※嘘吐きの恋人の続編です 先日、なまえは記憶を失った。 自分の名前、住まい、経歴、勤務場所、その他、細かいことは全て覚えているのに。 忘れているのは、僕と、君の恋人である黄瀬のことだけ。 もしかしたらまだあるかも知れないが、今のところ把握しているのは僕と黄瀬だけだ。 君は一人暮らしだったし、両親はすでに亡くなっていたし、 「心配だから、暫くの間、一緒に暮らさないか?」と問えば、僕のことを恋人だと勘違いしている君は簡単に信用して、 「わからないことがあったら、よろしくお願いします。」と、頭を下げた。 なんて、上手くいきすぎている物語なんだろう。 僕に都合のいいことばかりで、逆に思い知らされるよ。 これは、一時の夢なんだ。 いつの日か君が記憶を取り戻したら、確実に僕を避けるだろう。こんな、嘘つきな僕を。 現に僕は君のことを騙しているのだから、当然の報いだと思う。 だけど、もう後戻りはできないんだよ。 偽りだったとしても、君と恋人として過ごすのはずっとずっと僕の願いだった。 だから、もし君が離れていく運命が見えていても、それでも、今はこの手を放したくない。 ぎゅうっと君の手を握る力を強めた。 もともと軽症だった君の退院日はあっという間にやってきて、 これから僕たちは君の自宅に必要な荷物を取りに行こうと思っている。 こうして君と手を繋いで歩く日が来ることを、少し前までは想像すら出来なかったよ。 マンションの並ぶ帰路の途中に、小さな公園があるのだが、君は見覚えくらいはあるだろうか? 公園と言っても、ベンチが二つと、塗装が剥げているボロボロのブランコが遊具としてある程度。 何組かの親子連れで賑わっていて、昼間はやはり近所の子供たちで占拠されているようだな。 「ねぇなまえ、何か思い出したりしない?」 「…思い出せないです。」 「そうか。…ここは君と僕の…」 「思い出の場所ですか?」 「ああ、そんな感じだ。」 日が落ちて、辺りが暗くなった頃。ここのベンチでよく二人で語り合った。 語り合ったという表現よりは、君の話を僕が聞いていたという方が明確かと思う。 あと、君は気まぐれにブランコを漕ぎ始めて、僕は夜遅いから止めなよ。と、よく叱ったものだ。 まあ、君は僕の言うことなんて聞きやしなかったけどね。 君と二人でどこかへ出かけた記憶などない。 だから、ここは君と僕の唯一の思い出の場所なのだろう。 「思い出せないならいいんだ。ほら、行こう。」 彼女の腕を引っ張って、再び、僕らは歩き出す。君の視線が公園を捉えたままで、何かを考えているようて、少し焦った。取り戻してしまったのではないかと。 思い出さないでと、そう思うのに…何をやっているんだろうな僕は。 この光景に脳が刺激される可能性だってないとは限らない。 冷静になれば、リスクを負ってまで立ち寄る場所ではなかった。 たが、記憶が欠落している君は、君であって、君ではない気がしてならないんだ。 今までの君だったら、きっと、子供達に交じって遊びたがるだろうと簡単に予想できるのに。 取り戻してほしくないと思う気持ちと、あの頃の君に戻ってほしいと思っている僕が対立している。 「…赤司さん…」 「…あのさ、赤司さんじゃなくてさ、征十郎って呼んでよ。」 「わかりました。」 「あと、敬語も駄目。」 「わ、わかった…征十郎。」 笑顔で彼女が僕の名前を呼ぶ姿に感じたのは、 それは、違和感と、もう一つ、罪悪感。 …嘘だよ。 本当は、君は僕のことを「赤司くん」と呼んでいたんだよ。と、咽喉元まで言葉はでてきているのに言えず、 君に名前で呼ばれてみたかったんだと、自分の望みに忠実な僕は、 ああ、僕はなんて最低な男なんだろうね。 今までもそうだ。君の幸せなんかよりも、僕は僕の幸せを優先している。 君が僕に泣きつくたびに、本当は喜んでいた。 僕はずっと心の中で君を嘲笑っていた。 早く別れてしまえばいいのにと、願っていた。 君がどれだけ傷付こうが構わないと、そんな酷なことを思っていたんだ。 「あのね…征十郎…私は征十郎の事、とても好きだよ。まだ思い出せないけど、気持ちだけは残っているの。とても好きな人が居たっていう気持ちは…。」 「そうか…」 それは僕じゃない。君が好きなのは、僕じゃないんだよ。 そう言ってしまえば楽になるだろうか? 君を失って、僕は楽になれるのだろうか? 「…ねぇ、征十郎はこんな私の事、まだ好きでいてくれるの?」 「ああ、好きだ。愛してるよなまえ。」 言葉じゃ足りないくらい愛してる。 苦しいくらい愛してるよ。 そっと顔を近づけて、僕は君と初めてキスをした。 君の桃色の唇は予想以上に柔らかくて、いつまでも触れていたい。 一度では足りなくて、もう一度しようとした僕を君は戸惑わずに受け入れた。 このまま時間が止まってしまえばいいのに。と、本気でそう思える。 …今、君は僕のこんなにも近くにいるのに、君は既に誰かのものだなんて、信じたくないよ。 もしも、黄瀬よりも早く出会えていたら、君は僕と結ばれていたのだろうか。君は僕を選んでくれていたのだろうか。 答えのない問題ばかりが生まれては、ただ重荷になっていく。 君と同棲を始めたものの、不安定な生活はもちろん長くは続かなかった。 幸せなものほど酷く脆いのだと、誰かが言っていた気がするけど、まさにその通りだと思う。 終わりは本当に呆気なかった。 この僕が油断することもあるようで、僕はあることを忘れていたのだ。 買い物から帰ってきて、君は何気なくテレビの電源を入れた。ただそれだけのこと。 何かを見た彼女は、暫く画面を見つめていて、不審に思った僕が覗き込むと、そこには黄瀬涼太3股疑惑の文字。 それから、君が好きで好きでたまらなかった、黄瀬の顔写真。 しまったと思った時には遅かったようで、 君の口から零れたのは「赤司くん…」と一言だけだったけど、全てを悟るには足りすぎる言葉だった。 君からリモコンを奪い取り、すぐにテレビは真っ黒に染まるが、君の瞳には涙が溜まっている。 「私…」 「思い出しちゃったんだね…」 「私の恋人は…私の好きな人は……」 (ただ、君が好きだった。) (嘘吐きな僕だけど、それだけは信じて欲しい。) |