明らかに異常を報せる嫌な音が響いて、自然と眉根が寄った。
これが今ので五回目とくれば、さすがにわたしの心は折れてしまったらしい。もう夜も遅く、睡魔もすぐそこまで忍び寄っているというのに。

一度大きな溜め息を零し、ぐだりと項垂れてカーペットに突っ伏した。それから近くにあったケータイに手を伸ばし、のろのろとそれを操作する。
数回の呼び出し音のあと「なんだよ」と聞こえてきた声は挨拶もない上になんとも怠そうだったけれど、それはきっと、多分、恐らく、ソウイウポーズであるということにしておいて。
こちらも応えようとしたのだけれど、ポッキリ心の折れたわたしの口からはやはり溜め息しか出てこなかった。

「あ?」
「……もしもし、けんじさん」
「なんだよ」
「……いま」
「は?なんて?」
「いまどこにいますか……」
「どこって、家に居るけど」
「…………」
「? おい、なまえ」
「………あのね」
「お前マジでどうし」

ブツリ。
唐突に消えた音に目を瞬いて、恐る恐る画面を見てみれば見事真っ暗だった。充電切れである。……わたし、もしかして携帯電話というものを所持するのに向いていないのでは?
困ったタイミングでうんともすんとも言わなくなってしまったそれに、少し情けなくなりながら充電器に繋ぐ。
本当に困ったなあ、早く連絡取りなおさないと。
ケータイが復活するのを、再びカーペットに突っ伏しながら待つ間、逸る気持ちと眠気との間でわたしは戦うことになった。



「なまえー、堅治来てんぞー」という次兄の声が聞こえた気がして、はっと上体を起こす。どうやら、いつの間にか眠気が勝利していたらしい。
寝惚けていまいちはっきりしない頭で、はて兄は今なんと言っただろうかと思い返そうとしたのだけれど、それよりも先にバタバタと騒がしい足音が聞こえてきて、かと思えばバンッと派手な音を立てて部屋の扉が開いた。

「………」
「……あ、堅治だ……えっ、帰るの」

そこには、どことなく前髪の乱れたご近所さんが目を丸くして立っていた。
そのことにこちらも目を丸くしていると彼は眉を顰め、それからわたしと、わたしの前に置いてあるモノを見て目を眇め、一拍置いた後くるりと背を向ける。

ああそうだそうだ、わたしが堅治に連絡したんだったとようやく働き始めた頭で思い出して、ちらりと壁にかけてある時計に目を向ければ電話をしてから五分も経っていなかった。
わたしのうたた寝は実に束の間であったらしい。つまるところ、堅治はあの電話から五分以内に我が家に来たわけで。

二口さん家と我が家の距離というのはまあ近くて、自転車を飛ばせば一分、ちんたら歩いても五分とかからない範囲にあるけれど。あるにはあるんだけれど。
背を向けた彼に思わず「あれ、わたし呼んだっけ」と零せば彼は勢いよく振り返って、「あのなあ!お前が!妙な電話をっ!」と語気鋭く言ったかと思えば急に萎えたように大きく息を吐き出して「もういい、じゃあな」と後ろ手にひらりと手を振る。
待って、それはわたしが困る。うそうそ、冗談だってば。今のはわたしが悪かったです。

元々来てもらいたくて電話をしたのだけれど、確かそれを伝え終える前にケータイが使えなくなってしまったので、単純に驚いたのだ。

「ごめん堅治、待ってお願い、お願いだから待って」
「ハイハイ、おやすみー」
「まだ寝れない、これ終わるまで寝らんない」
「じゃあ終わらせろよ」
「出来るならやってる!出来ないの知ってるくせに!」
「だったらばあちゃんに頼め!上手いだろ、ばあちゃん!」
「ばあちゃん昨日から旅行でいないです」
「じゃあ兄ちゃんに言え」
「兄ちゃんより堅治の方が上手い気がする」
「知らねえよ!」
「ボビン!ボビンが絡まってむりなの!」
「だから知らねえって、この不器用!!」
「不器用って!言った!!」
「事実だろうが!」
「っ……ひ、ひどい……、わ、わたしだって、わたしなりに、がんば、って……っ」

