「おそ松さん、これ昨日忘れていってましたよ!」
「ありがとう!つっても、中身空っぽなんだけどね〜!」
折りたたみの黒い財布をジーンズのポケットにしまって、いつも通りの笑顔を私に向ける。
私も変わらない態度をとる。なんだか、恋人のはずなのに、彼は随分と遠い存在に思えた。小説の彼女のように、泣きながら彼を問い詰めることも、責めることもできない弱虫な私には普通を装うことしかできない。偽って、目を瞑ることになんの意味があるんだろう。
でも、そもそも黙っているのはおそ松さんの方だ。けれども、打ち明けられたところで、私の胸中が晴れるとは思えない。
「なあ、大丈夫?」
「へ?」
「熱でもあるの?」
ぴたりと彼のぬるい手のひらがおでこに当てがられて、もちろん熱などあるわけないから、すぐに離れていった。
急接近した距離に、心臓はどきどきいってる。無理すんなよ?と、優しい声音が耳をかすめる。その優しさも本当は誰に向けられてるものなの?私の心は、信じたい気持ちの中、彼を疑ってしまう。
「いってらっしゃい!早く帰ってこいよ、俺待ってるから!」
いってきますと手を振ってアパートの敷地を飛び出した直後に、みっともないくらいにボロボロと涙が溢れてきた。せっかく覚えた化粧も台無しで、いくら泣けば私は救われるのかな。
昨日の束の間の幸せも、今の私からはこぼれ落ちて行くだけ。
「…あのさ……話したいことがあるだけどさ、」
「なんですか?」
「ううん、やっぱりなんでもない!」
抱きしめていい?の一言にこくこくと頷く。耳が、頬が、相変わらず赤くなってしまう。慣れない温もりに包まれて、程なくして、彼に塞がれる唇の感触ももう覚えてしまった。
えへへと漏れる彼の声に、私の口角も上がって、ああ、幸せってこういうことを言うんだなあなんておもった。
私の部屋におそ松さんがやってきて、お笑い番組を一緒に見て笑って、私の作ったご飯を美味しいといいながら食べてくれる。そんなささやかな日常がいつまでも続くと信じて疑わなかった初恋の私。
ここに越してきて、たくさん助けられて、おそ松さんと恋人になれた。たかが数ヶ月。されど数ヶ月は、私にとっては宝物と変わらない。
全部全部偽りだったのかな。全部全部、彼の心に私という存在はなかったのかな。
1人考えたところで、なにも正解は見つからないこともわかってる。
脳裏に焼き付いて離れないのは、私と同じ顔した女の子と一緒に映るおそ松さんの笑顔。
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