…ついに、夢から醒める時がやってきてしまったようだね。 記憶を取り戻す感覚など僕にはわからない。 時間軸の違う記憶が次々に入ってくることに耐えきれないのか、彼女は頭を抱え、しゃがみ込んだ。僕は彼女の肩を抱き、摩って、落ち着かせようと試みる。 変わってやれたらいいのにと、君が苦しんでいるときは、いつもそう思うよ。 「…私は、涼太と付き合っていたの…?」 「ああ、」 「赤司くんと私は友達なんだよね…?」 「そうだよ。」 君の口から告げられる言葉に、僕は現実へと引き戻された。これが僕の生きていた世界。 僕はなまえの恋人ではなく、ただの友人。 本来ならば君の後ろ姿を見つめているだけで、触れることすら叶わなかった。 手を握ることも、キスをすることも。 そして、いつかは失うことも承知していたはず。なのに、息苦しく感じてしまう僕がいる。 「……なまえ…」 彼女の顔を覗き込むと、君の涙する姿があって、庇護よりも先に、僕は見惚れていた。同時に愛おしい気持ちが溢れて止まない。 今すぐに君を抱きしめてしまいたいけど、それは許されないだろう。 「…私…まだ大事なことを忘れている気がするの…それが、とても悲しい。」 「そうか。…でも、僕の事を思い出せたのだから、きっと思い出せるよ。…だから、泣くな。」 今の僕に彼女の涙を拭う資格もないけれど、僕はそっと流れる雫に触れた。 こうして、君を慰めることも、きっとこれが最後だよ。 「……ねぇ赤司君、」 「なんだい?」 「………なんで……嘘ついたの…?」 君はとても優しいから、僕に見切りをつけられない君は、 まだ僕を信じているとでも言いたそうな瞳で、そう問いかけてきた。 涙で潤む瞳で。 そんな目で僕を見るな。 …君のことが好きだから。 誰よりも君を愛してるからだと、言葉に出来ない弱虫な僕はただ心中で叫ぶだけ。 「…明日、話すよ。」 「今聞きたい…。」 「駄目だ。まだ君は記憶を取り戻したばかりだろう。これ以上混乱させたくない。」 「でも…」 「いいから、休んで。僕の言うことは絶対だよ。」 僕が威圧感を込めて言い放つと、さすがの君も降参したようだ。 不服そうに君はここ数日使用していた布団へと潜り込んで、相当疲れてのか、すぐに小さな寝息が聞こえてきた。 僕が命令したわけだが、君は少しばかり人を信用しすぎだ。 騙されていた相手を側に、よくもすやすやと寝れるな。 それとも、鈍感なのか。 僕は彼女の隣に腰をかけて、子供をあやす様に、彼女の頭を撫でる。さらさらの髪の流れに沿って、優しく、何度も。 そういえば、君は記憶を失う前から僕の前で無防備に眠っていたよね。 二人で公園のベンチで話している途中に、君は僕の肩にもたれ掛かってきて、どんなに泣き晴らした後でも、君は幸せそうに眠っていた。 僕はそんな、君の寝顔を眺めるのも好きだったんだよ。 「愛してるよなまえ。」 そっと彼女の唇に、自分のを重ねた。 「…さよなら。」 君が次に目覚めるとき、もう僕は君の側にはいない。 二度と君の目の前に現れることもない。 僕は少しの荷物を手に、音を立てないように玄関の扉を開いた。 …生憎、僕は用意周到なもので、すでに出ていく準備は整っていたし、この部屋も僕の所有しているマンションの一部だ。 だから、切り捨てようが、いくらでも住まいはある。 許してもらうつもりはないけど、これが僕のけじめだよ…なんて台詞も、もちろん嘘だよ。 …本当はね、君から僕との縁を断ち切られるのが恐いだけ。 この気持ちを拒絶されるのが怖いだけだ。 どうせ失うのならば軽症のが良いに決まっている。 そう思ってしまう僕は、君に対してだけはどうしても弱腰だな。 恰好悪い男とは、まさに僕の事だろう。 …それともう一つ、傷付くとわかっていても黄瀬の元へ戻る君を二度と見たくないから…。 君の泣き顔はもう充分だ。 「僕は最後まで嘘吐きだね。」 ねぇ、なまえ。 逃げ回る僕だけど、これだけは願わせてよ。 …もっと君を大事にしてくれる誰かと君が、 幸せな人生を送れますように。 でも、やっぱり、できるものならば、 僕がなまえを幸せにしてあげたかった。 −−−−−−−− 時間とは恐ろしいほど早いもので、あれから、いつの間にか二年が過ぎていた。 時が経てば、人の気持ちは薄れゆくものだと聞いたのだが、どういうことだろうか。 僕は二年前と何も変わっていない。 文字がつらつらと並ぶ何枚もの書類に目を通し終えた後の、一瞬の隙が、彼女を思い出させる。 軌道に乗り始めた仕事に没頭しても、 趣味の読書に耽ても、何をしても、どれだけ気を紛らわせても、僕は君を忘れられないんだ。 人を想うとは、酷なものなのか。 「会いたい…」 僕から手放したくせに、我儘な願望は積もって、 止まることも知らず、一方通行の想いは一人寂しく駆け続けている。 