大学卒業、そこそこの企業に就職、そして、一人暮らし。一般的なレールを手に入れた私はボストンバックを手にし、これからお世話になるアパートへと向かう。
地方出身の私からすれば都内はどこへ行ってもきらきらと輝く、魔法の国のような場所。たくさんのショップにカフェ、高いビルには看板の数々に、モデルのようにおしゃれな人。ひとつひとつに刺激を受けて仕方がない。
これから憧れの都内で一人暮らし。不安はもちろんあるけど、真面目に仕事して、休みの日は好きなことして好きなように過ごそうかなぁ。見知らぬ場所を目の前に、期待は膨らむばかり。
「あ、もしかして君がみょうじちゃん?」
松野荘と書かれた建物へと入り、102号室の目の前までやってくれば、その人は目を輝かせた。たぶん、同い年ぐらいの赤いパーカーはにへらと笑う。
「そうです、」
声をかけられれば、素直に答える…それは故郷では常識である。私のことを知ってるということは、親戚だろうか。俺も入っていい?って言われて、どうぞどうぞと名前も知らない彼をなにもない部屋へと招き入れた。築年数は20年ほど。たまたま空きを見つけてここに決めた。駅近、ワンルーム、トイレとお風呂は別。南向きと日当たりも良くて、フローリングは光を浴びてつやつやと輝いてる。
「…もー君って警戒心ないね?男を簡単に入れちゃダメよ?本当に一人暮らし大丈夫なの〜?」
「え、実家では普通だったので、」
「天然なの?!お兄ちゃん、ちょっと心配!」
はあ、そうですか。なんなんだろうこの人…近所のお節介なおばちゃんみたいなことを言う。
俺がやるよと積み上げられたダンボールを降ろしてくれて、自然と手伝ってくれる彼はきっと面倒見のいい人なんだろうなぁ。それが、最初の印象だった。
「俺はこのアパートの大家の松野おそ松!なーんでも知ってるから、なんかわかんないことあったら聞きにおいで。隣の101号室に住んでるからさぁ。」
照れ臭そうに鼻をこすりながらも、遅れた自己紹介に「よろしくおねがいします」と私は頭を下げた。
「…なんだか、初めて会った気がしないね。」
初めて会った気がしない。ずっと前から私は彼のこと知ってるような感覚。それが、彼と私の出会い。
最初からあなたの心の中に私がいなかったのだとしても、何も知らないお子様の私に、恋を教えてくれたのは、他の誰でもない彼だったのです。出会えたことに、意味はあったんだと思う。
でもね、あなたにとって、私という存在は、ただ、苦しいだけのものだったのかな。
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