なぜかわからない。でも、彼はちょくちょく私の様子を覗きに来たのだ。
「みょうじちゃーん!進歩どうよ?」
もう数日が経過して、インテリアに特にこだわりのない私の部屋は、テレビ台があって、木製の本棚、それからテーブルにベットと、必要最低限しか詰め込まれておらず、瀟洒で、どこか味気ない。でも、私らしいといえばらしい気がする。
「お、綺麗になったねぇ、やっぱり女の子の部屋っていいなぁ〜」
「そうですか?」
「そそ、ピンク色のカーテンってだけでテンションあがるから!」
松野さんは物珍しいのか小学生のように、カーペットの上をごろごろと転がりはしゃいでる。ここ、私の部屋なのですが…というか、この人、実際はいくつなんだろう。結局、名前と大家であることしか聞けてはいない、謎の多い人だ。
「……松野さんって無職なんですか、」
「だから大家だって!でも、なーんもしてないからニートみたいなもんだよ!」
ははは、と自慢げに話す彼に、どう答えていいのか言葉に詰まった。ニートって、本当に存在するんだ…と軽くカルチャーショックがおこってる。働き者の両親を見てきた私にはそれがどれだけいいものか想像もできないし。
黙り込む私の肩に、急に彼の腕が回されてどきりと心臓が鳴った。
「まーまー、俺の話はいいからさぁ、とりあえず飯いこ!俺はみょうじちゃんのことききたいなぁ。」
顔が熱い気がする。男の人に慣れてないから、こういう不意打ちは勘弁してほしい。なんせ、私はカレシいないイコール年齢だから。男の人ってよくわからない。
私がわざわざ関東までやってきたのには、高々とした夢があったわけでも、野望があったわけでもなかった。
ただ、知らない世界に足を踏み入れたかったからで、何かが変わる気がして、そんな曖昧な理由で安泰を捨てて、ここまで来てしまったのだ。
「…で〜なんかぁ見つけられたのぉ?」
「いまのところは……でも、松野さんに出会えましたね。」
「まぁ〜もしかしたら俺が呼んだのかもねぇ。君のこと」
「どういうことですか?」
「ん〜」
もう何杯目なのか、真っ赤に染まる彼は、静かに片腕を伸ばして私のほっぺたを触った。まるで、存在を確かめるみたいな手つきで。にへらにへらと綻ばせてるかと思えば、神妙な顔つきで私を見つめる。その視線から逸らしたいのになぜかそれもできず、どきどきと心拍数が上がった。
「……ちゃん、」
「え、」
「もう一杯のんでい?」
「あー飲んだ飲んだぁ。ちょーたのしかったぁ!!」
「ちょ、ちょっと、松野さん大丈夫ですか?!」
ふらふらとしてる彼のことを見守りながら、私は一歩後ろを歩く。今日、知ったこと、彼は豪酒だ。手伝ってくれたお礼として奢りますと確かに私は言いましたが、いくらなんでも人のお金で飲みすぎだと思う。おかげで、貯金を崩す羽目になってしまったし。
上を見上げれば、夜空が広がってる。私の知ってるものとは違う都会の空。
私の故郷は、なにもないけど、晴れの日の夜空は宝石が散りばめている様な、それ以上の美しさがあって、私はそれを見上げるのが好きだった。
ふわりと腕に温かみを感じ、腕に巻きついてくる松野さん。だから、なんなのこの人。どんだけ子供なの。だから、そういうのやめてって、言ってはないですけど。別に嫌ではないんですけど、やっぱり気恥ずかしさに、むず痒さが離れない。
確かに、知らない世界を知れたような気がする。
「あれ、おそ松兄さんなにしてんの、ってあれ、アンタなんで…………いや、あ、誰?」
松野荘の前までやってきたところで、彼と同じ形の紫のパーカーをきて、これまた彼と同じ顔の男の人が2階から降りてきた。きっとここに住んでる人で、彼の双子の兄弟だろうか。この状況に驚いてるのか数秒動かなかった彼に恐る恐る声をかける。
「こないだ越してきたばかりの、みょうじです。」
松野さんと真逆で、無表情で、関わりづらさを感じた。
「 …うちのクソ長男がご迷惑かけたみたいで、すみませんね。」
「あ、いえ、」
……なんだかんだ楽しかったし、迷惑ではないけども、いや、さすがに迷惑ではあったかな…。「とりあえず、それちょーだい」と松野さんを指さされ、ゆっくりと引き渡す。ちょっとだけ罪悪感があるのは、弟である彼が殺気で満ちていたから。
「お、いちまちゅうだぁ〜?」とへらへらと笑い、呂律の回らない松野さんは今度は紫の彼にしがみついた。
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