本語でも通じたようで、彼女はありがとうございますと笑った。あ、ちゃんと顔見ると、結構かわいい。この子と僕は数時間前に…また思い出して爆発しそう。
「…すみません、迷惑かけて…」
「別に平気…」
いやいや平気じゃない!とりあえず、早く帰って。今すぐ帰って、ほんと僕に安泰ちょうだい。正直一睡もできなかったから、というか、出来るわけないよね!?目が重たい。ほんと帰って。
なのに、彼女は今日は仕事がないからと、もうちょっと寝ますと、再び目を閉じた。
はぁ!?まじで、なんなのこいつ!?
みょうじなまえとの始まりはこんなクソみたいな感じだったんだ。
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