「…私があの子のこと、受け入れられるわけないの。手放すことだってできるの、その意味がわかるわよね、チョロ松?」


彼女は、僕に向かって確かにそう言った。

見た目には現れなくとも、じわじわと侵食していき、ひとはいとも簡単に壊れてしまうんだ。それは一番欲しかったものが…例えば人の心が手に入らなかった時の、妬みや僻みだったり。

塵に積もったその感情が、いつしか大事なひとを傷つけてしまうかもしれない。

だから、僕はなまえのことを守ってあげたかったんだよ。だって、もうかけがえのない家族なのだから…大事な大事な妹なのだから。



……なのに、同じ顔した兄が、世間から外れているやつが、大切な妹の心を奪ったのかと思うと僕の中で憎しみが暴れ出す。そんな僕も、もしかして、なまえにとっての害になってしまうのだろうか。





「ただいま!」


2人で出かけたはずのなまえは、1人で帰宅した。ああ、そうか、そうやって誤魔化すために、今まで小細工していたってわけね。僕らの目を欺くために。

僕は読み途中の雑誌を閉じ、「おかえり。」といつも通り微笑んで、彼女を出迎える。

いつもと変わらない日常。僕が守りたかったものは、ほんの些細なことだ。

こぼれそうなものを全部丸呑みして、押さえ込もうとしたのだけど、まだ黙ってあげようと思ったけど、だけど、僕ってそんなに大人じゃないんだよ。完璧な兄貴じゃないのは、きっと僕だって同じだった。


「ねえ、待って、」


二階に上がろうとするなまえの行く手を阻んで、僕はわざとらしく音を立てて壁に手の平をつける。溢れ出す怒りをそのまま表に出せば、なまえは困ったように僕を見上げた。


「…今まで誰とどこでなにしてたの?」

「え、えっと、友達と、」

「……首、また痕ついてるけど、それ、誰につけられたの?」


虫刺されで…なんて誤魔化そうとするなまえの顔は真っ赤に染まっていて、こんなにわかりやすい反応する彼女に、僕は今までなぜ気づかなかったんだろう。なまえのことならなんでも知ってるつもりだったのに、僕はなんにもわかっちゃいなかった。それも悔しくてたまらない。


「なんで、だよ」

「え?」

「なんで、あいつなんだよっ!」


赤いパーカーが脳裏をちらついて、同じ顔のはずなのに、あの憎ったらしいほど清々しい笑顔に苛立ちはますます募る。もしも、おそ松兄さんじゃなくて、カラ松だったのなら、僕は納得した?一松だったなら、十四松だったなら、まともなトド松だったなら、僕は許せた?

答えなんか、最初から決まっていたんだ。


「母さんの気持ち、今、やっとわかった…」

「チョロ松お兄さん!?」


自覚したら、止められなくなった。出会った頃からあまり変わっていない小さい身体を、思いっきり抱きしめてた。

妹だなんて嘘だ。僕は最初から女の子としてしか、異性としてしかなまえのこと見てなかったんだ。
自分で自分のこと騙し続けるのも、もう限界。

前におそ松兄さんに言われた、なまえが好きなのか?って質問、今ならはっきり言えるよ。

なまえは、僕の好きな女の子。

ただ、なまえが欲しい。だから、あいつに渡したくない。
純粋に愛おしい気持ちは、今この瞬間、憎しみが増悪して、形を変える。

それは、まるで、悪魔の囁きのようだ。


「……ねえ、なまえ、母さんはねなまえのこと、すごく恨んでるんだよ、本当は気づいてるでしょ?」


だからさ、母さんにとって大事な大事な息子と、ましてや長男のおそ松兄さんとセックスしてるってばれたら、なまえはこの家に居られなくなるよ?なまえは遠い遠いところに捨てられて、おそ松兄さんにも一生会えなくなるよ?学校にも通えないかもね。将来もどうなるかわからないよ。

バラされたくない?

なら、僕にもなまえのことちょうだいよ。
なまえは賢い子だから、どういう意味だかわかるよね?


全部言い終わった後、なまえは泣いていた。僕が泣かした、その事実がただただ嬉しかった。そんな僕も、もう母さんと同じように心が壊れてしまったのだろうか。











「…チョロ松、お前何してんだっ!」

その声が聞こえる前に僕となまえは引き裂かれて、すぐに頬に鈍い痛みが走る。

全くさ、暴力にモノ言わすのも、加減が効かないのもバカゆえなのかな?

一松と、おそ松兄さんに抱きつくなまえと、それから、人を殺しかねないほど殺気に満ちた長男が、頬を抑え、倒れこむ僕のことを見下ろしてた。

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