07
「い、一松く、ん」
やばい、これは非常にやばい。これは、やらかした。どんなに優しい彼女も、引くに違いない。脳が正常に機能しないせいか身体は動かないし、冷や汗が流れる。
じわじわと顔が赤くなっていくなまえさんと、面白そうににやにやしてるおそ松兄さん。なんで、こいつこんな時まで憎たらしい顔してんの。
「ごめん、私、帰るね!」
必死にどうすべきか考えているうちに彼女は駆け足でこの場から去っていく。その後ろ姿を見ているだけで、言い訳をすることも、謝ることもできず、すでにそこには同じ顔の男二人しか残っていない。
それから、てくてくと白いあいつが僕たちの前にやってきた。ああ、もう少し早く助けに来てほしかったよ、友よ……。
「あーあ、一松なんてことしてんのー」
「いや、あの、ごめん…」
「せっかくのチャンスだったのになー」
「…………。」
焦ってる気配も怒ってる感じもしない。しかも棒読みで、こいつ、もしかして、僕がいることに気がついてあんな態度に出たんじゃないか。そう疑われてもしかたない様子だ。
「お前さー隠し通せてると思ってるわけ?」
「なにが?」
「もーさー!お前がその気なら俺も絶対譲らないからっ!」
おそ松兄さんがなにを言いたいのかわかるけど、僕が出来るのはしらばっくれることだけ。僕は絶対にこの気持ちを伝えるつもりはない。だって、僕には彼女を幸せにできる自信も、素質も、財力もなにひとつ持ってないんだよ。おそ松兄さんと違って。仮に僕が出しゃばったとして、目に浮かぶのはなまえさんの困ったように笑う顔。
「……ねえ、おそ松兄さんはさ、」
「なに?!」
「なまえさんのこと好き?」
「好きだよ。」
「そっか、」
おそ松兄さんが譲らないと言うくらいの気持ちならば、僕の出る幕なんてどこにもないじゃん。もうなにも言うこともない。長い長い片思いの潮時だったんだ。気持ちをリセットするためにも、近いうちに一人暮らしでもしようかな。僕はおそ松兄さんとなまえさんの前から消えるべきだし、離れないと忘れられそうにない。
そのまま立ち去ろうとする僕に向けて「好きだけど、でも、」となにやら続きを喋りだした。
「俺、女の子はみんな好きだから。嫌いな子なんていないよ。」
「は?」
「だーかーらーなまえじゃなくてもいいんだって。」
は?なにいってるんだ、このクソ兄貴。ようやくこの気持ちに決着がつきそうだったところに、爆弾を投げ込まれたみたいに感情がめちゃくちゃになる。
にたにた笑いながら、「なまえはいい子だし、俺の言うこと割とよく聞くし、結婚するのまあ悪くないけどさ、あれだよ、男と女の行き着くところは結局セックスだし?なまえ、ガード固いからどうしようかめちゃくちゃ考えてるし。そこはお前も一緒だろ?男なんて下半身成り立たなきゃやってらんないじゃん。
可愛くて、いい子なら俺は誰でも大歓迎なんだよ!そんなもんだろ?」
怒りを通り越して、呆れしか出てこない。
そうだった、こいつはくずで、ばかで、小学生レベルのどうしようもない兄貴だった。人の性格なんて、そっとやちょっとじゃ変わらないのは知ってる。僕も変わろうと試みたことあるけど、20代過ぎたら根本はなにも変えられない。
「いいの?俺に負けても?」
にやりと宣戦布告を含めた笑みを浮かべるおそ松兄さん。いつもだったら、しょうがない。僕じゃなにもできない。そう言って諦めてきた。
「にゃー」と鳴き声が聞こえてきて、僕の友も応援してくれてるじゃないか。そう思ったら、ようやく言葉にすることができた。
「……負けたくない。」
−−−−「一松の努力次第だと俺は思う。」
こんな時にカラ松の台詞を思い出したのが、無性に腹立たしかった。