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なにもかも突然だった。
「松野さんのとこのおそ松くんと将来結婚してもらうことにした。実はなお父さんたちの夢だったんだよ。自分たちの長男と長女の婚約はな。」
おそ松くんはいい子だしな、なによりよく知っている。お前も嬉しいだろう?と、お父さんはつらつらと言葉を続ける。きっと、彼は私の将来を心配してくれている。私に身を固める予定はもちろんなくて、そして、私に拒否権はないの。お父さんもおじいちゃんも、ひいおじいちゃんもお見合いで結婚している。親の決めた相手と結婚するのは、私の家系では当たり前のことだった。
だけど、あなたたちの夢に私を巻き込まないで欲しい。本当の本当は心の中で叫んでいた。言葉にしてしまいたかった。
お父さんが倒れたのは、実の親が余命宣告されたのはその後のこと。彼がなんでおそ松くんと結婚させたかったのか知った時は、涙が止まらなかった。「お前が幸せになってくれなきゃ死ねないな。」
そんなこと言われたら、もうなにも言えない。
「…他の人には言わないで。」
「わかった。」
おそ松くん以外には知られたくない。いや、知られたくないのは一人だけかもしれない。
どうせなら、快くお祝いして欲しいから。みんなには気を使わせたくないの。
素直になるって、難しいんだね。
「おそ松くんは本当にこれでいいの?」
「まーしょうがないんじゃない?」
2人で飲みにきた。魚介メニューの多い居酒屋で、月曜日の今日はやはり閑散としている。目の前のグラスの、可愛らしいピンク色のそれをごくごくと飲み干す。今はお酒の力に頼らないとやっていられなかった。
「俺らでさー親孝行してやろうよ?」
「………。」
私の将来の旦那さんになる人は、私のことなんて好きじゃない。そして、私も、彼のことは好きではない。
それに結婚って言っても、今までもずっと一緒にいたじゃん?と彼は笑う。確かにその通りで、松野家と私たちの間には家族と似たような繋がりがすでに出来上がっていた。
おそ松くんには5人の弟がいて、みんな同じ顔をしているの。世にも珍しい六子が私の幼なじみだ。一般的には判別が難しいのだけども、私は背中を見ただけで誰なのかわかるのは、20数年も一緒にいるから当然といえば当然なのかもしれない。性格も、クセも、趣味もみんなバラバラで、その中で1番に思い浮かべるのは、やっぱりあの猫背。
「つーか、なまえ呑みすぎ!もうだめでーす!」
「やだぁーーまだまだぁー!!」
くらりふわりとした感覚。一度でいいから記憶がなくなるくらいまでお酒を飲んでみたかった。これはいい機会なのだ。自分の限界を知るのは成長のためには良いことだよと店員さんを呼ぼうとする私の頬を、隣にいる長男が思いっきりつねる。痛いよ。ばーか。駄々こねる私に、お調子者の長男は珍しく困惑している。こんなおそ松くん初めて見るかも。
わかっているの。きっと、痛いのは心。目頭から生暖かい雫が零れ落ちる。おそ松くんは私にとってもお兄さんみたいで、お酒に溺れて涙もろくなった私の頭を時間が許す限り撫でてくれた。
このまま優しいおそ松くんを好きになってしまいたいよ。
おそ松くんのことが好きだったのならば、私は世界一の幸せ者になれたはずなのに。