声が震えた。顔を両手で覆って、立てた膝の間に埋める。
堅治が息を呑むのが気配でわかったけれど、それに対して取り繕うことはせずぐずりと鼻を鳴らした。
沈黙が流れて、膝の間に熱がこもり始めたとき「あーもう!」と彼が声を上げて、ちらりと隙間から見れば自分の頭をぐしゃぐしゃと掻いていて。

「あー、ごめん!ごめんって!俺が悪かった!」
「………」
「ボビンも直してやるし、それもつくってやるよ」
「わーい、やったー!」
「オイ」
「ささ、どうぞどうぞ、布はこれで、絡まったボビンはこちら」
「オイ」
「ありがとう堅治!」

つくってやる、の声とともに顔を上げて、ついでに両手も上げて万歳のポーズを取れば、彼の顔が思い切り歪んだ。反対にわたしの顔には笑みが咲く。
わなわなと手を震わせた彼は、けれどふっと諦めたように力を抜いた。これはわたしの完全勝利では。
そう思った矢先、頭を鷲掴みにされてしまって悲鳴をあげることになった。

「痛い痛いっ」
「おーまーえーは……!嘘泣きやめろって、何度言えばわかんだよ!!」
「毎度律儀に騙されてくれる人がいるので……」
「お前そんなこと言って、そのうち信用無くしても知らねえからな!?」
「大丈夫。これ、対堅治専用」
「余計タチ悪いわ!」

華麗なる嘘泣きであった。

目に涙なんてものはちっとも浮かんでいなくて、鼻だってすっきり通っている。
昔からほとんど変わらないやり方とちっとも成長しない演技力でこの手をつかっているというのに、毎度彼はそれを流さず割に本気で困ったような焦ったような顔をして降参の声を上げるのだ。
わかっているんだから相手にしなければいいのに、と思いもするけれど相手にされないと困るのはわたしだ、不思議には思えどそれを口に出すことはしない。
彼に助けを請うた理由であるミシンの前に座るよう促せば、彼は何やらぶつくさ言いながらも諦めたようにどかりと腰を下ろした。

「はあ?どんなやり方したらこんな糸の絡まり方すんだよ……」
「知らない、ミシンに訊いて」
「喋んの、これ」
「喋らない」
「舐めてんのかお前」

学校で必要だから用意しろと、なんとも傍迷惑な提出を命じられた雑巾二枚の製作をすっかり忘れていたことに気付いたのは、とっぷり日が暮れてからだった。
思い出してすぐ自分なりに奮闘してみたけれどまあ、それは大変難しく。たかが雑巾、されど雑巾。苦手なことは山のようにあるけれど、わたしは特に裁縫関係はからっきしだった。
三度目にボビンが絡まった時、同居している裁縫上手の祖母に頼もうとひらめいたものの、そういえば旅行で不在だったことを思い出してそのひらめきは呆気なく萎んでしまい今に至るわけである。
彼がわたしの様子とミシンを見ただけで何事かを察してしてしまうくらいには、今までに何度かあったことだ。

「大体ミシン使えないなら手で縫えよ」
「そんなことしたら、雑巾として機能しないものが出来上がると思う」
「……つくれないってわかってんなら、もう既製品を買え」
「ミシンの活躍の場が無くなるよ」
「泣くぐらいなら買え!」
「泣いてない!」
「嘘泣きしてんだろうが!大体活躍出来てないからな、不器用」
「また言った!」
「言うわ!」
「今までわたしがつくったご飯食べてきたでしょ!普通に食べれたでしょ!」
「この間のハンバーグ、玉ねぎからハンバーグまで焦げてたけどな」
「もう堅治の分のご飯絶対用意しない」
「帰っていい?」
「やだ困る」

そういえば、中学の時の家庭科の授業も制作なんかの実技はほとんど彼の手を借りていたような覚えがあるし、技術の授業なんて糸鋸での作業もはんだ付けもほぼほぼ彼にやってもらった気がする。
堅治とクラスが同じだった二年時、技術の成績が頗るよかったのは全くわたしの実力ではないのだ。

「……堅治、わたしのこと甘やかしすぎじゃない」
「そうだな、帰るわ」
「わー、堅治上手!はやい!雑巾出来てる!はい、もう一枚」
「……お前、覚えとけよ」

わたしの頭は都合よく出来ているので、もう忘れました。

あなた馬、あたし鹿


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