ここ最近、仕事が落ち着かずに追われる日々だ。 だからこそ、余計に彼女に会いたくてたまらないのかもしれない。 たまには息抜きも必要だな。 会社に籠っていた僕は久々に外出することにした。 散歩というには距離があるんのだが、赴きたい場所は一つしかない。 彼女を忘れたいと願っているのにどうしてここに来たくなるのだろうか。 2年ぶりだが、あの頃と景色は変わっていなかった。 相変わらずボロボロのブランコが一番に目に入り、そこは、君とよく過ごした公園。 もうすぐ日が暮れそうな時間帯のためか、他に人影はない。 僕は妙に寂びたベンチに腰を下ろした。 見上げれば橙色の空がある。 柄にもなく綺麗だなと感じたけど、次の瞬間には彼女のことを思い出していた。 君と過ごした日々を僕は今でも鮮明に覚えている。 いっそ僕も大事なもの限定で記憶喪失になってしまいたよ。 好きという、この感情を消せれば、きっと楽になれるから。 けど、それでも、手放したくないと思う僕もいるから、参ったものだ。 ぱたぱたと足音が聞こえてきたから、視線を正面に戻したが、 その光景に僕は大きく目を開くことしかできなかった。 「赤司君…?」 これは幻覚だろうか? それとも、僕はまだ夢を見ているのだろうか? 「なまえ…。」 目の前に現れたのは、会いたくて仕方なかった、愛しい彼女。 髪が伸びたせいか、前よりも大人びて見えて、さらに美人になっていた。 数年会わなかっただけなのに、こうも変わるとは女性は凄いな。 「赤司君、赤司君っ…!やっと会えた…」 子犬のように駆け寄ってきて、座っている僕のことを覆うように抱きしめる君は、笑いながらも泣いている。 これではまるで君が僕に会いたかったみたいだ。 「……私、記憶全部思い出したよ。」 「そうか。」 「…赤司君に聞いてほしいことがあるの…」 「なんだい?」 「…私が…私が好きなのは…赤司君だからっ!」 やっぱり、これは夢の続きかもしれないと思ったのだが、この温もりは間違いなく現実のもの。 僕からも彼女を抱きしめようと細い身体に手を回しかけたが、僕は一つの疑問に突き当たる。 …それは、彼女の彼氏の存在だ。 君には黄瀬がいるだろうと問う前に、 今まで嘘ついてごめんなさいと、君は謝罪をしてきたから、僕は首を傾げずにはいられなかった。 「どうして、君が謝るんだい?」 君を騙したのは僕の方だというのに、話が全くつかめない。 彼女はといえば、僕の様子を伺っているようだ。 何か疚しいことでもあるのかと疑ってしまうよ。 「…あのね…本当はね…記憶を失う少し前に、涼太と私は別れていたんだよ…。」 「はぁっ?!」 余りの衝撃に、僕らしかぬ声が出てしまった。 君が記憶喪失になるぎりぎりまで、君から相談を受けていたのをはっきりと覚えている。 もしも、それが事実なら、僕たちは随分と遠回りしてしまったということだろうか…? 「…なぜ今まで黙っていたんだ。」 「だ、だって、そうしたら多忙な赤司君に会う口実がなくなってしまうから!」 あと、黄瀬から乗り換えたと勘違いされるのが嫌だったとか、時間をかけたかっただとか、タイミングだとか、理由は沢山あるのだと彼女は言っている。 僕に勇気とやらがあって、君に告白でもしていれば、2年間も離れることはなかったのかもしれない。 そう思うと、不甲斐ない気持ちで一杯になった。 正直に男に振り回される君は内心では馬鹿な女だと思っていたが、 馬鹿なのは僕の方だったようだね。 彼女を見つめて、僕は僕なりに今度こそ気持ちを伝えようか。 初めての「本物」をどうか受け取って。 「好きだよ。」 「本当に?嘘じゃないよね…?」 「ああ、本当だ。」 きっと、君が僕を好きになる前から、僕は君に惹かれていたよ。 二度と離れることのないように嬉し泣きする彼女を腕の中に閉じ込めて、それから、僕たちはただ惹かれるように唇を重ねた。 まるでお互いの存在を確認し合うように、何度も何度も。 ずっと、ずっと、こうしたかったよ。 「愛してる。」 耳元で囁いてやれば、君はくすぐったそうにして、 私も愛してるよ。と、僕に同じように囁いて、 想い合うとは言葉では言い表せない感情なのだと、そう感じた。 「…これから、始めよう。」 「うんっ!」 僕たちの物語を、幸せな物語を始めよう。 この手で、僕は今度こそなまえを幸せ者にしてあげる。 今までの君の傷跡が無くなるくらい、僕との思い出で埋め尽くしてあげるから。 (嘘と引き換えに手にいれたのは、) (たった一つの真実の愛でした。) END ---------------------- やっと書き終わりました! 長くなってしまった…(._.) お付き合いありがとうございました!w そして、赤司様が予想以上に女々しくなってしまったwwwww |