19、忘れ物
今朝はピピピッと鳴り響く目覚まし時計よりも早く目が覚めた。
すぐに洗面台にむかって…顔を洗って、歯磨きをして、
制服に着替えて、朝ご飯を食べて、お母さんからお弁当を受け取って、それから、家を出る。
「いってきます!」
やっとこの日がやってきた。
始終心が踊るのを感じる。こんなにも学校に行きたくてしょうがなかったのだと、自分自身も気がついてなかったみたいだ。
1ヶ月と少しの長い夏休みも終わった。
もうすぐ季節は秋に変わる。あの入学式から半年。早く感じるのは、それだけ充実感があったってことで。
どうしてか…理由はもう分かり切ってるよ。
…あの人が、過去に縛られていた私の手を引っ張ってくれたから。
やっと、後ろを振り返らずに、歩くことができるようになったから。
『おはよう、みょうじ。』
その声を聞いただけで、ぴくりと反応してしまう。緊張する。それは隣の席の彼の声。
「……お、おはよう、赤司君。」
きちんと目を合わせて、挨拶をすれば、彼は嬉しそうに笑ってくれた。
「おはよーなまえちゃんっ!」
「おはようっス!なまえっち!!」
「おはよう二人とも。」
妙な気まずさも、居心地の悪さも感じない。桃井さんと黄瀬くんがこちらにやってきて、夏休み前の空間と同じで、だけど、少しだけ違う。
彼が好きなのだと素直になったら、今までよりも些細なことが輝いてみえる気がするの。
「赤司くんとのこと解決した?」と、私の前の席に座る桃井さんが小声で話しかけてきて、私は首を横に降った。
「早く仲直りしてね!」
「うん。」
大丈夫。……今日中には、伝えたいと思ってるから。
こうみえて私は思い立ったら、すぐに行動してしまう派だ。
そういえば、征ちゃんのときも入学式で一目惚れして、勢いで告白してしまったな…と、3年前のことを懐かしく思った。
二期制のため、始業式もなく早速授業が始まる。一限目は世界史。なのだけど、鞄の中には日本史の教科書しか入っていなかった。色合いが似ているものだから、どうやら間違え持ってきてしまったみたい。
「あの…赤司くん。」
『なに?』
「教科書忘れちゃって…見せてもらえないかな……?」
他愛ない会話にも、私はどきどきと胸が高鳴る。
いいよ。と短い返事のあと、少し間の空いていた二人分の机と机が繋がった。私と彼の距離も同時に縮まったのに、赤司君はいつも通り落ち着いて居て、きっと私ばかりが意識してる。
「…それじゃあ次は53ページ開いて、」
ぱらり、紙の捲られる音が近くで聞こえる。
せっかく見せてもらっている教科書よりも、私といえば赤司君の手元ばかりが気になっていた。
『どうかした?』
「あ、いや、赤司君の字…好きだなっと思って…」
ノートに書き込まれていくそれは男の人にしてはとても綺麗で、とても見やすい。黒板よりも赤司君のノートを丸々移した方がテスト勉強の為になる気がする。
『……字だけ?』
「え?」
私がきょとんとした表情をしてみせれば、彼は慌てて「なんでもない。」と先ほどの言葉を取り消した。
けれど、すぐにその意味に気がついた私は思わず頬が熱くなる。
『すまない。催促するつもりはなかった…』
「う、ううん。平気。」
わざと私とは逆の方向を向く赤司君の耳は…やっぱり赤色をしていて、そんな彼が可愛いと思えてしまう。男の人を可愛いだなんて、初めて思った。照れ屋な赤司君の姿は、いつもより彼を身近に感じられる。
「こら!黄瀬っ!またノートも取らずに隠れてスマフォいじっていたのか!」
「ちょ、返してっスっっっ!!今、合コンのお誘い受けてた最中なんスよー!!」
「後で職員室に取りにきなさいっ!」
「先生にもイイ子紹介してあげるっスから〜!だから許してっスよ!!」
先生にスマフォを没収されてる黄瀬君に、クラスのみんなの笑い声が響く。さすがは我がクラスのムードメーカだ。
後ろの席に位置する私たちには目もくれず、先生は黄瀬君の相手に忙しいみたい。赤司君はそんな光景に呆れたのか、ため息をついた。
「冬休みも補習にならないといいね。」
『でも、これだからな。冬は絶対に面倒みてやらない。』
きっとそんなこと言っても、赤司君は優しいから、また勉強に付き合ってあげるんだろうな。少し先の未来を想像して、私は口角が上がる。
でも、そのとき、私は赤司君のそばにいれるのかな?
誰よりも落ち着くこの人のそばに居たいな。
冬休みだけじゃない。来年も、その先も、高校を卒業しても、私はこの人と一緒にいたいな。
「……好きだよ。赤司君のこと。全部好き。」
騒がしい授業の中で、唐突に紡いだ想いが自然と口から零れた。
あまりにもいきなりだった為か、赤司君は吃驚してる。数秒見つめあって、それから、照れ臭そうに薄く笑みを浮かべた。
周りは黄瀬君と先生のやり取りに夢中で、私と赤司君だけ別世界にいるみたいな感覚に陥る。
そこはとても気恥ずかしくて、だけど、幸せな空間で。
『……俺、絶対にみょうじのこと、大事にするよ。』
「よろしくおねがいします。」
一番後ろの席の特権。誰にも秘密で、机の影に隠れて繋いだ彼の掌の温度は、一生忘れることはない。
(どうか二度目の恋は、壊れませんように。)
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