何かが水に浸るような音がして、その後にぎゅうぎゅうと搾り取られたそれから、ぽたぽたと水滴が落ちる音がした。

ひんやり、私のおでこに当てられたのは、冷やしたタオル。誰かが私のために用意してくれたんだ。それは一人しかいない。
大好きで大好きで仕方ない、あの人しかいない。


「……おそ兄…」

「やっと起きたか。おはよう、シスター。」

「カラ松お兄さん…?」


でも、返ってきた声は、愛しい彼のものではなかった。目の前のその人は青色のパーカーを着ていて、天井は見慣れた色をしている。でも、私はおそ兄とあの部屋で一緒に過ごしてるはずだ。
まだ少し重い頭で考え込んでみるけど、おそ兄と一緒に病院に行ったことも、実家に帰ってきたことも薄ら記憶にある。そうだ、私たちは2人でここに戻ってきたの。散々隠れていたはずなのに、これで大丈夫だとおそ兄が笑っていたのは、覚えてる。


「おそ兄は…?」

「大丈夫だ。まだ、家にいる。」

「まだ…?」

「あ、いや…」


カラ松お兄さんの引っかかる言い方に、私は身体を起き上がらせて、布団から飛び出した。

「寝てなきゃだめだ」と私を止める声も耳に入らない。随分寝込んでたおかげで、体調はだいぶよくなった気がするし、それよりもなによりも今は彼に会いたい。


「おそ兄、どこ、」


一通りの部屋の襖を全開して、ばたばたと階段を降りて、ひたすらにおそ兄の姿を探す。

だけど、1階には誰もおらず、ただ、しんと静まりかえるだけ。

おそ兄にさよならと、家族に戻ろうと言われる夢を見たことを、なぜだかこのタイミングで思い出してしまったの。

もしも、このまま、一生おそ兄に会うことが叶わなかったらどうしよう…と、過剰な不安に押しつぶされそうになった瞬間、背中がふわりと温かいものに包まれた。



「もー起きてきちゃったのー?寝てなきゃだめでしょ。」

「だって、おそ兄がいなくなっちゃった気がして、」

「ほーら、泣かないの!」


そう言われても、勝手に溢れた涙は止まってくれないから困ったものだ。身体を反転させて、ぽふりと彼の胸板に顔を埋める。それから彼の背中へと腕を回し、離さないようにと抱きついた。キスしてほしいと強請れば、軽いものが1、2回降ってきて、それだけで満たされていく。


「…おそ兄、だいすき。」

「俺も、」


すきって何回言っても、何十回言っても足りない。伝えきれないくらい私は彼のことが大事。自分のことよりも大切。

私はおそ兄がいないと、食事はできず、不眠になり、勉強だって進まない。赤点ばかり取っちゃうかもしれない。きっと、なんにもできなくなっちゃう。
もしかしたら、1人で立つことすらままらなくなってしまうかもしれない。

…まだ幼い私の恋愛は、相手に縋ることで成り立っていた。

恋愛って脆いものだって認識はあったからこそ、目に見える位置で絆を感じていたかった。でも、本当は自信がなかっただけで、それは、私が子供だったから。

本当の意味での愛情を理解できていなかったんだよね。



「…なあ、なまえ、」

「なに?」

「お兄ちゃんな、来週にはこの家出てくから」


その言葉を聞いて、反射的に出てきた本音は、「いやだ、私もついていく」

今まで我儘言ったことないよ。だから、この我儘にはいいよって言ってよ。そう零したところで、ただ、おそ兄は困ったように眉尻を下げるだけ。

現実的でない私の望みを、もちろん、彼が了承してくれるわけがない。


私はおそ兄が必死になって守ろうとしてくれたものがどれだけ尊くて大切なものか、家族も恋人も両方とも大切にしてしきた彼の気持ちを、
いつもいつも自分のことばかりで、全然わかろうとしてなかったの。
彼の下した決断が私のためであることも知らずに、ただ泣いて行かないでと喚いてた私に、この恋を続ける資格なんてなかった。

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