※死ねたあり 世界はひろくはないよ。世界は、狭いよ。僕となまえだけが、存在してればいいよ。 両手の親指と人差し指で四角をつくって、カメラに仕立ててみる。その中に映るのは、すやすやと眠るなまえの姿。 このフレームの通りに、もともとなまえしかいない世界だったならば、僕はこんなに惨めで、醜くい思いもせずに済んだのに。 どうして、あんたの世界の中心は僕じゃないのだろう。いま、あんたの隣にいるのは、たったひとり、僕のはずなのに。 なまえの心の中には、いつだって、あいつの存在を感じる。 消してしまいたい。そんな自分も消えてしまいたい。 ああそっか、人はいつか死ぬ生き物なんだから、それならいっそ、一緒に死ぬのもいいんじゃない? そう言えば、なまえは喜んで自分の首に手をかけてしまうだろう。 だって、ここは、どこを探しても、なまえの愛する人のいない世界なのだから。 あいつが死んで、もう2回目の春がやってこようとしてる。 △ 「…ねえ、もう帰ろうよ、一松。」 「ん、やだ。」 すたすたと彼女の前を早歩きすれば、なまえは必死についてくる。それがたまらなく嬉しくて、だから、なまえのこと置いていこうとする。誰かが整備でもしてるのか比較的歩きやすい山道だけれど、本当は彼女が転ぶんじゃないかって、気が気でない。でも、手をつないで、同じ歩幅でなんて、そんなの夢のお話だ。 あいつと同じ顔であるのに、僕は身代わりになることすらできないのだから。 仮に身代わりになれたなら、今度はどんな感情を背負うことになるのだろうか。あー考えただけで、吐きそう。 彼女が「一松」って他のどいつでもなく、僕の名前を呼んでくれることだけが、唯一、僕を繋ぎ止めてくれる。 ちゃんと、なまえの中に僕の存在はあるのだって、その事実だけで十分幸せだった。 「というか、一体どこ行くつもりなの?」 「んー心中しやすそうなところ探してる。」 くいくいと僕の裾を掴んで、だれとだれが心中するの?って、彼女は怪訝な目で僕を見つめる。僕となまえ。そう言えば、またいつものメンヘラ始まったのー?なんて、彼女は笑ってた。いや、ここ笑うとこじゃないでしょ? さすがに怒ることでしょう?バカなの? あーあれか、あんたの恋人に似て、ずいぶん楽観的な思考をお持ちなのでしょうか。そりゃ随分と長くお付き合いしてましたもんね。って、なに、自分の傷に塩塗ってるんだろう。馬鹿は僕か。 「もーしょうがないから、付き合ってあげるよ。心中ごっこ!」 ごっこのつもりはないんだけど。割と本気なんだけど、きっと彼女には伝わってないし。まあ、それはそれでいいけど。なまえが楽しそうだから放っておくことにする。 山道をぬければ、そこには絶景か待っていた。僕たちの住む町があって、その先には海が見えて、溶け込んでるみたいに空が広がっている。ひゅるりと吹いてる風に任せれば、この身体は簡単にここから落ちる。 ああ、ここから飛び降りたら、一瞬で死ねるんだろうな。落ちてる間になにを僕は一体なにを思うんだろう。なんとなく予想はついて、きっと僕は生き絶えるのその時までなまえのことを考えてしまうだろう。 「……あまり痛いのはやだな。」 「そだね。」 「でも、なまえが一緒なら、たぶんできる。」 一生かかっても愛する人の心が手に入らない僕と、一生かかっても二度と愛する人には会えないなまえ。皮肉だね。 あいつの葬式にあんたの姿はなかった。あいつの命日にも、あんたの姿はなかった。彼女の中で、あいつはまだ生きているんだ。死んでなんかないんだ。わかってる。でも、声を聞くことも触れることもできない。だって、あいつはもう灰と同じようになってしまったのだから。 遺影の中でしか、あいつはもう存在してないのだから。それが現実なんだから。 ねえ、なまえ、受け入れられない世界で、どうやって生きていけばいいのだろうね。 でもね、それは僕も同じだよ。 本当は、なまえがそばにいればいいなんて、そんなの大嘘だ。本当の本当は、あんたの全部が欲しくてたまらない。心も身体も全部僕のものにしてしまいたい。 叶わないならさ、だからさ、一緒に、この世界を捨ててしまおうよ。 「一松、あのね、」 「なに、」 「私ね、ちゃんとお別れしてきたよ。」 あーその笑い方とか、あいつにそっくりで胸糞悪いのに、すぐに彼女の目からはぼろぼろと涙が流れたから、どす黒い感情は消えてしまった。 笑ったまま泣いて、なまえは忙しい女だ。そんな彼女が好きで好きでしょうがないんだ、僕は。 「この前の命日に、ちゃーんと、あの人の好きなお酒買って、会いに行ってきたよ。 私ね、この世界を生きていきたいから、」 きらきら輝く彼女が眩しくて直視できなかった。彼女は僕が思っていたよりも、強い女だった。僕とは大違いだった。どこかで、あんたと僕は運命共同体だなんて、ばかな期待していたのかもしれない。そんなわけないのに。 もうなまえと僕の歩く道は違えてしまうんだ。ついでに彼女にとって、僕という存在は不要となってしまったわけだ。もう、そばにいる理由もない。 なまえを失った僕という世界が、音を立てて壊れる。あっけない人生だったな。まあ、もともとゴミなんで、ゴミはゴミらしくしてろってことなんだろうね。次の可燃ゴミの日に、自分自身を捨てに行こうかな。 ふいに繋がれた右手に、身体が熱くなる。 「一松が、そばにいてくれたおかげだから、」 「は?」 「ずっと、そばにいてくれて、ありがとう。」 不意だった。勝手に涙が流れたことに驚いたのは他の誰でもなく僕自身だった。長年溜め込んでいた想いが溢れ出すみたいに、ぼろぼろと雫が落ちる。 「…え、なにそれ、ちょっとさ、そういうこと唐突に言わないでくれるかな、」 ごしごしと片方の袖で涙を拭う。いや、ちょっと、これは、かっこ悪すぎでしょ。 照れ隠しとやらも含めて、ぎろりとなまえを睨み付ければ、君は無邪気に笑った。子供みたいに歯を出して、笑う。あーもう、かわいいなぁって、愛おしい気持ちだけが後に残った。 これは、夢なのかな。夢なら、覚めなきゃいいのに。夢じゃないよって、私は一松が好きだよって、君は確かにはっきりと言った。 前言撤回してもいい? この世界を捨てるなんて、勿体なくてできるわけない。 深海ユートピア (愛しい人を失ったからこそ、私を愛してくれる彼を大事にしようと思った。) |