08、救世主


人は誰かに手を引いてもらわないと、底から這い上がることも出来ない。



天気に恵まれた、校外学習当日。



「黄瀬君、桃井さん、おはよう。」

「おはよう!」

「おはようっス!」

「赤司君もおはよう。」

『おはよう、みょうじ。』


さん付けから、呼び捨てに変わってる。

私を見た赤司君は、少しだけ微笑んでくれた。日を追うごとに私と赤司君の間の壁は薄れていってる気がする。


もしかしたら、そう思いたいだけかもしれないけど。

でも、それは、赤司君だから。






「……ねぇ、ねぇ、なまえちゃん!赤司君と最近どうなのっ?!」


男性陣が必要な器具を借りに行ってる間、私と桃井さんは水で野菜を洗っていて、途中、彼女は目をきらきらさせた。そういえば、誤解されていたままだったっけ。忘れていた。


「…そもそも付き合ってないよ。」


「嘘は駄目だよー!…あっ!もしかして二人だけの秘密なんだねっ!わかったよ!私、絶対誰にも言わないから安心してっ!秘密の愛燃えるねー!!!」


いや、事実なんだけどな。これはなにを言っても通じない感じだ。黙っていてもらえるならとりあえずこのままでもいっか。

桃井さんこそ好きな人いるの?と聞き返せば今度は真っ赤な顔してみせた。

あ、恋してるんだ。



「だ、誰にも言わないでね?」

「うん。」


隣のクラスの黒子君って人だそうだ。彼女曰く学年一、紳士でクールでかっこいいのだと。隣のクラスにそんな人いたっけな?

クールはともかく、かっこいい人なら黄瀬君も当てはまるよね。


あと、赤司君も。私が彼にそっくりな人に恋をしたのは容姿に惚れてしまったから。思えば、私が彼を好きになったきっかけはなんて単純なんだろう。

それじゃ、征ちゃんは私の何処が好きだったんだろうなって、いけない。それを考えるのはなし。




「叶うといいね。」

「うん!私、頑張っちゃうよっ!」



叶って欲しいな。だって、そうじゃないと、恋なんて苦しいだけだもの。
それに、表には出さないけど、私のことを心配してくれた彼女だから、桃井さんには幸せになってほしい。

こうして、征ちゃん以外のことを思うことすら、私は忘れていたんだ。ちょっとずつ、失った感情が帰ってきてるみたい。








「赤司っちー俺もう腹減りすぎて限界っスー!」

『お前はつべこべ言ってないで、さっさと野菜を切れ。』

「わ、わかったっスから包丁向けないでっ!!!」


青白い顔してる黄瀬君に、真顔の赤司君が戻ってきた。

最近よく思うけど、割と正反対に見えてあの二人は気があってるんじゃないかな。
例えるならば従順な犬と、その飼い主。


「なまえっちそれは言い過ぎっスよ!」

「あ、ごめん!」














お昼のカレーも食べ終えて、一通り散策もした。

桃井さんは隣のクラスの黒子君のところへ、黄瀬君は女の子の集団に拉致されたから、残り物はじっと木陰でのんびりすることにした。騒ぐのはあまり得意ではないから、これくらいが丁度いいや。

赤司君といえば、こんなところでまで読書してる。ブックカバーしてるからどんな本を読んでるのかはわからないけど、きっと私には難しいものだと想像できた。




「……赤司君は他の子のところいかないの?」

『行ってほしいの?』

「そういうわけじゃないけど、」



くすくすと静かに微笑する赤司君。彼はいつからかよく笑うようになった。口角を少しだけ上げて、優しく笑うの。


『君、一人にしたらまた泣いてそうだからね。ほっとけない。』


冗談なのか、本気なのかわからない。でも、嬉しく感じてしまうから、参ったものだ。



「……もう大丈夫だよ。」

『いや、まだ駄目だね。』




ぱらり。ページを捲る音が、鮮明に聞こえる。

この人には敵わないなって思った。惚れた弱みでも、圧力的な意味でもなくて、純粋に。全部見透かされてる、私の心。

きっと、こんな人を好きになれたら、好きになってもらえたら、苦しまずに済むのかな。






「…ねえ、赤司君はさ、本気で人を好きになったことある?」

『ない。なろうとも思わない。』

「そっか。」


沈黙が二人を包むかと思えば、彼は話を続けた。





『でも、真剣に人を想える人は尊敬に価すると思うよ。ほら、君みたいに。』




本当に彼は、人の心でも読めるのだろうか。



「いつから気づいて…」

『君の言動、行動はこの小説の失恋した少女にそっくりだったしね。』

「そ、そうなんだ。」

『……少女は新しい誰かとまた出逢って、それで過去を忘れていく。』

「え、」


『君の苦しみもいつか、報われる時が来るから。』


「…う、ん。」


『だから、それまではここに居てあげるよ。』


「うん。」



私の頭を撫でてくれて、どうして、君はそんなにも優しくしてくれるの?

視界が滲む。その優しさがまた私の涙を誘い、目を閉じた瞬間、一滴零れ落ちた。でも、苦しいからじゃないよ。



ふにっと、瞼にやわらかい感触を感じた。目を開ければ赤司君の顔が間近にあって、数秒見つめ合ったけど、赤司君は我に返ったように慌てて私から離れて、小説を読み返し始めた。

隣に座る君の耳たぶが赤かったことに気づいて、それから私まで顔に熱を感じてしまったの。


…もしかして、キスされたのかな、今。







(存在が大きくなっている。君は身代わりじゃない。)


 

[back]